青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ピート・ドクター『モンスターズ・インク』

ピート・ドクター『モンスターズ・インク

モンスターズ・ユニバーシティ』が素晴らしかったので、堪らなくなってDVDで観賞。近所はどこもレンタル中で、二駅先のTSUTAYAまで足を伸ばし何とかゲット。あまりによくて、本編観賞後、ジョン・ラセター、ピート・ドクター、アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチというピクサー四天王による副音声解説付き(これが目を見張る面白さ!)で観直す。その後まさかのテレビ放送があり、再び観てしまう。繰り返しの観賞に耐えうる、呆れるほどの面白さを持った紛れもないマスターピースだ。


モンスターが子供を怖がらせるのは、その悲鳴をエネルギー源としているからであり、あくまでビジネス。そして、実の所、モンスターは子供たちを何よりも恐れている、という設定の面白さは、当たり前のように受け入れてしまうが、なかなかに考えつかない、大発明だ、と今更吠え称えたい。この設定に思わずこの国の「原発問題」をすり寄せてみたくもなるが、それは置いておこう。

「反転」という現象が映画の細部まで貫かれているのがおもしろい。前述の通り、子供を恐怖に陥れるモンスターは、子供に恐怖に陥れられる、という反転がまず核となっている。これがもう素晴らしい。観客(とりわけまだ小さいな子供たち)は、世界の本当の在り方を教えられるだろう。そして、それはきっと生きる勇気に繋がるに違いないのだ。「反転」は他にも多く散りばめられている。恐怖のモンスターはコミカルに、偉大で人格者であるはずの社長は、悪の親玉に反転し、エネルギー源である「悲鳴」は「笑い」に反転し、結果、サリーとマイクの役割も反転する。極めつけは事務員ロズの執拗な「マイクワゾウスキー報告書出したのかい?」という台詞が、終盤において「報告書出しちゃダメ」と反転するというさりげない巧さ。にくいぜ。その世界の「反転」の中心に置かれるのが「ドア」というのがまた堪らない。扉を開く、という運動にとてつもないエモーションが宿る。だからこそ、ラスト、粉々になってしまった扉は、必ず修復しなければならないし、それを開けるというシークエンスに涙を流さざるをえないのだ。


モンスターズ・ユニバーシティ』がマイクの「視線」の映画であるとするならば、『モンスターズ・インク』はサリーの「体毛」の映画だ。彼の体毛を最新のプログラミングソフトでどう動かすか、それが映画の「運動」の起因となっている。あの体毛を存分に風になびかせたいから、あの雪山のソリ、ドアジェットコースターなどの魅力的なシークエンスが生まれているように思う。体毛をこう揺らしたい、から、サリーをこう動かす、から物語をこう転がす、という風に映画が脚本の進行と逆さまに躍動している。故に、『モンスターズ・インク』は魅力的なアクションで満たされた活劇になり得ているのだ。また、この映画はアニメーションでありながら照明が素晴らしい。明かりにも強いエモーションが宿っている。そういえば、あの素晴らしい蝋燭の灯で部屋が満たされるシークエンス。あれも、あの画が描きたいからこそ、蝋燭を灯す→停電させる→ブーを笑わせる→マイクのギャグシーンを作る、という行程を辿っているのではないか、と推測される。とは言え、こうたらたらと書いた事も、ブーの圧倒的なキュートネスの前には全く立ちうちできない。個人的にお気に入りなのは、サリーの投げたお菓子をご機嫌に頬張るブーです。ピクサーには、ブーのその後、みたいのだけは作らないで欲しいものです。