青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ピート・ドクター『モンスターズ・インク』


モンスターが子どもを怖がらせるのは、その悲鳴をエネルギー源としているからであり、あくまでビジネス。そして、実の所、モンスターは子どもたちを何よりも恐れている、という設定の面白さは、当たり前のように受け入れてしまうが、なかなかに考えつかない、大発明ではないだろうか。“反転”という現象が映画の細部まで貫かれている。前述の通り、子どもを恐怖に陥れるモンスターは、子どもに恐怖に陥れられる、というベースとなる”反転”がまずもって素晴らしい。観客(とりわけまだ小さいな子どもたち)は、世界の本当の在り方を教えられるだろう。そして、それはきっと生きる勇気に繋がるに違いない。そして、”反転”という現象はこの他にも多く散りばめられている。恐怖のモンスターはコミカルに、偉大で人格者であるはずの社長は悪の親玉に、エネルギー源である悲鳴は笑いに。その果てに、サリーとマイクの役割も反転してしまう。事務員ロズの執拗な「マイクワゾウスキー報告書出したのかい?」という台詞が、終盤において「報告書出しちゃダメぇ」と反転しているのも、さりげなくて巧い。この世界の”反転”の中心に置かれているのが”ドア”というのがまた堪らない。扉を開く、という運動にとてつもないエモーションが宿る。だからこそ、ラスト、粉々になってしまった扉は、必ず修復されなければならない。


モンスターズ・ユニバーシティ』がマイクの「目玉」の映画であるとするならば、『モンスターズ・インク』はサリーの「体毛」の映画だ。彼の体毛を最新のプログラミングソフトでどう動かすか、それが映画の運動の起因となっている。あの体毛を存分に風になびかせたいから、雪山のソリ、ドアジェットコースターなどの魅力的なシークエンスが生まれているように思う。体毛をこう揺らしたい、から、サリーをこう動かす、から物語をこう転がす、という風に映画が脚本の進行と逆さまに躍動している。故に、『モンスターズ・インク』は魅力的なアクションで満たされた活劇になり得ているのだ。あのマイクの部屋が蝋燭の灯で満たされる素晴らしいシークエンス、あれも、あの画が描きたいからこそ、蝋燭を灯す→停電させる→ブーを笑わせる→マイクのギャグシーンを作る、という行程を辿っているのではないか。とは言え、こうたらたらと書いた事も、ブーの圧倒的なキュートネスの前には全く立ちうちできない。個人的にお気に入りなのは、サリーの投げたお菓子をご機嫌に頬張るブーです。