青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

近藤喜文『ふとふり返ると』

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耳をすませば』の監督として名高い近藤喜文が残した唯一のイラスト集『ふとふり返ると』が実に素晴らしい。近藤喜文は街と風の作家である。まずもって、序文として記されている、スケッチブックに残されていたという文章がいい。

もし、このアニメーションをみて・・・「あんなところがあったら行ってみたくなった」と思う人がいたなら、「それはどこかにあるのではなくてあなたのいるところ、つまり、今、あなたのいる街が(村が)そうなのだ(そうだったのだ)」と答えたい。

これは、はっぴいえんどceroの奏でる”シティポップ”の概念に通ずるような気がる。街に溢れる、”普段は気付かない美しい瞬間”を見事に切り取り保存している。


一瞬を切り取っているにも関わらず、その絵には確かな”運動”と”時間”が記されている。ジブリの魂は宮崎駿高畑勲、そして近藤喜文だった。最初に”唯一残した”と書いたのは、近藤喜文は1998年に解離性動脈癌によって47歳の若さでこの世を去っているからだ。あまりに惜しい才能の損失を嘆く。ジブリの後継者問題は、近藤の想定外の若すぎる死が最大の原因だ。同時期の制作となった『となりのトトロ』と『火垂るの墓』のスタッフとして宮崎駿と高幡勲の間で近藤喜文を取り合って大いに揉めた、という有名なエピソードの微笑ましさ。


「よい絵とはなんでしょう」というエッセイでは「こんな絵が描けたら」と、ノーマン・ロックウェル鏑木清方林明子、そして高野文子の名を挙げている。

ノーマン・ロックウェル画集 (MOE BOOKS)

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鏑木清方―逝きし明治のおもかげ (別冊太陽 日本のこころ 152)

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はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)

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高野文子の傑作「奥村さんの茄子」(『棒がいっぽん』に収録)の紹介と共に、「自分が描こうとしているものが、ようやくわかってきたような気がするんです」という言葉を残している。

ある時ある場所で、一瞬すれ違い、別れた人々のしぐさのなかに、確かに存在していた個性のきらめき、その生命のあたたかさ

「街の映画」と言える『耳をすませば』はまさにその実践だ。生活の場としての団地の詳細な書き込み、あの密度にこそ命がこもっているように感じる。オープニングにおける俯瞰で描かれた街の灯りと流れる「カントリーロード」は、市井に生きる人々のその匿名性の輝き、その賛歌なのである。