青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

宮崎駿『崖の上のポニョ』


もう好き過ぎて、好き過ぎて。”受け容れること”(例えば、魔法を使うと魚っぽくなるポニョを見る僕らはギョっとしてしまうわけだけど宗介は1度して、その事をポニョに一切指摘したりしない。この世界においては、宗介のみならず、通りすがりの女性ですら、「ポニョ、お魚だったの!」と伝えられるも、微動だにせずに「ポニョ、素敵な名前ね」と返すのだ)であったり“名前をつけること”の物語として、この映画を称えたいのだけど、今回とりあえずそれは置いておいておく。


宗介の住む町の有機的な立体感、ほうれん草を茹でる湯気、水のリキッド感と固体感の絶妙な混ざり合い、リサの車と並行して走るポニョの水面運動のパトス、赤いポニョ、リサの青いコートと宗介の黄色いレインコート、雨の中を貫く車のライト、佇む電灯、海に浸かる鉄塔の群れ、明かりを手にした時のポニョの表情、その後しばらく暗闇の中の光源体となるポニョ、そして、停電時に島全体の光源体となるリサの家。こういった細部の連なりだけでグッときてしまう。


何と言うか、この作品におけるコミュニケーションは言葉を必要としていない。そう聞くと、もう一種の超能力的なテレパシーのようであるが、なんのことはなく私達の生活に転がる所作がヒントとなっている。傷ついた指を舐めてあげる、遅刻しそうでも手造りサンドイッチを作ってあげる、食べやすいようハムをちぎってあげる、金魚や船のお守りを作って励ましてあげる、雨に濡れないよう車に乗せてあげる、濡れた体をタオルでくるんであげる、温かいハチミツ入りミルクを淹れてあげる、インスタントラーメンをきちんと器に盛り付けハムと玉子を添えてあげる、ポニョが泣く赤ん坊にスープやサンドイッチをあげる、泣く宗介の手をひっぱってるあげるetc・・・言葉でなく運動で”愛”を連発する。極めつけが、あの言葉を光で表す信号の名シーンだろう。

「AISHITERU TOTTEMO TOTTEMO」
「BAKBAKABAKA」

最後はその信号すら用いず、ただただたくさんの光でもって愛を伝えるのだ。大傑作!!!!