青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

楠葉宏三『ドラえもん のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』

楠葉宏三ドラえもん のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』を観た。

ドラえもんの劇場版は小さい頃から激情に足を運んで観に行く特別な存在で、この歳までそれが続いている事をうれしくは思うわけだが、今作のクオリティの低さにはさすがに怒りしか湧いてこない。最初は怒りのあまりあらすじを全て書き起こし、訂正ポイントを全て書き記す、という狂気の沙汰に走り出していたのだけど、そんなもの誰も読みたくない、と気づき途中でやめる。



ドラえもん』は「なんでここであの道具使わないんだよ!?」というツッコミに溢れる作品なわけだけど、大長編ではなるべくそのツッコミを回避しようとF先生は趣向をこらした。『のび太の恐竜』では定員オーバーでのタイムマシンの故障、『のび太の大魔境』では冒険のスリルを求めるジャイアンの提案、カミナリさんの焚火でのどこでもドアの焼失、『のび太の魔界大冒険』ではママによるゴミ回収、そして後期は『のび太ドラビアンナイト』での四次元ポケットの紛失、『のび太と雲の王国』でのドラえもんのコンピュータ故障、『のび太とブリキの迷宮』でのドラえもん停止状態、ととにかくそのマジカルな手腕でドラえもんの道具の万能性を封じると共に物語に深みを与えてきたわけです。しかし、今作はどうだろうか。道具の使用停止を先に思いついて、後から筋を考えているのがバレバレでもうどうにも目の当てられない脚本が出来上がっている。道具をマクガフィンとして使ってはないけない。更には今作はキャラクターですらただのマクガフィンとしてしか扱われておらず、ダッケ、ケリー博士、シャーマン一味、とにかく命の吹き込まれていない登場人物ばかりである。あの藤子漫画のスターゴン助ですらマクガフィンだ。



それどころか今作は基本的な喜怒哀楽などの演出のイロハすら混乱しており、仲間がさらわれ緊迫した状況の中、なんとか助けようと「道具は?武器は?」と必死に慌てるのび太に対し、村人は誇らしげに「この村は今までずっと平和だったらか武器なんて必要なかったのだ」とドヤ顔を決め(このシーンは本当に驚愕するのである意味必見)、何故かしずかちゃんは「道具がなきゃ何にもできないなんて男らしくない、大嫌い!」とか言い出す始末なのだ。のび太悪くない。



テーマも折り込みすぎてこんがらがっている。てんとう虫コミックス17巻に収録の「モアよ、ドードーよ、永遠に」を元にしているので、動物愛護が1つのテーマなのだけど、かなりおざなり。そもそもあの話は『のび太の雲の王国』で綺麗な回収されているわえけで手を出す原案ではなかったと思う。更にもう1つ、のび太とパパの絆、約束がテーマとなるわけだが、その象徴であるカブトムシはおざなりな扱われ方に終わっている。家族の絆はてんとう虫コミックス3巻に収録の傑作「ママをとりかえっこ」やてんとう虫コミックス2巻に収録、渡辺歩による傑作中篇アニメとしてもおなじみの『ぼくの生まれた日』

ゴール!ゴール!ゴール!―映画ザ・ドラえもんズ (<VHS>)

ゴール!ゴール!ゴール!―映画ザ・ドラえもんズ ()

のび太とロボット王国』(作品自体は駄作)でのママの

「ドラちゃんだって私の子供よ」

という名セリフ、などからの換骨奪胎で台詞自体は悪くないのだが、どうにも無理矢理な引用とミックス感で違和感しか残らない。更には、「家族の事を思うと胸が温かい気持ちになるんだ」と胸に手を当てる仕草を全員が行う、というどうしょもないセンスのなさでまとめられる有様。違う意味で泣きたくなってしまった。




他にも作画的見せ場シーンを止め絵でごまかす、スネオとジャイアンによるヒップホップビートにのっかるのび太ディスの演出も謎。最後何故「ダッケ」と呼びかけないんだ!!大長編は冒険から戻ってきた後ののび太の日常に少しあちらの世界の余韻が浸透している様が素晴らしいと思うのだが、どうだろう。



批判せねばならぬ要素は多々あるわけだが、これもひとえにドラえもんへの愛情からと理解いただきたい。とにかく楠葉宏三は『のび太の人魚大海戦』に懲りずそれ以上の大駄作を作り上げてしまったわけで、原作のむぎわらしんたろうと共に大長編からは手をひいて頂きたい。次作は前作の『新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』で手腕を発揮した寺本幸代が監督の様子なので期待です。しかし、その後はどうするのか。渡辺歩と原恵一を呼び戻す、柴山努にもう1本、もしくは完全に外部から招聘するなどの手を打たないとドラえもん映画が終了してしまうのではないかと心配でございます。