青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

今井哲也『ぼくらのよあけ』

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

ぼくらのよあけ(2) (アフタヌーンKC)

ぼくらのよあけ(2) (アフタヌーンKC)

舞台は2038年夏。手の届く未来。テクノロジーは格段に進化し、人工知能を搭載した手伝いロボットなどあらゆるものがデジタル化している。それでいて、阿佐ヶ谷住宅地のような古い団地公団がまだ現存している、という折衷のセンスがまずにくたらしいほどに素晴らしい。構図、コマ割が抜群に凝っている。団地という魅力的な空間を存分にいかす作画がなされている。


団地の屋上を主軸においた世代を超えた反復が織り成され、日常の中で非日常が浸食していく。話の構成も素晴らしい。煽るような文句で言えば、永遠に終わる事のない僕らの『ドラえもん』に終止符を打ってくれる、そんな作品だと思う。のび太ドラえもんの別れ、そして交わされるであろう約束が描かれている。*1

未知なるものと出会うこと 外の世界を知ること そうして出会ったみずからと隔絶した他者を どれだけ自分の中に受け入れることができるか ということ

という台詞は『ドラえもん』、いや全てのジュブナイル通奏低音であり、成長することの真理である。



阿佐ヶ谷住宅地のシンボルとも言える給水塔を見上げるシーンやラストの打ち上がる宇宙船を見上げるシーン。


スピルバーグの『未知と遭遇』(に限らずほぼ全作)でも宮崎駿の『崖の上のポニョ』でもいいのだけど、とにかくセンス・オブ・ワンダーや憧憬は見上げる事で描かれなくてはならない。そして、打ち上がった宇宙船から水が飛び散る。これはスピルバーグとエイブラムスの『SUPER8』とのシンクロであり、当然そこには涙が託されている。今井哲也の秀逸な空間把握能力とカット割りを活かし、更にはじけるジュブナイル要素をフィルムに焼きつける事ができる監督は堀禎一(『魔法処女を忘れない』『妄想少女オタク系』)ではないかと思っております。

*1:事実、『ぼくらのよあけ』は都市伝説として広まった『ドラえもん』最終回の構造を踏襲している。