青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

練馬区立美術館『サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法』

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東京都の練馬区立美術館でレイモン・サヴィニャックの大きな展示会が始まった。正直なところ、「いまさらサヴィニャックかぁ」なんてことも思わないでもなかったのだが、これが大いに楽しんでしまった。サヴィニャックの弾けんばかりのポップネスはとびきりに楽しい。そして、そこにまぶされたシニカルとユーモア、物事の本質を大胆かつ繊細に捉えるイメージの跳躍は今なお有効で、観る者の心を掴んで離さないのだ。


練馬区立美術館は西武池袋線中村橋駅*1から徒歩5分。都心を外れた立地だからか、日本でも人気の高いサヴィニャックにも関わらず、客足はまばらだ。おかげで、じっくりと展示を眺めることができて、実に快適。その上、都心の美術館以上の充実した内容なのである。リトグラフによる美しい発色のポスターは、3メートル以上のビックサイズのものまで!貴重な原画やデッサン画を含む展示は全部で約200点。2011年にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された『レイモン・サヴィニャック展』が50点とのことなので、今回の展示の規模の大きさがうかがえるだろう。作品の時系列順ではなく、「動物」「嗜好品」「子ども」といったようにテーマごとに区切られた展示形式は、集中力をグッと高めてくれる。練馬区立美術館で4/15(日)まで開催、その後は宇都宮、三重、兵庫、広島を巡回するそうです。


サヴィニャックがポスターとして手掛ける媒体は、石鹸、ソーダ水、チョコレート、自動車、冷蔵庫・・・といった大量生産される商品だ。それらの広告はやはり大量に刷られ、街のいたるところに貼られていく。今回の展示には、サヴィニャックのポスターが貼られたパリの光景を収めた写真もいくつか内包されている。ちょっとしたエスプリを効かせることで、無機質になりかねない景観を鮮やかに彩っている。改めて魅力を感じたのは、サヴィニャックのその都会的なセンスだ。そのアーバンな感性は、資本主義を謳歌する上で発生する”うしろめたさ”のようなものを解放してくれる。
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たとえば、このマギーブイヨンのポスターはどうだろう。自らの半身で煮込んだスープの香りを実に満足気に嗅ぐ牛。私たちが飲むスープは牛の死体の上に成り立っているのだという本質をつきつけられつつも、その牛のわざとらしいほどの”誇らしさ”にどこか救われてしまう。まったくをもって人間都合の勝手な解釈なのだけども、そのオプティミズムは都市を生き抜く秘訣なような気がしないでもない。というのは大袈裟かもしれない。やはりサヴィニャックの魅力は底抜けの明るさだ。
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果たしてこんなにも楽しいポスターに触れて、ペリエを飲みたくならない人なんているのだろうか!?まったくウキウキしちゃうぜ。

*1:準急や急行は止まらない。余談だが、かつて保坂和志はこの街で暮らしていて、彼のデビュー作『プレーンソング』は中村橋での出来事を綴った小説なのだ。また槇原敬之山田稔明(GOMES THE HITMAN)も若かりし頃、中村橋で暮らしていたらしい。と言っても、中村橋が文化度の高い街なのかというと、決してそんなことはない。本屋は1軒あるかどうかだし、昔はいくつかあった古本屋もすべて潰れてしまった。しかし、この街には素敵な図書館と美術館があります。2つは合築されていて、その間には動物モチーフの大きなアートが点在する緑地スペースがある

今井一暁『ドラえもん のび太の宝島』

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川村元気という海賊による略奪。奪われたのは、藤子・F・不二雄ドラえもん』、ロバート・ルイス・スティーヴンソン『宝島』という児童文学が誇る偉大なフォーマットだ。今作のベースにスティーヴンソンの『宝島』が置かれる必然性がまったく理解できなかった。

映画ドラえもん のび太の南海大冒険 [DVD]

映画ドラえもん のび太の南海大冒険 [DVD]

ドラえもん のび太の南海大冒険』(1998)は、のび太が『宝島』を夢中になって読み、宝探しに強い憧れを持つところから始まる。しかし、今作は出木杉への対抗心から、宝探しを始めようとするわけで、なんというかピントがズレている。果てには、地球エネルギーという大きなSFに飛躍し、『宝島』のマインドは希薄になっていく。また、親子の絆の描写に大きく時間を割いたゆえ、キャプテンシルバー率いる海賊の書き込みがないがしろにされている。どうして現代に海賊がいるのか、何故あんなにも高度な文明を有しているのか、過去の遺産である財宝の価値・・・そういった”すこし不思議(SF)”に対して納得のいくハッタリを埋め尽くすことに注力する、それが藤子・F・不二雄という作家だった。その作業こそが、わたしたちを日常から非日常へと連れ出すための「どこでもドア」だったのではないだろうか。それが設計されていない今作におけるSFはどうにも足元がおぼつかない。



川村元気を戦犯に指名してしまうのはフェアではないかもしれない。わたしたちの”感動したがり”が、あらゆるエンターテインメントを薄っぺらいものにしてしまっていて、その余波が『ドラえもん』にも及んでいるのだ。『STAND BY ME ドラえもん』(2014)はその最たる例だろう。

大人は絶対に間違えないの?
僕たちが大事にしたいと思うことはそんなに間違っているの?

当たり前だろ・・・だって僕はパパの息子なんだから

今作においても、こういった如何にもな台詞にどうしても違和感を覚えてしまう。ここに挙げた以外にも、所謂メッセージ的なものが飛び交い、混線し、そのすべてを味気ないものにしている。そして、感動的な台詞に辿り着くためにお膳立てされた物語は、どうしても貧しい。そんな言葉などなくとも、のび太たちの太古の世界や遥か彼方の宇宙での血沸き肉躍る冒険における決断やアクションの数々は、家族や友人の尊さ、自然や動物への敬意、その他多くのことをわたしたちに伝えてきたはず。



今作は歴代興行収入を更新する勢いの大ヒットを飛ばしているらしい。その一因として星野源による主題歌『ドラえもん』が貢献しているそうだ。たしかにいい曲で、劇場で子どもたちがサビを一緒に口ずさんでいる光景には思わず涙腺を刺激させられた。しかし、やはりこの曲も、わたしたちの”感動したがり”が作り出してしまったようなところがあって、『ドラえもん』という作品の魅力の一要素でしかない”感動”がふんだんに拾い上げられている。

機械だって 涙を流して
震えながら 勇気を叫ぶだろう

中越しの過去と 輝く未来を
赤い血の流れる今で 繋ごう

何者でなくても世界を救おう

う、うるせぇ。ここで、星野源の『ドラえもん』においても間奏でサンプリングされる『ぼくドラえもん』の歌詞を眺めてみよう。作詞は藤子不二雄だ。

あたまテカテカ さえてピカピカ
それがどうした ぼくドラえもん
みらいのせかいの ネコがたロボット
どんなもんだい ぼくドラえもん
キミョウ キテレツ マカフシギ
キソウテンガイ シシャゴニュウ
デマエ ジンソク ラクガキ ムヨウ
ドラえもん ドラえもん
ホンワカパッパ ホンワカパッパ
ドラえもん

そうこなくっちゃ!と震える筆致である。「それがどうした ぼくドラえもん」「ホンワカパッパ ホンワカパッパ ドラえもん」、こういったマインドが貫かれたドラえもん映画の新作が待たれる。

『あいのり:Asian Journey』の異様な魅力について

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『あいのり:Asian Journey』がおもしろい、呆れるほどにおもしろい。ここ数日で食い入るようにして、Netflixで配信済の約20のエピソードを観終えてしまった。必要ないとは思いますが、『あいのり』という番組について念のため説明しておきます。「ラブワゴン」と呼ばれるピンクにカラーリングされた車に乗った男女7人が、様々な国を旅する。その中で繰り広げられる恋模様を見つめていく恋愛観察バラエティ。スタジオのタレントや視聴者は、そこで繰り広げられる出来事のすべてを俯瞰することができ、更にはメンバーの心情や過去のトラウマすら把握できてしまう。すべてのことが手にとるようにわかる。これはまさに神である。しかし、ラブワゴンのメンバーたちは、そんな神々の思考をいとも簡単に飛び越えてくる。突拍子もつかないような行動に打って出ては、わたしたちを驚かせるのだ。まさに筋書きのないドラマ。その行動に対して、「なぜそんなことを言ってしまうんだ・・・」「タイミングを考えろ!」など、呆れたり、笑ってしまったりするともあるのだが、それはあくまで神の視線を手に入れているから。当の本人たちにとっては、それがどんなに小さなことであろうとも、どこまでも真剣なぶつかり合いなのだ。その乖離がたまらなくおもしろい。また、そういった”予想だにしなさ”は、時に涙を誘う。プログラミングされることのない人間の多様性がそこにはあり、もっと大袈裟に言えば、”生命の愛おしさ”のようなものさえ感じてしまうからだ。すべてを掌握している神をも裏切る人間の固有性。それはちっぽけであるからこそ美しい。これぞ人間ドキュメンタリーではないか。「他人の恋愛なんて・・・」という方にこそ、ぜひ観て頂きたい。


かく言う私も、『あいのり』復活の報が流れた当初は、食指が動かずスルーを決め込むつもりだった。MC陣にオードリーとベッキーという考え得る最良のキャスティングをもってしてもである。日常で普通に恋愛ができない人がたくさんいるこの時代に、なんでリア充(≒社会とうまくやっていけそうな人達)の恋愛を見せられなければならないのだ!というのが言い分だった。1999年の番組開始当初は楽しく観ていた。久本雅美の好感度が何故か異様に高かった時代である。恋愛バラエティというものに抵抗がなく、『ウンナンのホントコ!』での「未来日記」なども心から楽しんでいた。しかし、思春期が色濃くなるにつれ、気がついてしまったのだ。自分がどう考えてもモテない側の人間だということに。『あいのり』にも稀に、モテない設定の人物がたまに出てきた。しかし、所詮はTVショーなので、なんだかんだで彼らは洗練されている。なにせラブワゴンに搭乗するまでには厳正なオーディションを経ている。テレビに映るのは、社会から許された者しかいないのである。慌ててテレビのスイッチを消した。とは言え、恋愛戦線にはとても参加できそうにない。共学校ではなかったため、まともな片想いすらできない。私はこのままずっと一人で生きていくのだ(こういった思考の飛躍が思春期というやつだ)。世間一般で言うところの普通のレールから外れてしまったことが苦しくて仕方がなく、恋愛とは何か別の「生きるため」の物差しを探そうと、あらゆるカルチャーを貪り食っていくのであった。そんな思春期の経験は今なおヘドロのようにこびりつき、『あいのり』という番組を私から遠ざけていた。


しかし、それは間違いであった。時代の変化で『あいのり』も変わった。あいのりフリークのベッキーがスタジオで何度も口にしている。確かに、復活した『あいのり』はちょっと一味違う。登場する男性メンバーのほとんどが草食系、これまでに恋人がいたことがないというようなメンバーがラブワゴン内にゴロゴロいる。彼女いない歴28年のシャイボーイ*1というメンバーが旅の途中で、こう漏らした。

恋愛をしてないと馬鹿にされるのはなんでですかね・・・

この恋愛困難な時代に対する、鋭い批評性を持った言葉である。恋愛をしなくてはならないなんてことは決してない。しかし、それでも人はいとも簡単に恋に落ち、その姿は、心のありようは、たまらなく美しい。それをこの番組は教えてくれる。この時代における『あいのり』というのは「恋人を見つける旅」ではなく、「誰かを愛する/愛される人間になるための旅」なのだろう。



恋愛要素以外もとにかく充実している。演出・編集もキレキレ。ナレーション原稿もほどよくシニカルで、練られている。世界各国の事情と比較することで日本という国が抱える問題を浮き彫りにしていくという教育的プラスアルファも、押し付けがましくなく的確だ。そして、24時間行動を共にして異国を旅するという異常空間がもたらす濃縮された青春感。そこで交わされる人と人の生々しいやりとりの数々に、思わず涙腺を刺激されてしまう。もちろんスタジオの空気も素晴らしく、この番組の価値を底上げしている。たとえば、メンバーが不倫経験の過去を語った後のスタジオ。

若林:不倫専門家として、どうですか?
ベッキー:首絞めていい?

オードリー若林が恋愛下手というポジションをとりつつ、ベッキーに恋愛を語らせておいて、ときおりゲス不倫ネタでマウントをとる流れはもはや様式美である。ベッキーに対して終始やんわりと流れている「誰が語ってんねん」という空気も笑ってしまうのだけどそれはさておき、タレントとしての総合能力の高さに改めて唸らされてしまう。若林とベッキーがいれば、VTRに対して視聴者が抱くツッコミポイントをすべて的確に拾ってくれる。この気持ちよさ。「いらんだろ」と思っていたゲストの河北麻友子大倉士門の2人も今では欠かせないピースである。もはやあの2人以外のゲストなんて受け付けれらません。余談ですがスタイリストの癖がすごくて、若林が毎回変な服を着ているのもおもしろいです。とにもかくにも『あいのり:Asian Journey』は必見だ。Netflixに未加入の方は、フジテレビの毎週土曜0:55~1:25(注意:金曜深夜です)をチェックお願い致します。まだ間に合います。

*1:彼の放つ強烈な天使性は番組最大の魅力かもしれない。でっぱりん、アスカ、裕ちゃんも最高

伊藤万理華×福島真希『はじまりか、』

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昨年末に開催された個展「伊藤万理華の脳内博覧会」にて公開されたショートムービー『はじまりか、』がYouTube上で閲覧が可能となった。掛け値なしに素晴らしい8分30秒なのだ。伊藤万理華によるファンやメンバーに対するストレートな愛のメッセージをして*1、「彼女のファンには感涙ものだろう」という感想もわかるのだけども、この『はじまりか、』という作品はなにかもっとこう普遍的な魅力を兼ね添えていやしないだろうか。乃木坂46というグループにまったく興味がないという方にもぜひともご覧いただき、この感動を分かち合いたく思い、少しだけ言葉を添えたい。


まずは、伊藤万理華というアイドルのヒストリーを少しだけ記しておく。2011年の乃木坂46結成当時からのメンバーであり、2017年末をもってグループを卒業している。人気メンバーと言ってしまっていいと思うのだが、おそらく乃木坂46ファン以外には、顔と名前が一致しない存在かもしれない。ムービー内の言葉を借りるのであれば「前から3列目のだいたい端っこ/真ん中にはなれなかったけど/ここが私らしいかなって」というように、センターやキャプテンといった立ち位置ではなく、メディアで目にする機会は多くはなかった。しかし、その類稀なる存在感と表現力は、いつだって観る者の目を惹きつけてきた。歌声は不安定(だが、味がある)で、ダンスの実力は随一。そして、個展を開催するほどの芸術家タイプであり、趣味に「苔 石 鉱物」を挙げるなど、グループ内において最もサブカルチャー的感性をくすぐるメンバーだったとも言える。CDの特典映像として収録されている個人PVでもその世界観はいかんなく発揮されており、「個人PVの女王」とまで冠されてきた。とりわけ、福島真希とタッグを組んだ作品群(『まりっか’17』『伊藤まりかっと。』など)は評価が高く、この『はじまりか、』はその一連のタッグの最高のフィナーレでもある。とにもかくにも、ムービーを観てみて欲しい。

伊藤万理華が、絶え間ないリズムに乗り、ラップとポエトリーの中間のような発話で詩を紡ぐ。乃木坂駅周辺のロケーションを舞い踊りながら、軽やかに移動していく。撮影は1カット長回しだ。突発的なダンスとは無関係に続いていく街の営み、連綿と刻まれていく生の一回性。長回しと”青春”の相性の良さに関しては、いまさら言及するまでもないだろう。リリックの序盤は、「私の青春」と語られるアイドル活動の葛藤が綴られていく。

15の時に乃木坂の オーディションを受けた
まさかの合格!?ハッピー!も束の間
選抜発表で名前は 呼ばれなかった
どうしたらいい?何が足りない?
焦りは空回り まわりまわりぐるぐる巡り


誰かが付けた順番に 泣いて眠れない夜もあった
周りを見ればみんなキラキラ 羨ましいないいないいな
でも違うんだ それはあの子だから出来ること
私にはできない ひとりひとりの眩しい輝き
ようやく認めた時に 何かが開けた!

それは”青春”という期間の普遍的な悩みのようでもある。自分という在り方の固有性を認め、その悩みを脱却していく。そして、リリックはありのままの自分を肯定してくれたファンへの感謝へと移行していく。

ファッションも趣味も全然 アイドルぽくなくて
こんな変な私だけど 見つけてくれてありがとう
どうして私を選んだの?
どこから巡って辿り着いたの?
どうしてそんなに優しく笑ってくれるの?
あの時あなたが手を 差し伸べてくれた
あなたの言葉にたくさん 支えられてきた
見ていてくれた
ブログ読んでくれた
コメントくれた
声援くれた
りっかタオル
緑と紫のサイリウム
ありがとうありがとう 全部全部ありがとう
会いに来て手を繋いでくれて ありがとう

アイドルとファンの間で結ばれる、か細くて小さい、でも確かな関係性。一度でもアイドルを応援したことのある者であれば、涙を禁じ得ないエモーションが、たしかにある。しかし、ビートが熱を帯びていき、流麗なストリングが空間を支配し始めると、そのミクロな関係性は、何か大きな流れと交差し始める。「見つけてくれてありがとう」という言葉が、より大きな力を纏いはじめるのである。

緑と紫のサイリウム
星みたいですごく綺麗だった
広い宇宙にあなたと私
ここで出会えた奇跡に ありがとう

そう、その詩情は”宇宙”へと広がっていくのだ。広い宇宙に、たった1人ぼっちで生まれて死んでいく寄る辺なさ。そんな人間という生き物の持つ”寂しさ”が、「1人のアイドルのグループからの卒業」という現象と結ばれていく。だけど、遠くのほうで誰かが、見てくれている気がする。その「終わり」を最後まで、見届けてくれる人がいる。もしそうであるならば、伊藤万理華(≒わたしたち)の、儚い生と死は、光の中で大袈裟に祝福されてしまうだろう。ハッピー・バース・デイ&ハッピー・デース・デイ。演劇に関心がある方であれば、お気づきだろう。この『はじまりか、』というショートムービーは、劇団ままごとの『わが星』(第54回岸田国士戯曲賞受賞作)という作品と、ラップとダンスというフォーマットを含め、多分にフィーリングを共にしているように思う。
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『わが星』では、”ちーちゃん”という1人の少女の一生が、地球の誕生と滅亡とに重ね合わせられている。そして、その一生を遠くから望遠鏡で観察している”誰か”がいる。眠りに着く前のたまらない寂しさの中で、ちーちゃんは言う。

ねぇ、手、つないでもいい?

アイドルビジネスの悪しき象徴になってしまった「握手会」という現象が、あまりに詩的に生まれ変わってしまう!会いに来て、手を繋いでくれて ありがとう。そして、差し出されたその手は、途絶えることのないそのリズムの上で、私たちをダンスへと誘う。定められた終わりまでの束の間の永遠、どうか私と踊りませんか?そんな風にして、伊藤万理華は今日も跳ねていくのだ。

*1:「大好きな、大好きな、大好きなメンバー、みんな凄くない?最高じゃない?」の振り付け、最高!!!

最近のこと(2018/02/01~)

一旦書くのを緩めると、まっこと億劫になるのがこの「最近のこと」なのです。書きそびれがあまりにも膨大なので、一日ごとに振り返るスタイルは放棄して、ざっくりと備忘録を記していきたい。2月はもうオリンピック一色である。ウィンタースポーツには興味がないのだけども、ピョンチャンという響きは何回聞いても飽きずにかわいいと思えます。ちなみに、ピョンチャンから連想されるのものは、ウサギさん派/カエルくん派に分かれて、カエルくんを思い浮かべたあなたは気が優しいらしい。4年前の”ソチ”という雅な響きも好きだった。あと、やっぱりトマス・ピンチョンの響きも好き。


ウィンタースポーツに興味がないと言っても、男子フィギュアスケートだけはさすがに家のテレビで観た。友達と家に集まって、ピザとコーラを囲みながら観た。あの時のアタシったら綾瀬はるかそのものだったな。大切な相方である佐藤哲夫パンクブーブー)を、きこりの泉に落っことしてしまった黒瀬純が正直者だったら、”綺麗な哲夫”として羽生結弦が差し出されるんじゃないだろうか、と友人たちに力説してみたのですが、誰もがすっごい剣幕で否定してくる。羽生くんは聖域なのだ。Twitterでつぶやいたらどうなるのだろうか、と試してみたのですが、武闘派の羽生ファンには届かなかったようで、怒られませんでした。あと、女子カーリングの「そだねー」はまんまとかわいい。本当にかわいい。糖分補給タイムとかかわいいものだけで構成されたスポーツだ。ルールは全然わからないのだけど。


オリンピックはサウナのテレビでボーっと観る。その度に「この世にこんなスポーツがあるのか」と新鮮に驚いてしまう。2月のベストサウナは鶯谷の「サウナセンター大泉」です。100℃のサウナ(セルフロウリュウ可)、15℃の水風呂(攪拌なし、塩素臭なし)という都内最良と言っても大袈裟ではない設備で、1セット目からいとも簡単にととのう。全身が”あまみ”だらけになって、極上の睡眠を得ることになりました。場末の雰囲気に耐えられるのであれば、鶯谷であれば「萩の湯」ではなく、「サウナセンター大泉」を訪ねてみて欲しい。いつの間にか、東上線沿いの大山「クアパレス藤」がリニューアルオープンしていた。元々、檜の香りのする110℃近いサウナを有する優良銭湯だったが、サウナの良さはそのままにすっかりスタイリッシュな内装に生まれ変わっていた。テレビなしで、90年代J-POP有線が小さく流れている。汗をかきながらの、シャ乱Q小室ファミリーが染みた。外気浴スペースは椅子が2つに、植物や扇風機まで。水風呂が20℃ほどで物足りないだけが難か。2月に新しく尋ねたサウナは「綱島源泉 湯けむりの庄」だ。黒湯の温泉が有名な施設で、なんと水風呂も黒湯を使用。ヌメっとしているが気持ちい。しかし、サウナが80℃ほどでなかなか身体が温まらず、苦戦を強いられた。温泉はいいし、外気浴スペースも充実しているし、ご飯も美味しいし、スーパー銭湯好きには申し分ない施設だと思う。でも、とにかく混んでいる。



今月最も記憶にこびりついているのは、Father John Mistyのライブである。完璧なソングライティングと壮大なサウンドスケープだけでも最高なのに、ずっと観てたいと思わせるゴージャスな身体性と優雅な所作でもって、完全にその存在は神に格上げされました。ジョシュ・ティルマン、マジ神!(『勝手に震えてろ』のヨシカちゃんに捧ぐ)

ライブ前に「名曲喫茶ライオン」で時間を潰して、「喜楽」でワンタン麺を食べた。ラブホテル街である渋谷百軒店の正しい過ごし方。「名曲喫茶ライオン」は行くたびに感動してしまう。なんで並ばず入店できて、混んでもいなく、珈琲1杯5~600円で過ごせてしまうのか。2,000円くらいとっても、バチは当たらない気がするのだけども。ちなみに坂元裕二の『カラシニコフ不倫海峡』で打合せ場所に指定されていたが、あのお店は多分私語厳禁なので、会話はできない。爆音で音楽鳴ってるから聞こえねえよ(©ゆらゆら帝国)というギャグなのかもしれない。綱島にあるレコードと家具のお店&カフェである「R」で開催されたhi,how are you?原田晃行のカセットリリースワンマンショーにも行ってきた。原田くんは天才で、この日もやっぱり天才的にいい曲ばかり歌っていた。そして、全然天才ぽくないところがかっこいいのだ。今回リリースされたカセットも最高。

私のカセットデッキイカれていて、テープが伸び切ったような音しか鳴らず、何を聞いても信じられないほどのサイケになってしまう。ソロ名義で出した曲、そろそろまとめて欲しい。ライブ前に、綱島の駅近くにある行列のできるコッペパン屋さん「パンの田島」でコッペパンを買い込み、公園のベンチで食べた。苺ジャムピーナッツコッペという数奇なメニューが人気らしく、食べてみたのだけど、意外と喧嘩せずに調和していた。別々に食べたほうが美味しいような気もするし、たまらなく癖になってしまうような気もする不思議な味だった。ハムカツとかコンビーフポテトといったオカズ系のコッペパンがとりわけ美味しかった。ときに、私の中でKANブームが巻き起こっている。

めずらしい人生KAN1987?1992

めずらしい人生KAN1987?1992

『めずらしい人生』というアルバムを買って車で聞いてたら、胃もたれするほどに名曲しか入っておらず、「ベスト盤並だろこれ・・・」と思っていたら「愛が勝つ」が流れてきたのでベスト盤と気づいた。「愛が勝つ」が収録されているアルバムが『野球選手が夢だった』であることは知っているのだ。「こっぱみじかい恋」と「言えずのI Love You」などは「愛が勝つ」の10倍売れて欲しい名曲だ。
TOKYOMAN

TOKYOMAN

弱い男の固い意志

弱い男の固い意志

続けてオリジナルアルバムの『TOKYO MAN』『弱い男の固い意志』を聞いたら、どちらも素晴らしかった。今年はKANのコンサートに行ってみたいと思う。小沢健二の『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』はいい曲だ。「下北沢珉亭ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠」という詩、韻の響きが素晴らしい。詩だ、と思う。『ミュージックステーション』は満島ひかりが全身全霊で美しくて、その記憶ばかり残っています。




『人生フルーツ』をひさしぶりに観て、あまりに良くてポロポロ泣いた。昨年のベスト1かもしれない。テレビで放映されたのを録画してあったので、1日3分というようなペースで再び見直している。その豊かさには、飽きることがない。津端修一さんのコックピットのような書斎に憧れて、机を本棚に囲まれるように配置してみた。凄く居心地が良い。2月に観た映画で特に素晴らしかったのは『スリー・ビルボード』と『パディントン2』だ。とりわけ『スリー・ビルボード』はもう2018年のベストで良い。あまりにも凄すぎて、何度も涙ぐんでしまった。これは坂元裕二にいつか書いて、撮って欲しいフィルムみたいだ、と思った。マーティン・マクドナーという才能をまったく存じ上げていなかったことを恥じ、これから勉強してまいります。




2月と言えば、松本壮史×三浦直之によるインスタドラマ『それでも告白するみどりちゃん』も素晴らしかった。主演3人の瑞々しさと演技勘の良さ。いつか3人ともロロの公演に出てくれぬものか。しかし、松本作品はいつも役者が良い。松本壮史の演出マジックがどうなっているのか、まことに知りたいものだ。思わず『デリバリーお姉さんNEO』と桜井玲香個人PV「アイラブユー」も観直してしまった。岩井堂聖子桜井玲香も是が非でも三浦直之の舞台で観てみたい。あらためて、桜井玲香さんが本当に好きだなと思ったので、『桜井玲香の推しどこ?』と『悲しみの忘れ方Documentary of 乃木坂46』も観直しました。「生駒さん、ありがとう」という気持ちになった。あと、Netflixで『美味しんぼ』のアニメ観るのが何よりの楽しみで、今年に入ってすでに30話くらい観てしまった。適当にながら見できるのが最高なのだ。オープ二ング曲が「Dang Dang 気になる」に変わる24話あたりから、山岡さんの性格がグッと柔らかくなった気がする。『美味しんぼ』はシティポップリバイバルの波に乗って、デジタルリマスターされたって噂は本当なのだろうか。



最近思ったことの詰め合わせ。温かい飲み物では喉の渇きは癒せない、という考えが抜けない。すごく子どもっぽいと思う。温かいお茶だけで喉を潤せるようになった時、私は「大人」になれるのかもしれない。神保町の「ボンディ」のカレーは本当に美味しい。古本屋巡りの終着点は、たいてい「ボンディ」のビーフカレーだ。土日などはひどく並ぶが、それでも食べたい、と思う。そんな折、家から自転車で10分ほどのところに、「ボンディ」の姉妹店「インディラ」があることに気づいた。今の家に住みだしてもう5年ほど経つのに。そんなに近くになるならば、1年に20杯は食べるとして、100杯のボンディの損失だ。「インディラ」はまったく並ばずに、本店に比類するカレーをやや安価で食べられる。ちなみに、付け合わせのジャガイモは本店より1個少ない。
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チキンカレーは本店と同様にきちんと皮を香ばしく炙ってある。まったく気負ったところのない昭和レトロ喫茶という佇まいも最高だし、何より店員さんの感じが凄く良い。こんなお店が近所にあるというだけで引越さない理由になるな、とすら思った。



書くよりも読みたい、というモードに入ってしまい、本屋/古本屋を駆けずり回っては乱読・積読している。最近読んで特におもしろかったもの。

東京の昔 (1974年)

東京の昔 (1974年)

恋愛論

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幸福の擁護

幸福の擁護

生きるかなしみ (ちくま文庫)

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吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

月夜のみみずく

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ジャイアント・ジャム・サンド (えほんライブラリー)

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こんなおみせ しってる? (かがくのとも絵本)

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たべるトンちゃん

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サンタクロースにインタビュー

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ぼくの宝物絵本 (MOE BOOKS)

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3びきのこぐまさん

3びきのこぐまさん

クルミわりとネズミの王さま (岩波少年文庫)

クルミわりとネズミの王さま (岩波少年文庫)

ゆかいなホーマーくん (岩波少年文庫 (017))

ゆかいなホーマーくん (岩波少年文庫 (017))

やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))

やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))

無名の人生 (文春新書)

無名の人生 (文春新書)

死にたい夜にかぎって

死にたい夜にかぎって

ここは、おしまいの地

ここは、おしまいの地

HUNTER×HUNTER 35 (ジャンプコミックス)

HUNTER×HUNTER 35 (ジャンプコミックス)

二匹目の金魚

二匹目の金魚

他にもたくさんあるのだけども、ちょっと限がないのでやめておく。池袋は文化不毛の地と思っていたが、「古書 往来座」「八勝堂」「夏目書房」という3軒の古本屋の品揃えにはワクワクさせられる。しかし、「八勝堂」が2月いっぱいで閉店。現在は半額セールを開催中である。何回か通い、武井武雄初山滋の画集、映画や哲学の本を大量に買い漁ってしまった。あまりに興奮してしまい脳に後遺症が出ていて、最近は値札を見ると、つい半分に計算してしまう癖がついた。「あっ、ここは八勝堂じゃなかった」と現実に戻り、改めて値段を確認すると、なにやらひどく高値に感じてしまうので、困っている。貴重本を除き、古本というのはだいたい安い。「ああ、さすがに今月は買い過ぎてしまった!!」とおそるおそるクレジットカードの明細を確認してみても、ちょいと上着なんぞを買った月などに比べれば、安くて驚いたりする。服を捨てよ書を買おう、だ。「なんとなく本を読みたい」というあなたにまずオススメしたいのは、A・A・ミルンくまのプーさん』とエーリッヒ・ケストナー飛ぶ教室』という2冊の児童書だ。
クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

飛ぶ教室 (岩波少年文庫)

飛ぶ教室 (岩波少年文庫)

ブックオフで100円とか200円ですぐに見つかると思うので、ぜひとも読んで、感想を教えてください。