青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

黒沼英之『イン・ハー・クローゼット』


黒沼英之の1stアルバム『イン・ハー・クローゼット』が発売された。彼とは個人的な知り合いで、出会いはもう6年ほど前。当時からそのセンシティブな感性は人を惹きつけるものがあったのだけど、いささか繊細過ぎやしないか、と心配になる面もあった。しかし、時を経て、彼のその感受性は美しいメロディーとなって外に放たれた。そして、そのメロディーは少し複雑な心をもった人々の生活にそっと寄り添うだろう。その事をうれしく思う。黒沼英之の音楽は強い肯定も否定もなさない。

あいまいなものがすべてあいまいなままでいいように

ややナイーブなその願いは、とかく白黒をはっきりさせたがるこの時代において普遍的な祈りなのかもしれない。


そんな風に書くとひどく内省的な音楽なのかと思われるかもしれないのだけど、そんな事はない。魅力的なボーカルとメロディーの詰まった開放的なアルバムだ。そして、これはかなり重要だと思うのだけど、男性シンガーソングライターのアルバムでありながら、エゴイスティックな要素が少ないので疲れる事なく繰り返し聞く事ができる。その秘密は録音にあると思う。R&B、J-POP、弾き語り、チルウェイブ etc...長い活動歴で様々なサウンドスタイルの模索を目にしてきたので、満を持して発売されるセルフプロデュースの1stアルバムがどんなアレンジで録音されているのかは最大の関心だった。いざ蓋を開けてみると音数の少ないシンプルでラフなミックス。歌に焦点を当てたアレンジのようでいて、実は歌も一要素でしかなく、音の鳴っている空間を意識したアンビエントな音響の録音になっている。これはシンガーソングライターのアルバムとしては結構エポックメイキングな録音ではないだろうか、なんて思っている。ピアノが遠くから聞こえてくる。ボーカルがマイクから離れたり近づいたりする。ボーカルの振動が空気を揺らす。空間が生まれる。Charaの『Dark Candy』のプロデュースなどでも知られる天才ビートメイカーmabanuaの素晴らしいドラミングの力を借りた数曲は、その空間を外へと広げていく。”優しい痛み”を抱え込んでしまった真夜中、どうかヘッドフォンを耳にあてこのアルバムを聞いてみて欲しい。あなたが”クローゼット”にしまい込んできた想いが、存在していい場所はちゃんとあるのだ、とはっきり感じられるだろう。

イン・ハー・クローゼット

イン・ハー・クローゼット