青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ダン・スキャンロン『モンスターズ・ユニバーシティ』


神話と呼ぶにふさわしいクオリティで栄華を極め、ディズニーを内部から食らい尽くすほどの勢いを見せていたピクサーが2011年の『カーズ2』、2012年の『メリダとおそろしの森』と2作品続けて駄作とは言うまいが佳作を提供してしまっている。それに続く本年度の新作はなんとオールタイムベスト級の1本である、かの『モンスターズ・インク』の前日談。さて、その出来ばえやいかに、という所なのであります。結果から言えば、傑作だ。


観る者を飽きさせない”アクション”を見事に物語に組み込む手腕であったり、マイクの日本語吹き替え版を演じた田中裕二とマイクの奇妙なリンクであったり、本作の学園物としての通奏低音が近年の作品でいうと『ソーシャル・ネットワーク』『桐嶋、部活やめるってよ』もしくは『ハリーポッター』シリーズと共鳴していたり、それらをまとめあげると結果味わいが日本の少年漫画的な“スポ根”になる、など興味深いトピックは多数ある。しかし、個人的に今作において私が1番グッときてしまったのは、マイクの「見つめる」という行為が、物語のコアとして運動している点だ。その流麗なお喋りに気をとられてしまうが、そもそもマイクというモンスターの造形は目玉から直接手足が生えている、という、「見つめる」機能そのものである。また、大学のマークにも、会社のマークにも”目”がある。マイク小学生時代の社会科見学での見上げる「憧憬」の視線

を軸に物語が始まり、怖がらせ学部のキャンパスを、学園長を、見つめる事で物語が転がっていく。最大のトピックと言えるマイクとサリーの友情は、その憧れの視線を共有する事で(この際は”見下ろす”という形で為される)、結ばれる。そして、感動的なのは、マイクのその真っすぐな視線が、自身に向けられ(それも月明かりが鏡面反射した湖で!)、「自分は怖いモンスターではない」という残酷な現実をしっかりと受け入れる点だろう。また、前作の重要人物ロズが登場し、「私はあの2人(マイクとサリー)をずっと見張っているよ」といった旨の発言をする。つまり視線は、向けるだけでなく、向けられている、という事実を提示して物語は結ばれるのだ。であるからして、エンドシーンが、その視線が向けられていた事を刻印する“写真”でもって幕を閉じるのは至極当然の事のように思える。


残念ながら『モンスターズ・インク』のとてつもない高みに並ぶ、とは言えないながらも、映画的な所作においては前作を凌いでいる。何より強烈なのは、「怖がらせる=偉大」という図式は『モンスターズ・インク』のラストにおいて崩壊しており、今作でのそれは、あくまでマクガフィンでしかない、という態度だ。今後のピクサーに期待したい。『カーズ2』はジョン・ラセター御大が自ら監督を務めたわけですが、『トイ・ストーリー3』がリー・アンクリッチ、『メリダとおそろしの森』がマーク・アンドリュース、『モンスターズ・ユニバーシティ』はダン・スキャンロンと、10年代以降ピクサーは新しい監督を起用しています。しかし、やはりピクサーの神話を築きあげたのは、ラセターは勿論なのだけど、ピート・ドクター(『モンスターズ・インク』『カールじいさんの空飛ぶ家』監督)とアンドリュー・スタントン(『ファインディング・ニモ』『ウォーリー』の監督)の2人だ、という思いが強い。この2人、『モンスターズ・ユニバーシティ』では、ジョン・ラセター、リー・アンクリッチと共に制作総指揮に名を連ねている。4人も制作総指揮いるって変なの、というのはさて置き、ピクサー新作予定を調べてみると、なんと2015年にピート・ドクターが『インサイド・アウト』(仮)、アンドリュー・スタントンが『ファインディング・ドリー』(仮)で監督を務めるそうな。『ファインディング・ドリー』という事は『ファインディング・ニモ』のスピンオフのようなものであろうからあまり期待はできないとして、完全な新作であろうピート・ドクターの『インサイド・アウト』に超期待。

個人的にはピクサーで1番好きな監督ですし、公開されているイメージ画とタイトルから推測するに、脳内イメージが実体化して飛び出す、まさにクリエイティビティーと直結したような映画になるに違いないのです。ピクサーは2018年度の作品公開予定まで既に発表されており、手を緩める気はさらさらないようだ。もう一点、興味深いトピックとして、次のディズニー・トゥーンスタジオズの新作『プレーンズ』は、ピクサーの『カーズ』の世界観、キャラクター、デザインを共有した作品らしい。ディズニーとピクサーの完全融解の一手として注目したい。