青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』

すべて真夜中の恋人たち

すべて真夜中の恋人たち

真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思い出している。光をかぞえる。夜のなかの、光をかぞえる。雨が降っているわけでもないのに濡れたようにふるえる信号機の赤。つらなる街灯。走り去ってゆく車のランプ。窓のあかり。帰ってきた人、あるいはこれからどこかへゆく人の手のなかの携帯電話。真夜中は、なぜこんなにきれいなんですか。真夜中はどうしてこんなに輝いているんですか。どうして真夜中には光しかないのですか。

昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。

あまりに美しく、かつ平易な言葉で綴られた、この光についての文章。光は何かに反射しなければ視覚することはできない。主人公は人づきあいが苦手で、どうしょうもないほどに上手に生きることのできない孤独な独身女性。そんな彼女が真夜中に見つけてしまった光。作中で彼女が聞く光の音。おそらく辻井信行のショパンの子守唄 変ニ長調。彼女はこの音を聞きながら光を感じる。

わたしは鞄からCDプレイヤーを取りだして、イヤホンを耳に入れて、そっと再生ボタンを押した。すこしの沈黙のあときき慣れたあのピアノの音が鳴りはじめ、わたしは深いため息をついた。白い街灯はかすかに震えしずまった家の窓は夜のひんやりした匂いは反射し、風にゆれる緑は燃えているようだった。いつも部屋でしていたように、わたしは両腕を左右にのばして、空気のなかを泳ぐように歩いていった。メロディから注がれるよろこびをゆらしながら、わたしは誕生日の夜に三束さんと、とくべつな夜に三束さんと過ごすと思った。

しかし、永遠に輝き続ける光はない。

「最後まで、残る光はないんですか」
「そうですね」
「ぜんぶ、消えるんですか」

だが、私たちはそういった一瞬を、一瞬でもかまわないから激しく輝いたその光を少しずつ真夜中に蓄えて、いつかまた輝く瞬間を祈りながら生きていくのだ。哀しみもやがて光となる。真夜中には光が満ちている。その事をこのあまりに切ない恋愛小説が教えてくれる。