青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

明けましてマームとジプシー2012

金曜夜、清澄白河SNACに駆け付けマームとジプシーの作年公演作品の映像の上映会「明けましてマームとジプシー2012」へ参加。できれば、夏の3部作「帰りの合図、」「待っていた食卓、」「塩ふる世界。」を連続で見てみたかったのだけど、時間が合わなかったので「Kと真夜中のほとりで」を観賞。1本でグッタリ疲れた。これに上記3本と更に「あ、ストレンジャー」、合わせて5本を立て続けに見るなんて正気の沙汰でねぇ。凄いや。一体何回リフレインした事になるんだろう。藤田君も言っていたけど自分だったら吐くわ。
「あ、ストレンジャー」の頃はオシャレな劇団だなぁくらいに思っていたんだけど、それが凄まじいスピードで表現の濃度を上げていくのを体感できた2011年は非常にスリリングでありました。それまでのスタイルの完成形と言える傑作「待っていた食卓、」観賞後、数時間の間隔を空けて観た「塩ふる世界。」の変化には特に度肝を抜かれたな。今までのお客さんが離れていくな、という覚悟のもの作ったそうだ。そして、更にあえて見づらくした、と語る「Kと真夜中のほとりで」だ。この作品(というか藤田作品には?)には「忘れていってしまう」「自分がどんな人間かなんて誰にも自分にもわからない」というキーワード、ひいては生きている事へのうしろめたさが前提として横たわっている。何度も執拗に色々な角度から繰り返されるリフレインは、忘れまいとする、自分が何者なのかを照らし当てようとする運動のようにも見える。沼田実子が叫ぶ、誰にも侵される事のない、茂木健一郎にも池上彰にも解明できない、私だけのオリジナルな感情というのは人を愛する事なわけだけど、彼女を劇中で「好きです」という言葉をかける事はできない。3年前の真夜中に失踪した妹を探し続けるその相手に「見つかるといいですね」という言葉をかけるのが精一杯であった。それを彼女は「私はあの真夜中の前で無力だ」と嘆くが、私にはそれがあらゆる事のうしろめたさの肯定のように感じられ、「見つかるといいですね」という言葉が本当に美しく響いたな。

そして、やはりこれは岡崎京子「チワワちゃん」を全く新しいやり方で表現したものだ、と改めて思った。今、岡崎京子をやるなら「ヘルタースケルター」でなく「チワワちゃん」なのは実に正しい選択だ。もちろん藤田君は岡崎京子をやろうだなんて微塵も思っていないだろうけども。

チワワちゃん (単行本コミックス)

チワワちゃん (単行本コミックス)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)




マームとジプシー3月に京都にて新作を上演するそう。

「LEM-on/RE:mum-ON!!」
作・演出 藤田貴大
2012年3月29日(木)ー31日(土)/元・立誠小学校(京都)

梶井基次郎「檸檬」をベースに、廃校にて同時多発で上演される短編集らしい。それを観客を校内を移動して選択する、と。どんな事になるのか全く想像ができない。瀬田なつきの「5 windows」のような試みなのだろうか。何でも今年の藤田君は「建物」にこだわっていくそうな。京都行こうかしら。