青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ロロ『ミーツ』

ロロ『ミーツ』を駒場アゴラ劇場で観賞。

昨年度は『LOVE02』3回、『父母姉僕弟君』3回、『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛され第三小学校』2回、と夢中になって複数回観賞してきたわけですが、今作は1回しか観る事ができかなった。スケジュール的に厳しかったというのもあるのですが、「1回でいいかな」という気も起きてしまったのも本当の所。私、これまでのロロが好き過ぎた。それゆえ、今作での新しい役者陣に馴染めなかったのやも。好演と言っていいのだろうけど、自分の中で勝手にロロメソッドというのが出来上がっていて、この役を、島田桃子だったら、篠崎大悟だったら、森本華だったら、北川麗だったら、多賀麻美だったら、とかどんな感じになったかしら、とか考えてしまったのですね。特に島田さん!出演していて欲しかったなー。ロロの幼児的全能感に島田さんのアンニュイさが絶妙なスパイスを加えていたように思うのだよなぁ。


いや、勿論おおいに笑ったし(「愛のメモリー」最高)、ゾクゾクと興奮もしたのだけども、2011年の「夏シリーズ」を彷彿とさせるとっ散らかりを感じたのだ。しかし、「夏シリーズ」同様に愛すべき意欲作でもあると思う。あらゆる管を直す者、というのが出てきて、父としての缶コーヒーであったり、母の涙であったり、父の股関の象からの噴出であったり、水槽であったり、そういった液体の流れを促していた。「家族」の血の循環でもあるし、「本当」と「嘘」をむりやりに循環させてしまう試みにも見えた。これが刺激的で、サンプルの松井周(アフタートーク初回のゲストであったらしい)の「変容」「変態」の手さばきを彷彿とさせた。しかし、あそこに「おままごと」というセンテンスまで持ち込んでしまうのは詰め込み過ぎではないだろうか。


「想像力」「見立て」はこれまでもロロの重要なモチーフであったと思うのだけど、今回は他者と他者の「想像力」の折衷点というものに果敢に挑戦している。同じモノを見ていなくてもいいのではないか、という三浦直之のサジェスチョンだろう。凄い所に挑んでいる、と思う。しかし、テーマが前に出過ぎていて、細部の豊かさとカタルシスに欠けていた。もし、この挑戦が高い精度で為された時、意味の取りはらわれた想像力の純粋な「運動」というものが舞台に立ち上がるのだろう。そう考えるとゾクゾクする。三浦直之の立川談志がいうところの「イリュージョン」の領域への挑戦だ。これは、次のロロの作品がとても楽しみなのだ。