青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

cero『My Lost City』

cero『My Lost City』がついにリリースされた。

My Lost City

My Lost City

間違いなく2012年を、いや、これからのこの国のミュージックシーンを牽引する1枚の誕生だろう。ceroの音楽が大きく開かれた。パーソナルな手触りの1stももちろん名盤である事には代わりないが、こいつはちょっと桁違いだ。音質、楽曲共に格成熟しポップスとしての強度が格段に向上している。今作においても彼らの音楽は数多のカルチャーからの引用のパッチワークで成り立っているはずなのだけど、繋ぎ目を感じさせないシームレス加減は絶妙、というよりもはやその繋ぎ目の傷も彼らの血肉である。これがceroの音楽である。誰もが心奪われる最高のポップアルバム!と手放しに賞賛して終わりでもいいくらいなのだけど、実にコンセプチャルなアルバムでもあるので、ちょっと想像力を働かせてみたくなる。

シティ・ポップが鳴らすその空虚、
フィクションの在り方を変えてもいいだろ?
「わたしのすがた」

日常の中でふと耽る空想、例えば真夜中に空を飛ぶペンギン、大停電の夜、銀河を走るJR中央線だとか。そんなものがいつもの冴えない街を素敵なものに変えてしまう。想像力は日常に対抗しうる武器だ。そんな風にして立ち上げた空想都市のサウンドトラック、2011年1月リリースの『World Record』

WORLD RECORD

WORLD RECORD

を僕らは新しいシティ・ポップとして楽しんだ。しかし、ほどなくして東日本大震災が発生。その未曾有の災害により現実は空想を追い越してしまった。インタビューにおいてもceroは2ndアルバム製作初期段階のコンセプトとその変容を以下のように語っている。

「雨の降り続ける街が、やがて洪水に見舞われ、ほんの小旅行のつもりだった小舟は、思いもよらぬ大航海の旅にでることになる」という展開を考えて、停電や洪水、都市の崩壊をテーマに曲を制作。その後に起こった東日本大震災が自らの作り上げた架空のパラレルワールドに酷似していたことから、一時は自分たちの世界観をその方向に寄せるのはやめようと思った。

だが、彼らは再びその方向性でアルバム制作を続ける。その際に、村上春樹海辺のカフカ

海辺のカフカ〈上〉

海辺のカフカ〈上〉

海辺のカフカ〈下〉

海辺のカフカ〈下〉

から下記のようなセンテンスを引用した決意表明を行っている。

すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities -- まさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところには責任は生じないのかもしれない。

つまり、これは「想像力」の生み出すと希望、更には絶望(アルバムで言えば、それは「大洪水」だとか「黒い邪悪な夜」だとか「切裂き魔」だとか「怪物」だとか)すら踏みしめて奏でる愛と責任のアルバムだ。洪水さなかの船上でパーティーを続けるceroの姿は、ジェームズ・キャメロンの『タイタニック』において、沈みゆく船で最後まで讃美歌を演奏し続けたあの弦楽四重奏のように美しく力強い。そう言われてみれば、「Contemporary Tokyo Cruise」は現代の讃美歌だ。「さん!」は「ものみなこぞりて」のフレーズが!

表題曲における

ダンスを止めるな
「My Lost City」

というリフレインは、もちろん世間を騒がしている風営法について言及している面もあると思うが、これは「想像する事を止めるな」と読み換えてみてもいいだろう。では、そうまでして彼らが「想像力」を保守しようとするは何故だろう。彼らが奏でるのはシティ・ポップ「街」というのは人の集まりで、人が集まるには関係を結ばねばならない。人と人が関係性を持つ際に必要不可欠となるのが「想像力」なのだと思う。そこで、このアルバムで何より感動的なコーラスワークについて。東京阿佐ヶ谷にある高城晶平と母親が経営するバーrojiにおいて、友人やファンを招いて録音されたというこのコーラス。つまり、『World Record』においても絶えず走り続けいていた「電車」に乗ってきた人々によって奏でられているのだ。

街と街のあいだに電車が走っている
「roof」

「これは街のメロディーみたいだな」と思う。空想の世界と現実の世界、その境界が曖昧になった時、街は歌い出す!これがceroの奏でる新しいシティ・ポップceroは改めてシティ・ポップの概念を書き換えたのだ。

はねていく はねていく リズムだけが
こえていく こえていく この街すら
「さん!」

ここからは余談なのだけど、「自分の作りだした世界に責任を持って折り合いをつける」そんな物語を僕はもう1つ知っている。多分みんなも知っていると思うのだけど、藤子F不二雄『ドラえもんのび太の魔界大冒険』という作品。

もしもボックス」によって魔法文明の栄えた世界を作り上げたドラえもんのび太は、その想像力の産物として、悪魔という存在をも生み出してしまう。そのパラレルワールドにおいても、勇敢に魔界に立ち向かうドラえもんのび太、しかし、激闘の末に仲間は全員魔王に捕らえれてしまう。そんな中、救世主ドラミが登場し、「もしもボックス」で元の世界に戻してしまうよう提案する。しかし、








そうだ、そうするべきなのだ。そして、この作品のラストは現実の世界に戻ってきたのび太が、空想世界を引きずって唱える「チンカラホイ」というメロディーだったのであります。