青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ジョナサン・デイトン&バレリー・ファリス『ルビー・スパークス』


高い評価を得た『リトル・ミス・サンシャイン』以来6年ぶりの監督作という事で話題の今作。うーん困ってしまう。正直映像表現としてこの作品を観た時に、高い評価を与える事に躊躇してしまう自分もいる。印象的なショットを挙げろ、と言われても1つも答えられないかもしれない。あまり映像が物語に支配されすぎているのだ。しかし、やはり私にはこの作品を映画としてはダメダメなミシェル・ゴンドリーの愛おしき作品群と同様に愛さずにはいられない。無理無理、僕には『エターナル・サンシャイン』を真っ直ぐと「クソだ!」とはとても言い放てないのだ。ナイーブな感性をそっと毛布で包んでくれるような脚本、そういったものに出会えた時は素直に感謝する事にしよう。


処女作が爆発的ヒットを飛ばし、世間から天才と祭り上げれるも、その後プレッシャーからか10年間も作品を発表することのできない作家。カルヴィン。そんな彼が夢の中で観た理想の女の子が現実となって現れる。しかも、彼女の詳細な設定はいつでも彼のタイプライターによって文字通り書き換える事ができるのだ。あまりにボンクラな設定!ここにまず「何故?」となってしまう人はもうこの作品に乗っかることはできないろう。断っておくと、その「何故?」は作品中で全く明確にならない。


さて、この脚本、プロットだけ聞くとどう考えても男性脳という感じなのだけど、作中で実にキュートな演技を見せてくれる主演女優ゾーイ・サガンの手によるものなのだ。それゆえなのか、わかりませんがボンクラ方向に進むかと思いきや、SF(少し不思議)をキープしながらも、圧倒的にリアルな感情が横たわっている。自由に書き換える事のできてしまう恋人、というのは書き換えれば書き換えるほど、それはあくまで自身の目を被ってしまいたい「欠落」「欠点」の具現化にしかなっていかない恐ろしさ。その「書き換え」は豪華絢爛なカルヴィンの自宅の中で唯一のレトロな存在のタイプライターで行われるわけだが、あのタイプライターの感情を文字通り打ち込む感じがいいのだ。いやーしかし、これはちょっと観ていて身につまされる思いの人は多かったのではないか。サガンからの全てのボンクラ男子への警鐘である。そのボンクラ感をチャーミングに体現したポール・ダノも素晴らしい。衣装もよくてですね、彼のルーズ過ぎず、タイト過ぎないカーディガンとか、シャツから覗く白いクールネックのTシャツだとか、かわいい靴下の柄だとか。見事に彼のキャラクターを肉付けしていると思う。最終的に作中においてサガンは「恋愛」を「クリエティビティ」と同一化させていく。物語の詳細を想像力で肉付けしていく楽しさ、その想像力の産物に対しての責任の取り方、そしてそれが世にリリース(ルビーも、小説も)され、また違った姿で再び出会う事の美しさ、そういったものを『ルビー・スパークス』で描いているのではないか、と思うのだが、どうだろう。