青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

渡辺歩『のび太の結婚前夜』


かの芝山努は本作に対して、はっきりと「嫌い」との意見を表明しているそうな。のび太の部屋の照明が暗い、といった『ドラえもん』としてはありえないリアリティの強い演出が気に入らなかったらしい。とにかく「ドラクラッシャー」と呼ばれた渡辺歩のその映画的な演出が冴え渡っている。冒頭の信号機の色の演出でもう痺れてしまうのだけど、静香が花嫁衣装に着替える更衣室の鏡に、高速道路が映り込んでいる。時に光が鏡に反射し、静香の正装を祝福するかのよう。まるでエドワード・ヤンのような写実的映像演出が施されている。また、渡辺が巧いのは、「真珠のネックレス」が母からしずかに受け継がれる、久しぶりに再会した小学校の担任に「野比!明日は遅刻するんじゃないぞ」と怒鳴られる、といった原作ファンの心をくすぐる時の流れをブワっと香らせる演出だ。



予告編にのみ登場するのび太の独白。

いつの間にか僕は夜中に一人でトイレに行けるようになった、一人で電車に乗って会社に通うようになった。
でも本当に僕は変わったのかな? ねえドラえもん、僕は明日結婚するよ…

いくつかのウィークポイントを克服したのび太の、それでも変わらなかった部分。その部分こそが、学芸会で「森のリスB」の役しか与えられないようなダメな男の子が、世界中で愛される作品の主人公である理由だ。それはもはや永遠のクラシックと呼んでいい*1、しずかパパの台詞が表現している。

のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ

個人的にその部分以上に好きなパートがある。

わたしがいっちゃったらパパさびしくなるでしょ。これまでずっと甘えたりわがままいったり・・・それなのにわたしのほうはパパやママに何もしてあげられなかったわ

に対する返答。

とんでもない。きみはぼくらにすばらしいおくり物を残していってくれるんだよ。<中略>それからの毎日、楽しかった日、みちたりた日々の思い出こそ、きみからの最高の贈り物だったんだよ。少しぐらい寂しくても、思い出があたためてくれるさ。そんなこと気にかけなくていいんだよ。

現在というのは過去の積み重ねである。そして、今作においては”過去”である小学生ののび太が”未来”を見つめている。私たちは過去を省みて励まされたり、慰められたりする。しかし、過去もまた現在の(もしくは未来の)私たちは見つめているのだ。タイムマシーンというSF(すこしふしぎ)によって可視化された、その温かい構図の美しさが今作の何よりの素晴らしさではないだろうか。

*1:ドラマ『最高の離婚』でも引用されましたね