青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

マームとジプシー『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』


チェーホフの『桜の園』的なモチーフ。100年の歴史を誇る生家が、解体されてしまう兄弟の話。あえて語られない細部とやや退屈なリフレインによって、ついつい自分の記憶と対話を強いられる。亡き祖母の家の事なんて考えて、思わず少し泣いてしまった。本当に色々な思い出と共に間取りから匂いまで詳細に「おばあちゃんの家」が頭の中に立ちあがっていって、「あぁ、なんかこれって凄いな」「僕の頭の中の演劇だな、これは」とか思ったりする。あの繰り返されるリフレインって映画におけるカメラに収められる、フィルムに焼きつけられる、というような効果があると思っていて、リフレインされると、保存される、生き続けるのだ。今作での役者達のあの運動は、彼らの実存を刻みつけるため、というよりも、あの劇中に肉体として存在しない人達(父や母や祖母や更にもっと前の先祖とか)を浮かび上がられる儀式のように見えた。つまり、あの家の100年の記憶を再生して保存する。いつでも、帰れるように。


どう捉えていいのか、ちょっと悩んでいる。もちろんつまらないとかではないのだけど、待望の新作長編がこれなのかという落胆が大きい。ネクストレベルを感じる事が出来なかった、と言いますか、『塩ふる世界。』『Kと真夜中のほとりで』『飴屋法水さん(演出家)とジプシー』などを作り上げた後の作品とは思えなかった。それ以前の『帰りの合図、』『待ってた食卓、』の完結編が、今、ここに来て発表されてしまったような感触だ。