青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ジグザグジギーとシソンヌのコントについて

よしもと∞ホールにてライス、シソンヌ、ジグザグジギーによる『新睦会〜新ネタ2本やっておしゃべり』を観賞してきました。タイトル通りに各コンビが新ネタを2本やって、トーク。初卸しの新ネタという事で、磨き上がっているわけではないので粗い所もありましたが、故にそれぞれのコンビのネタ作りのコアのようなものが覗けた気がする。


ジグザグジギーのコントの面白さの秘密。それはネタの時間進行とは逆からネタを作っていっている所にあるのではないだろうか、という仮説。そうして作った方が、そのネタ内の運動への「何故?」が消滅し、ただ純粋にその「運動」(コント内で言えば変な行為)が振動していくような気がするから。今回のライブで披露された1本目の新ネタは、「池田の部屋でウンコをする」→「犬が吠えてくる」→「犬を蹴る」→「反動で部屋に飾ってあったフィギュアを壊してしまう」→「ボンドで直そうとするも部屋にボンドをこぼしてしまう」→「ぞうきんで拭く」という一連の宮澤の行動を、宮澤が「ぞうきん汚してごめん」→「ボンドこぼしてごめん」→「フィギュア壊してごめん」・・・・と逆から池田に謝罪していくという構造をとっていた。何も知らない池田は「ぞうきん汚したくらいで何を謝っているのだ」と最初のほうは許容しているのだが、徐々に事実が明らかになっていく中で、宮澤の謝罪のタイミングやポイントがズレている事に苛立っていく。これはまさにジグザグジギーが「運動」を逆から作っている証左ではないか。もう1つ注目したいのは、ここで宮澤の謝罪のタイミングが執拗にズレている「理由」というのがネタ中で明らかにならない点だ。普通のネタであれば、謝罪と事実の時系列が逆になっているというのは、宮澤の心理的ズルさに起因する、という作り込みになるであろうし、そういった悪意であったりディスコミュニケーションであったりを軸にストーリーを展開していくはず。しかし、ジグザグジギーはそういった心理的な「理由」の描写、そしてそこから生まれるドラマには一切時間を割かない。「なんでそんな変な事をしているのだろう」という疑問が明らかにならないままであるので、「運動」(=変な行為)が意味から解放されて振動するのだ。例えば、ホラー映画なんかでも同様の理論は適応される。幽霊が出現する理由が明らかになっていない、理解の外にある状態のほうが怖くはないだろうか?後半に進むにつれ、幽霊が現世にしがみつかざるえない感傷的な理由が明らかになっていく映画は、恐怖が薄れていってしまう。「現象」や「運動」はその理由はわからないほうが怖いし、面白いの。ジグザグジギーのネタにおけるあの執拗な繰り返しに耐久性があるのは理由が不在であるからに他ならないのだ。たとえば、「お会計」というコントはただただ宮澤が池田の股関にお会計ボートを突っ込む、というネタ。宮沢が何故、池田の股間に会計ボードを突っ込むのか、その理由は宙ブラリのままだ。故にその股関に突っ込むという運動が躍動している。ネタ内にあっても、「理由を言えー」という池田のツッコミが何度か放たれるが、それはスルーされ、宮澤自身が「理由」を話しだそうとする素振りを見せるも、かわされる。ジグザグ―ジギーは意図的に「理由」を排除しているように思える。


シソンヌもまた大いに信頼できるコンビだった。2本共に素晴らしかったが、特に2本目。ショップ店員と客というよくある設定ながら、黒いTシャツを着た男が、何枚も何枚も似たような黒いTシャツをあてがっては「似合いますかねぇ?」と店員に聞き購入していく、という文字に起こしてしまうと異様にミニマルなコントなのだけども、これが滅法面白い。黒いTシャツをひたすら買う「理由」はおろか、そこに対する「ツッコミ」も抑制されている為、ただ「黒いTシャツを着て黒いTシャツを買う」という現象が揺れて、笑いを誘う。ネタの終盤において、突然照明が落ち、黒いTシャツを買い続ける男のみスポットライトが当たり、何故黒いTシャツを自分が買い続けるのか、その訳を観客に向かって喋り出そうとする。しかし、喋り出そうとするやいなや、照明は元に戻り、やはり「理由」は不在のまま、ネタは終了する。シソンヌもやはり意図的に「理由」を排除している。ここで並のコンビであったら、黒いTシャツを買い続ける男に、ネタの間中、ツッコミもしくはボヤキを挿入してしまうだろうし、終盤には、黒いTシャツを買い続ける理由を、いい話風のドラマ、もしくは、狂った設定などを設けて、ネタを展開させていってしまうと思う。


勿論、ジグザグジギーやシソンヌのやり方が絶対に正しいというわけではない。ただ私の好のみというだけです。それに「理由」をドラマに展開させてネタを面白くしていくコント師もたくさんいる。その再筆頭がアルコ&ピースや今回のライブに出演していたライスだろうか。2組のような圧倒的な発想力と演技力があって、成立する世界であって、たいていは凡百なものになってしまう。