青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

『oonoyuuki VS 片想い』in下北沢440

oono yuuki VS 片想いを下北沢440で観てきた。まったく平日の、しかも月曜の夜だというのに、どこまでも最高なライブだった。oono yuukiバンドは8人編成。ギター、鍵盤、トランペット、スティールパン、フルート等がユニゾンしたり、それぞれバラバラに鳴ったりする様には、喜びも悲しみも怒りも同質の力量として受け入れ、そして放出するような、そんな大らかさと解放感があった。そのまぜこぜになったエネルギーには強烈な反骨心を感じて、会場の屋根も壁も全て壊れて飛んでいってしまう。そんなイメージが浮かびます。


そして、同じく8人編成の片想い。「ユニバース」とか「ハピネス」とか初めて聞く曲もことごとく名曲で腰を抜かす。片想いのレパートリーは60曲あって全曲シングルで出せるクオリティ、という噂は本当なのだろう。おそらく私が今、1番好きなソングライターはMC.sirafuだ。数十年後、MC.sirafuコンプリートBOXがリリースされて欲しい。

MC「片想いはですねぇ、『多幸感』とか『パーティーバンド』とか言われるので今はそういう感じでやってますけど・・・」
片岡「そうですね、『全体主義』とか言われてますけど」
MC「言われてねぇよ!」

というやり取りに笑わされた。最近、「多幸感」というのは薬物使用による弊害や躁状態の人の症状として使うネガティブな表現なので、音楽を評する際に使うのは正しくないのではないか、という論争がありましたけど、小沢健二とか片想いに対して「多幸感」という言葉をあてがうの事に未だに何のためらいもない。そもそも「多幸感」という言葉をフワフワした幸せ、というニュアンスで音楽に対して使用するだろうか。それよりは、ヒリヒリとした圧倒的な、そしてすぐにでも消え行くような幸福感を表現したくて使っているように思う。そう考えるとドラッグとか躁とかのニュアンスも遠からずという気もする。まぁ、片想いのライブで得られる幸福感はなかなか消えませんけどね。私達の生活に深い余韻と影響を残して去っていきます。終わらないまま次に繋ぐ。


ときに片想いのライブのあの雰囲気に内輪ノリを感じないのが自分でも不思議なのです。私はコミュニケーション力にやや難があるので内輪ノリには敏感で、すぐ拒否反応を示すわけですが、片想いにはない。それはもしかしたら中心人物であるMC.sirafuという人に潜む“照れ”のおかげなのかもしれないな、と勝手に解釈している。才能も人脈も行動力もあり、ライブでは激しいパフォーマンスでアジってくれる氏ですが、意外とシャイボーイの照れ屋さんだと思うのです。シャイでも、照れ屋でも、人見知りでも、それでも!コミュニケーションを渇望してしまう。そういう時のエネルギーって凄いんだ。

向かう 移動 集う きっと それは 光る 希望 なのかもしれないよ


この日の「踊る理由」はすっごいよかった。毎回やるし、音源も出したし、メンバーもちょっと食傷気味なのかなぁ、なんて杞憂も吹き飛ぶ。この日は涙を堪えました。サックスがキレキレで、ほんと「モア、サクソフォーン」という感じでございました。「管によせて」ではNRQ、mmm、Alfred Beach Sandal、ザ・なつやすみバンドらの盟友と並べてフィッシュマンズ高田渡Sam Cookeに呼び掛けていた。思わず『Live At The Harlem Square Club 63』

One Night Stand: Live at the Harlem Square Club

One Night Stand: Live at the Harlem Square Club

を帰り道に聞いて非常にアガったわけですが、もう私にとって片想いのライブはこれを超えているな、と頬を緩めたのでした。