青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

石井岳龍『生きてるものはいないのか』

石井岳龍『生きてるものはいないのか』を観た。

前田司郎が岸田國士戯曲賞を受賞した作品で五反田団の舞台バージョンは未見なのだが、圧倒的に脚本がいい。芸術の世界においても日常生活においてもある種の神秘性や禁忌をはらんだ「死」を、無理矢理に引っ張り出してポップフィールドに落とし込める。とにかくもう意味もなくバタバタ死んでいく。一発芸大会のようなレベルで死んでいくのだ。「死は生の一部である」とか「私は生きているのでなく死んでいっているのではないか」みたいな村上春樹チックなお題目に圧倒的なユーモアでもって挑んでいる。これを芸術と呼ばすになんと呼ぼうか。

会話劇を中心に進んで行くのだけど、五反田団のそれは、間や発声が非常に重要になっていくので、監督と役者たちが表現しきれているとは言えないのだけれどそこまでは気に鳴らない。そんな中、染谷将太はまさに五反田団ライクなボソボソ喋りが素晴らしい。そんな染谷が信じられないような目でたたずむラストシークエンスの、「生」と「死」の価値観が言葉通りガタガタと反覆していくカタルシスこそ舞台では出せない映画の魅力だ。

空間把握と明かりは、キャンパスという魅力的な空間を活かしきれているとは思えぬ(柳町光男が立教大学で撮った傑作『カミュなんていない』の空間を見てしまうと)が、画面に奥行きがあってよかった。会話に合わせたカメラの軽妙なカッティングも楽しい。音楽は田淵ひさ子。彼女のギターが歪む度に世の中の価値観が崩れていくような快感があった。所謂、不条理劇であり、観終わった後「ポカーン」としてしまうので普遍的な評価を得る作品ではないだろう。とは言え、もはや不条理はスクリーンの中の出来事ではない今、前田と石井の試みはドンキホーテのようにおかしく勇ましい。

生きてるものはいないのか

生きてるものはいないのか