青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

みそさざい『しあわせジョン』


2019年6月から@misosazainfoというアカウントでTwitter上で掲載されている『しあわせジョン』という漫画にすっかり魅了されている。こんなにかわいくていいのか、というほどにジョンがかわいい。心の栄養ドリンクです。心が弱っている時に読める漫画というのは貴重で、みつはしちかこ『はーいアッコです』やけらえいこあたしンち』を読むような幸福感がここにはある。
あたしンち 1

あたしンち 1

つまり、どこかの新聞の日曜版などに掲載される国民的クオリティーを既に獲得しているということだ。線や構図も美しく、作者の”ミソサザイ”という方は何者なのだろうと調べてみるも、大阪で活動るイラストレーター/デザイナーであるという情報しか出てこない。


犬を飼い始めた吾郎という青年のお話なのだが、犬は当たり前のように二足で歩き、言葉を喋る。そのことに驚く者は誰もいない。この”異”をすんなりと受けるいれる優しい世界観は、藤子不二雄イズムの後継者とも言えるかもしれない。この『しあわせジョン』は、『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』をはじめとする”居候モノ”の現代版である。そう言えば、吾郎ちゃんは大人になったのび太のようだ。


ジョンたちの暮らしぶり、住むアパート、喫茶店、公園といった町並みのヴィジュアルはどこかノスタルジックだが、これは現代のお話なのだ。タピオカや生食パンなども登場する。そして、何と言っても、現代人を象徴するキャラクター”ふしあわせトム”の存在。社畜のネコである。社会に疲弊しながら、ブツクサと文句を吐き、ひたすらに孤独を抱え込むトム。


この「休日」という作品のブルースには思わず声が漏れた。お前は私だ、と多くの人がトムに肩入れをするのではないだろうか。この時代において、「しあわせって何?」と聞かれても、もはや共通の大きな答えはない。考えている内に虚無に飲み込まれてしまうだろう。であるならば、夕食が唐揚げだったこと、休みの日にパンを買って帰ること、友達にスイカをもらったこと、雲の形がクジラみたいだっこと、焦げたハンバーグが美味しかったこと・・・そういった小さな出来事を、”しあわせ”なのだと胸を張って言うことで、幸福をこちら側に引き寄せてしまおうではないか。そんな強い志を、このほのぼの居候ギャグ漫画から感じるのです。

新海誠『天気の子』

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降り続ける雨を、流れる“涙”の比喩としよう。この街では、誰かがいつも泣いているからだ。映画のキーヴィジュアルに選ばれたのは代々木会館だった。『傷だらけの天使』(1974)でお馴染みの通称“エンジェルビル“*1。つまり、これは現代社会から爪弾きにされた天使たち(≒若者たち)の、その涙の物語なのだ。この映画で多発されるイリーガルな行為の数々は、あらゆることが許されていた『傷だらけの天使』などの犯罪青春ドラマへの憧れなのだろう。「美しさと倫理は両立しない」というのが、『君の名は。』(2016)から続く新海誠が創作において取り組む、隠れたテーマであるように思う。『君の名は。』は、一つの街を消し去り、多くの命を奪った隕石が落下していく様子を、「美しい眺めだった」と思ってしまう少年の話だった。この『天気の子』においても、警官への暴力をカタルシスとして配置し、水に沈む都市をフェティッシュに描いてしまう。たとえそこに、“死”や“犯罪”が含まれていようとも、美しいものは美しい。美しさと倫理は両立しないのだ、という新海誠の態度は、『傷だらけの天使』における萩原健一や水谷豊の美しい在りようによって、いとも簡単に保証されてしまう。


話が逸れてしまった。そう、『天気の子』は、天使たちの物語なのである。巫女、祈祷師といった日本の民俗学をモチーフとしている印象の強い新海誠。しかし、今作においては陽菜や穂高を、明らかに西洋的な天使のイメージで描いている。映画冒頭、陽菜は病室の窓から、雨雲の切れ間から光がのぞく光景を目にする。これは薄明光線と呼ばれる気象現象で、旧約聖書では“天使の梯子”と記述されている。この“天使の梯子”は、陽菜と穂高が3年ぶりの再会を果たすラストシーンにおいても映し出されており、映画の始まりと終わりに登場している。このことから、これは「天使たちが天と地上を上り下りする物語なのだ」と言ってしまっていいだろう。穂高が陽菜にプレゼントする指輪のデザインが、“天使の羽根”を模している点も、このイメージを補完していく。穂高の家出の理由は劇中で明確にはされないが、「この場所を出たい!あの光の中に入りたい!」と願った、その天使性だけで、映画における動機の説明は十分になされているように思う。


弱く儚い天使たちは、この現代においてアウトローへの道を余儀なくされる。陽菜は、性産業への道を余儀なくされ、穂高は拳銃を空に撃ち放つ。画面に映し出される求人バニラ(性風俗店を専門とする求人情報サイト)の宣伝カーのメロディが虚しく響く。穂高の勇気と決断によって、性産業への奉仕というルートは回避されるも、陽菜が存在証明の活路として見出すのは、自らを犠牲にして、世界を救うことであった。かつて宇多田ヒカルが歌った

誰かの願いが叶うころ あの娘は泣いてるよ

というフレーズが今、より切実に響く。


天使の頭上には光の“輪”が浮かんでいる。このことが導いたのか、作品内はあらゆる“輪”のイメージで満たされている。指輪、腕輪、チョーカー、傘、てるてる坊主、花火、観覧車、花輪、手錠、パーカーのフード・・・新宿や池袋といった東京を代表する都市を舞台にしながら、陽菜が暮らす駅が田端駅といういささかマイナーな駅に指定されているのは、「これは山手線の映画ですよ」という宣言であり、その線路の示す跡にはやはり“輪”がある。輪が描く“循環”の運動のイメージをなぞるようにして、異常をきたしていた天気は、一度は回復されるも、再び狂っていく。

知ってるかい?東京のあの辺はさ、もともとは海だったんだよ。
ほんの少し前、100年くらい前まではね。
だからさ、結局元に戻っただけだわ、なんて思ったりもするね。

瀧の祖母が言うように、東京の都市がかつての海の姿へと回帰していく。瀧や三葉といった『君の名は。』のキャラクターの召喚も、“円環”のイメージへ奉仕していると言えるだろう。『天気の子』の世界に、『君の名は。』の登場人物が息づいているということ。それは、「キミとボク」とも揶揄される小さな世界が、同時並行して存在いることを提示している。いくつもの「キミとボク」が繋がって、輪になって、世界は作られている。さらには、陽菜が晴れを祈るという“夢”を、凪や萌花が見る。いや、Twitter上でハッシュタグを使って多くの人々が同じ夢を見たことをつぶやき合っているカットが挿入されていることからもわかるように、不特定多数の人々が同じ夢を見るのだ。“私たち”は同じ夢を見て、繋がり、円を描く。



映画のラストで放たれる、「僕たちは、大丈夫だ」という台詞に、「全然、大丈夫じゃないじゃん!」と憤る人が少なからずいるらしい。新海誠は無責任だ、という論調まであるという。“大丈夫”というのは、これまでの新海誠フィルモグラフィーの中で繰り返し用いられる台詞だ。

メールが届くまで段々時間がかかるようになるけど、一番はじっこのオールトの雲からだって半年くらいのもんだからね。20世紀のエアメイルみたいなものだよ。うん、だいじょーぶ。


ほしのこえ』(2002)

貴樹くんは、この先も大丈夫だと思う。ぜったい!


秒速5センチメートル』(2007)

彼の創作の源は、「大丈夫」という言霊を全人類に打ち込むことにあるのではないだろうか。まるで、ケンドリック・ラマ―*2

俺たちは傷ついて ダウンしていたときもある
なあ プライドなんてなかったんだ
どこに行こう? なんて気持ちで世界を眺めてたんだ
なあ 俺たちはポリなんて大嫌いだ
ストリートで俺たちを殺そうとしてる
なあ 俺は神父の扉の前にいる
ひざが弱って 銃をぶっ放しちまうかも
でも 俺たちは大丈夫だ


Kendrick Lamar「Alright」

僕たちは、大丈夫だ。もちろん、この世界の現状はまったく大丈夫ではない。それでも、「大丈夫でありますように」という“祈り”を込めて、つぶやくのだ。ラブホテルのベッドで歌われるAKB 48の大ヒットソングの歌詞、

未来はそんなに悪くないよ


AKB 48「恋するフォーチュンクッキー

もまた祈りなのである。無責任で無根拠な“大丈夫”は、言葉として放たれることで、必ず意味を持つ。「みんなが大丈夫でありますよう」という新海誠の祈りが物語となり、すべての人に愛を降り注いだのが、この『天気の子』なのである。



穂高の世界を壊してでも、陽菜を愛したいという態度に共感できないという声もわかる。たしかに、穂高は陽菜を愛し過ぎている。あまりに無知で、間違いだらけかもしれない。しかし、その愛は必ず、世界を修復していくと信じたい。誰かを愛し過ぎるということは、この世界そのものを愛すことだからだ。ドイツの哲学者であるエーリッヒ・フロムは、愛をこう定義した。

一人の人を本当に愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。


エーリッヒ・フロム『愛するということ』より

穂高と陽菜の強い愛は、同じ夢を見た“私たち”が大丈夫であるように、という祈りとなり、少しずつ世界を修復していく。雨が降り続ける街にも、桜は咲く。悲しみの雨が、涙が、再会の“喜びの涙”へと書き換えられるラストシーンを、たまらなく美しいと、私は思った。
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*1:製作途中であろう2019年3月に萩原健一が亡くなったこと、そして公開後の2019年8月にエンジェルビルの解体作業が始まるという共鳴に驚かされてしまう。そして余談にも程があるが、『傷だらけの天使』の24話に可憐にゲスト出演する坂口良子の娘、坂口杏里もまた”傷だらけの天使”である

*2:警官、そして拳銃

ドラマ25『サ道』

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ディープリラックスと美しき世界への圧倒的感謝。タナカカツキによる決定的バイブル『サ道』にて言語化されたサウナの気持ち良さが、端的に映像化されていた。

サ道

サ道

「ととのったぁ」の発話もジャストだ。サウナと水風呂を繰り返すことによる精神の昇天は、決してハイなテンションで語られるものではない。じんわりと、でも確実に、世界と自分との境界が正しい位置に導かれていくあの感覚。それは穏やかな心持ちで発されるのです。タナカカツキによるCG描写のサイケデリック度合いは地上波向けにチューニングされていて、やや控え目。回を重ねるごとにタガを外れていくのを期待します。実在する名店でロケーションし、受付からロッカーでの着替えの描写も描き、サウナの温度・湿度、水風呂の水温などもきっちりデータとして示すなど、かゆいところも手が届く作り。これからサウナで気持ちよくなりたい方への入門としてまさにピッタリの作品だ。

サウナという場がもたらす男の裸というヴィジュアルから、“親父の背中”という主題へのスライドも見事だ。サウナで出会った見知らぬ中年(宅麻伸)と死んだ父親の背中が混濁し、時空を超えて“父”からサウナを教わっていく主人公。ようは『孤独のグルメ』のサウナ版だろう、という予想を超えて、ここにはきちんと物語がある。

主演の原田泰造ネプチューン)の小市民然とした佇まいがとても良い。往年よりも脂の抜けたルックスがむやみに美しい。クリーンな印象の衣装やピッタリ揃った長めの前髪も良い。あの前髪が浴場で乱れていくのも、このドラマの見どころだ。抑え目のナレーションのトーンも心地よい。「曲がったーことが大嫌いー、はーらーだたいぞうです!」というあの往年のギャグのテンションを思い出そう。そして、このドラマでの原田泰造を目にすれば、サウナに入ることでの精神の安定というのを、スッと感じることができるのではないだろうか。

最近のこと(2019/04/01〜)


10連休ですね。もちろんうれしいのだけども、この"変わっていってしまう"感覚に精神が疲弊してしまっている。Robag WruhmeというドイツのテクノDJの「Venq Tolep」という曲の美しさに心を慰められています。平成から令和のまたぎのお祭り騒ぎにも、なんだかすごく寂しくなってしまった(SMAPもいないし)。令和になる瞬間は、テレビで爆笑問題太田光の「れいわー」という叫び声を聞いた。実にバカバカしくて、どうでもいい感傷を無化してくれました。どうせなら平成について振り返ろうと思ったけども、膨大過ぎるというか、それはもうほとんど「わたしのすべて」であるということに気づいた。それでもノスタルジックな気持ちで、ポップカルチャー原体験を掘り返してみると、バーコードバトラーⅡとミニ四駆について辿り着いた。



とくにビークスパイダーを愛機として、むちゃんこ肉抜きして、軽量化していた。肉抜きという単語、ミニ四駆でしか使ったことないけども、機械に対して肉という表現をする違和感、ちゃんと飲み込めていたなぁ。トルクチューン派だったかレブチューン派だったかで今一度論争したいものです。さらに記憶を遡ると『仮面ライダーBLACK』(1987)と『仮面ライダーBLACK RX』(1988)があって、私の最初のヒーローはシャドームーンだ。しかし、今なお強烈に記憶の片隅に残っているのは『特捜ロボ ジャンパーソン』(1993)なのです。

どうしても動画が見つからなかったのだけども、本当にジャンパーを着ていて、それを脱ぎ捨ててから戦闘モードに入るのですよ。それがたまらなくおかしくて好きでした。すっかりブルゾンという言葉にとって変わられたジャンパー。死語として消え去ってしまいそうなところを電気グルーヴが「かっこいいジャンパー」という曲で、永久保存してくれたのだ。私はジャンパーという響きが気に入っている。




私立恵比寿中学の「スウィーテスト・多忙」という曲とMVがとにかく好きで、ずっと聞いています。佐藤優介(カメラ=万年筆)の編曲がばっちり。夕方に流れていたアニメを思い出します。西寺郷太NONA REEVES)のリリックも最高で、Sade「The Sweetest Taboo」の響きを下敷きにするというセンスに腰を抜かしました。こちらは『でかどんでん』というシングル盤のカップリング曲。もう1曲のCP「熟女になってもfeat. SUSHIBOYS」もとても良いのですが(みれいちゃんのフロウ)、どちらも3月にリリースされたニューアルバムに収録されていませんでした。

MUSiC

MUSiC

前作『エビクラシー』の超絶的な良さと比べるのは難ですが、「明日もきっと70点 feat.東雲めぐ」「踊るロクデナシ」「曇天」の序盤3曲が狂おしいほど好き。特に吉澤嘉代子がペンを揮った「曇天」はメンバーの歌唱表現力も相まって聞くといつも泣いてしまいます。必聴です。
Ghosts

Ghosts

Steve Haines And The Third Floor Orchestra

Steve Haines And The Third Floor Orchestra

scrambled eggs (スクランブルエッグ)

scrambled eggs (スクランブルエッグ)

ナイトレイン

ナイトレイン

鳥の歌~ホワイトハウス・コンサート

鳥の歌~ホワイトハウス・コンサート

The Songs Of Mann & Weil [Import]

The Songs Of Mann & Weil [Import]

Ennismore

Ennismore

この春はここらへんを愛聴していました。あと、よく聞いているのは今更ながら購入した小西康陽の作品集『素晴らしいアイデア』です。いい買い物でした、新しい地図の「72」が収録されていないのだけが口惜しい。吉村由美「V・A・C・A・T・I・O・N」、深田恭子「キミノヒトミニコイシテル」、小倉優子「オンナのコ オトコのコ」は青春時代、盤で所有するほどにやられていた。今回の作品集での再発見は三浦理恵子「日曜日はダメよ」や和田アキ子「生きる」も捨て難いが、ベストは松本伊代「有給休暇」だ。歌詞もアレンジも素晴らしいが、「良いボーカルとはこういうことだ」と思える伊代ちゃんの歌声。とてもひさしぶりにライブハウスにも足を運びました。RYUTistとayU tokiOのツーマンライブ。2組ともにこの国のポップソングの希望に満ちていた。ayU tokiOはストリングス編成で贅沢なライブでした。RYUTistにもすっかりはまってしまい、音源を聞き漁っている。ポップソング愛好家の方で未聴の方がいたら、ぜひとも「心配性」「素敵にあこがれて」「無重力ファンタジア」の3曲(全部カップリング曲)だけでもチェックして欲しい。

難しいボーカルワークを一生懸命こなしているし、みんないい子そうで好感が持てました。ちなみにわたしはともちぃ推しです。



4月から長野県、山梨県富山県、石川県、新潟県福島県宮城県山形県を駆け巡っています。山、海、川、湖・・・とにかく車窓からの風景が新鮮で、刺激を受けている。特に長野県の4月の気候は素晴らしく、すっかり気に入ってしまった。富山も好き。高岡市では藤子不二雄の聖地。古城公園や高岡大仏を拝み、「ワイの恋人はマンガや」と涙しました。ご当地サウナは、富山の「スパアルプス」と仙台の「キュア国分町」に入りました。旅の疲れを癒すにはやっぱりサウナです。「スパアルプス」の水の良さは、「しぎじ」くらい持て囃されてもいいと思う。出張先のホテルでは寂しさからか、テレビをつけっぱなしにして、普段は観ない番組をたくさん観てしまうものです。ちなみにテレビをつけていて放送していると1番うれしいのは『マツコの知らない世界』です。家で録画してまでは観ないのだけど、ビジネスホテルで観るのにちょうどいいんだよなぁ。そして、自分でも1番謎なのは堺正章が司会の『THEカラオケ☆バトル』をつい最後まで観てしまうことです。全然おもしろくないんだけども。ホテルで『モニタリング』を観ていたら、突然「春日俊彰プロポーズ大作戦」なるスペシャルが始まり、仕事そっちのけで3時間夢中で観た。若林さんもラジオで言ってましたが、あのピアノ演奏のつたなさが良かったですよね。これでもかというほどに泣きはらしてしまった。

サトミツ大活躍やクミさん役を再現VTRの女王こと芳野友美が演じているのも良かったです。『セブンルール』で観て、すっかりファンになってしまったのだ。春日結婚を受けての『オードリーのオールナイトニッポン』が神回続きで痺れている。スペシャルウィークでのかわいくて頭がいい弘中綾香さんも素敵でした。あんな娘に翻弄されたら、さぞかし楽しいのだろう。この世に蔓延る"生き辛さ"と戦うために「革命家になりたい」というパワーワード

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

弘中ちゃんが若林さんにプレゼントしていたエーリヒ・フロム『愛するということ』は私も愛読しています。フロムは『自由からの逃走』もオススメ。ラジオと言えば、『霜降り明星オールナイトニッポンZERO』『佐久間宣行のオールナイトニッポンZERO』『チョコレートナナナナイト!』もローテーションに加わりました。酒井健太さんと"やばたん"の絡み好きです。先週の『アルコ&ピース D.C.GARAGE』でのSOPHIA「街」いじりに転げるほど笑ってしまった。でも、やっぱり「黒いブーツ~oh my friend~」ですよね。はっきし言って最強。




ここ最近の出来事。4月の終わり頃に、ロロ三浦直之、EMCの面々と中野坂上デニーズで食事会をした。カレーと抹茶パフェを食べました。三浦くんの作品を観続けてきて、10年近い年月が経っていて、それなりに面識はあったのだけども、腰を据えて話すのは初めてのことでした。積もる話はあまりにもありすぎて、とても一晩では足りなかった。「すごいよかったです!!」と話しかけたいところを観劇後に三浦くんを見つめる行為で代替していたことがあって、そのことに三浦くんが気づいていてくれていた。わたしたちは"まなざし"で交感していたのだ。サンタ・マリア・ノヴェッラのポプリの香りにすっかりハマってしまい、営業車にも置くことにした。同乗する会社の人達は「何、このいい匂い!?」と腰抜かしてます。その度に私は言うのね、「サンタ・マリア・ノヴェッラだよ」と。なんだかイキっていて、めちゃくちゃダサいですね。香りブームが続いていて、お茶にもハマりたいなと思っています。手始めに、「一保堂茶舗」の極上ほうじ茶をゴクゴク飲んでいます。

一保堂茶舗 極上ほうじ茶200g袋

一保堂茶舗 極上ほうじ茶200g袋

次は夏に向けて、麦茶のちょっといいやつを飲んでみたいと思います。前回も書いたときわ台の「珈夢居」という喫茶店の虜になってしまい足繁く通っている。どの珈琲も抜群に美味しい。ここは甘い珈琲も美味しいので、ロイヤルブレンドをブラックで1杯飲んだ後、追加でウインナー珈琲も頼んでしまう。クリームと珈琲の甘味のマリアージュは脳に響きます。ウインナー珈琲はアイスでも旨い。ぜひとも足を運んで頂きたい名店だ。新しいミニベロを購入してから、休みの日は都内を走り回っている。個人的に第3自転車ブームです。カレー屋かサウナを目的地に定め、途中に気になるお店(おもに古本屋)があったら入って、たくさん寄り道をするのだ。最近は水道橋「桃の実」、幡ヶ谷「うみねこカレー」、下北沢「YOUNG」、豊島園「食堂 八」、要町「かえる食堂」などでカレーを食べました。GWは仲良くしてもらっているミワちゃんとサイクリングもした。リトルトゥースとしてここ最近の放送を聞いたからには「エミール」でシュークリームを食べようじゃないか、と所沢を目指した。西武池袋線沿線は石神井公園あたりからグッと緑が増える。「ほらほら、ここがきっとスネ夫の家のモデルだよ」など適当なことを喋りながらペダルを漕ぐ。大泉学園、東久留米、清瀬、秋津あたりのなんとも言えないNHKジュブナイル感が好きだ。『ストレンジャー・シングス』の日本版のような自転車に乗る少年たちのジュブナイルを撮るなら間違いなくあのあたりがいいと思う。「エミール」のシュークリームは現代的でありながらも優しい味がするハイブリッドなお菓子でした。シュークリームを頬張りながら航空公園へ向かう男の子2人組を見かけたけども、彼らも間違いなくリトルトゥースなんだろう。連休も折り返してしまった本日は『アベンジャーズ/エンドゲーム』を神聖な気持ちで観賞した。最初から終わりまでほとんどの時間、頬に涙がつたっていた。ありがとう、アベンジャーズ。みんなのことがだいすきだよ。この10年は彼らと共にありました。ちなみに3時間20分という上映時間に震え上がったものの、前日からカフェインを控え、水分補給も極力まで絞ることで尿意に打ち勝つことができました。



最近の読書記録。

藤富保男詩集 (現代詩文庫)

藤富保男詩集 (現代詩文庫)

E・ケストナーの人生処方箋 (1985年)

E・ケストナーの人生処方箋 (1985年)

カッレくんの冒険 (岩波少年文庫)

カッレくんの冒険 (岩波少年文庫)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

学校と先生

学校と先生

天国大魔境(2) (アフタヌーンKC)

天国大魔境(2) (アフタヌーンKC)

オススメしてもらった斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(挿絵は高野文子)はあまりの素晴らしさにもう3回は読み直している。笹井宏之の『えーえんとくちから』を監修したのも斉藤倫であったようだ。『えーえんとくちから』と堂園昌彦『やがて秋茄子へと至る』の2冊もずっと枕元に置いていて、短歌や詩の世界の虜になっている。言葉にできないことを言葉にしていく態度にすっかり憧れているのだ。藤富保男の詩集も何が何やらわからないままに、魅せられている。橋本治の『桃尻娘シリーズ』と北村薫の『円紫さんとわたし』シリーズを交互に読み進めていて、こんな贅沢なことってあるだろうか。ちなみにどちらもカバー絵は高野文子が書いている。安心の高野文子ブランド。

ニンゲン観察バラエティ モニタリング『オードリー・春日俊彰のプロポーズ大作戦』

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クミさん。
今までたくさんの手紙をもらってきたけど、今日はじめて手紙を書きます。


昨日、家にある数々の手紙を読みかえしてみました。春日の誕生日、バレンタイン、クリスマス、一ヶ月記念、一年記念、春日が入院したとき、M-1の日。そのどれもが春日に対する気持ちであふれ、体のことを心配してくれ、最後は必ず「また、来年も同じように祝いたい」で終わっていました。


すべての手紙に2人の将来に対してのたくさんの期待が詰まっていました。しかし年々、手紙の数は減っていき、最後の手紙は5年前のことでした。手紙に変わって「結婚のことはどう考えてるの?」というメールになりました。


不安にさせて、悲しくさせて、つらい思いをさせて、ごめんなさい。結婚している友達が多くいる集まりで話に入っていけず、台所で料理をさせるふりをさせてごめんなさい。結婚で何かが変わってしまうのが、怖かったんです。クミさんのことより、自分のことしか考えてこなかったんです。 好きな人の一生を幸せにする覚悟が生まれるのに10年もかかってしまいました。


長い間、待たせてごめんね。これからも携帯をいじって、ハイボールを飲んで、寝るだけかもしれないけれど、焼き肉は絶対食べ放題かもしれないけど、誕生日プレゼントは中古かもしれないけど、ただ温泉に行くとき、たまには特急に乗りましょうか。


この先の普通の日を、一緒に、普通に過ごしたいです。

手紙の中で、2人のラブストーリーが、10年というずっしりと重い大きな時の流れが、「彼女の部屋で携帯をいじりながらハイボールを飲んで、眠りこける」という、とても"小さな"時間に解体されていく。これまで無数に繰り返されてきたそのささやかな時間こそが、何よりもいとおしいものであると、春日は確信しているのだ。食べ放題の焼き肉屋に行くこと、誕生日プレゼントに中古の家電をプレゼントしたこと・・・テレビドラマにはなりえない些細な事象かもしれないが、これらのシーンには、生きていることの喜びや切なさに満ちている。

この先の普通の日を、一緒に、普通に過ごしたいです。

まさに名文である。これを春日が言うから、また良いのだ。常識外れの超人の役割を全うしているオードリー春日が放つからこそ、"普通"という言葉は、何よりも尊く、かけがえのない音として、世界に響いた。いや、逆説的に言えば、カメラの前で超人の仮面をかぶり続けている春日だからこそ、わたしたちが見落としがちな日常のささやかな喜びを見つめ、すくいあげることができたのかもしれない。その前の「たまには特急に乗りましょうか」というラインから、同じ乗り物にって人生を進んで行くという決意のようなものが、鮮やかな直線の運動で浮かび上がってくるところも素敵だ。


手紙の素晴らしさを噛み締めている内に、『フライデー』によって春日の浮気が報道されてしまった。しかし、報道を受けての『オードリーのオールナイトニッポン』での若林による春日の落ち込みようの描写が素晴らしかった。ロケ撮影中も反省からか終始ローテーションを保っていながらも、蔵からキン骨マンとイワオのキンケシが出てきたときばかりは、テンションが上がっていたというくだりには、「坂元裕二のテレビドラマが描いていたのは、人間のこういう側面だよな」と心の中で独りごちた。人間ってみっともなくて、だからこそ愛おしい。