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木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』

『すいか』『セクシーボイスアンドロボ』『野ブタ。をプロデュース』『Q10』という傑作ドラマを夫婦で手掛ける人気脚本家である木皿泉の初の長編小説『昨夜のカレー、明日のパン』を読了した。

傑作だと思う。木皿泉は「運動」の作家である。勿論、会話の面白さや、言葉の美しさも木皿泉の大きな魅力。宝物にしたくなるような台詞が今作においても散りばめられている。私もいくつか見つけました。例えば

人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ。

だとか。それは各々が心の中に大切にしまっておけばいい。なので、やはりここでは木皿泉は「運動」を描く作家だと言い切りたい。「運動」といっても、デモとかそういった類のものではない。むろん「体育」的な事でもなく、身体的振動とイコールで結ばれる「運動」の事を考えています。それを描く作家というのはつまり、「変容」であったり「実存」であったり、つまり「生きること」を書ける作家ではないか。私は小説読みでないので、そういった作家は基本的に映画界にしか存在しないものと思っていたので、新鮮な感動に包まれました。とは言え、なるほど、木皿泉はドラマ脚本化であり、映像を喚起する言葉を書く人でありました。ドラマ作品においても、一貫して木皿泉は「運動」を描き、そして、それを記録するというモチーフを多用していた。木皿作品におけるそれは、消えていくはずの何かをずっと残し続けるための祈りだ。例えば『セクシーボイスアンドロボ』では、死んだはずの三日坊主がテレビドラマの撮影隊のカメラにたまたま映り込んでおり、映像の中で動き生きていた。『野ブタ。をプロデュース』では放送部に所属した野ブタ達が失われゆく青春を雄弁にビデオカメラに収めた。そして『Q10』では、前田敦子演じるロボットQ10の目はカメラになっており、ある目的の為、平太(佐藤健)を見つめ保存し続けた。この小説においても、銀杏の割る、焼売をウスターソースにつけて食べる、山を登る、ミョウガを刻む、洗濯物を干す、ビールを飲む、伝票を綺麗に書くetc・・・無数の美しい運動が活き活きと描写され(その数は感情の描写のゆうに数倍にものぼるだろう)、ページを振動させている。そして、それらが消える事なく確かに蓄積されていく様子を丁寧に描いている。本作で言えば、大きな銀杏の木が生えた一軒屋に。


木皿泉が「運動」を切り取り保存する作家である事を何より証明するのがラストの章「一樹」におけるセンテンスだろう。

女の子の足は猫のように、しなやかで、力強く、前へ前へとなめらかに動いていく。追いかけながら、一樹は、自分が何を求めていたか思い知る。母はいつも動いていた。洗濯物を干したり、台所で何かを刻んだり、庭の草を引いたり、縁側で布団を広げていたり。止まっている姿など一度も見たことがなかった。たまに用事を言われ、一樹がふてくされた顔をすると、「動くことは生きること。生きることは動くこと」と怖い顔で怒った。<中略>一樹は雨に顔を打たれながら、今度こそつかまえなければ、と思った。母の時みたいに、バカみたいにかっこうをつけていたら。大事な物がするりと腕からこぼれしまう。今度こそ、恥も外聞もなく、待ってくれと頼むのだ。

この作品は「運動」を捕まえる事で「生」を再認識し、「死」を受け入れる物語である。小説という枠にはまり過ぎているようにも感じるが、処女作ならではの瑞々しさ、そして木皿印ともいえる深刻になりすぎないユーモアが、確かに刻印された、素晴らしい作品です。オススメでございます。

昨夜のカレー、明日のパン

昨夜のカレー、明日のパン