青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ロロ×キティエンターテインメント『父母姉僕弟君』

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一度生まれた”好き”は消えない

故に、かつて発生した感情は、確実に未来へと繋がっている。古今東西のあらゆるボーイミーツガールを摂取した三浦直之が辿り着いたこの信念は、この『父母姉僕弟君』においては、”生まれることのなかった”子どもさえをも舞台の上に召喚させてしまう。報われなかった恋のありえたかもしれない未来すら祝福する。過去と現在と未来に発された”アイラブユー”が等しく光り終幕を迎える、ロマンティックが爆発した本作は、ロロ最高傑作との呼び声にどこまでもふさわしい。しかし、完璧なラストに辿り着くまでの、そのあらすじのとっ散らかりに度肝を抜かれた観客も少なくないのでは。*1捻じ曲げられた時間軸、揺らぐ生死の境、積み重ねられる引用、突如挿入される「We Are The World」の合唱、そしてエノモトキハチが繰り広げる野球談議(強烈な高橋源一郎優雅で感傷的な日本野球』のオマージュ)・・・多くの観客を置いてぼりにしたであろうこれらのファクターは、それでいてやはり『父母姉僕弟君』に欠かせないピースだ。仮にこの作品を、スマートに簡潔に仕立てあげたとして、果たしてあれほどの感動を生み出しただろうか。答えはNOだろう。ある種の荒唐無稽さの中でしか、この虚構にまみれた世界の真実は浮かび上がらない。そして、本当に伝えたい大切なことは、できるだけ複雑に、遠回りを重ねながら語られるべきなのだ。


この作品の持つ歪さ、その複雑に枝分かれした細部は、無関係である登場人物たちを魔術的に結び付けている。西部劇狂いの男、もう死んでしまった女、獣の腕を生やした孤児、生まれなかった男の子、常軌を逸したまでに都合のいい女、ベースボールに憑りつかれた男女、身体に猫を飼う老婆、の飼い猫になってしまうダンディな父・・・華麗なまでに世界から逸脱した奇人たち。物語は、等しく現状に混乱している彼らを強引に結びつけることで、一つのコミュニティとして連帯させていく。その繋がりの中で、孤独な魂たちは、ほんの束の間ではあるが、優しく慰められていく。その手つきはいささか乱暴ではあるが、「単なる血の繋がりなど何の意味があろうか」という疑似家族の形成には、坂元裕二是枝裕和の作品群との共鳴を覚えてしまう。三浦直之が、2012年にすでにこの物語を献上していた事実を称えたい。


作品と役者の幸せ過ぎる関係性にはひたすら舌を巻しかない。どこでもない場所から声を発しているかのような天使・天球がベスト島田桃子であるのは言うまでもあるまい。キッド(亀島一徳)の体現するポップでダンディなもの悲しさ、浮世離れした「なんでやねん」を貫き通す重樹(篠崎大悟)の尋常ならざるタフさ、不条理をいともたやすく受け入れる仙人掌(望月綾乃)のスケール感、既存のコメディリリーフ役を軽々とこなしてみせる森本華の器用さ・・・そして、劇団員以外の助演役者も全員が全員素晴らしい。まさに充実期を迎えるロロは、9月にvol.13『BGM』上演、11月に『父母姉僕弟君』の再演、そして来年1月に2010年作『旅、旅旅』を大幅にリテイクしてvol.14『マジカル肉じゃがファミリーツアー』として上演予定と、これまでにないハイペースを継続中だ。これらは「旅シリーズ」として三部作に括られているらしい。では、ロロにおける”僕らが旅に出る理由”とは?そのヒントとして、ナタリーに掲載された三浦直之のインタビューを引用したい。

震災と津波によって、僕が小学3年生まで住んでいた宮城県の女川はほとんどなくなってしまったんですよね。震災後、女川に戻ってかつて住んでいたアパートから海まで歩いてみたんですが、津波で流されてしまった場所を見ても何も思い出せなかった。その時に、記憶は自分の内側じゃなくて外側にあると気付いたんです。そのことを最初に扱ったのが「父母姉僕弟君」でした。

記憶というのは私たちの内側にあるのでなく、景色や建物もしくは他者といった外部に宿る。であるならば、外へ飛び出すしかあるまい。思い出を刻むため、もしくは、漂う記憶をかき集める為に。『父母姉僕弟君』は、シンプルにレジュメしてしまえば、死んだ妻との記憶を辿る旅を綴ったロードムービーだ。出会いの瞬間に立ち戻る為、記憶を反芻しながら、ハンドルを握る。奇妙な繋がりをそこら中にだらしなく結び、キッドの旅は続いていく。



私たちの記憶は自身に内包されているのでなく、外側に宿っている。であるから、ひょんなことで、場所や人が消えてしまうと、その記憶がどんなに大切なものであろうと、それは徐々に薄れていってしまう。その残酷さに、どうにか抗うことはできないのか?キッドは、その問いへの答えを、旅の果てに獲得する。

今は、もうなくなっちゃったかもしれないけど、かつてほんとにあって、そのかつてが、今とこれからに繋がりますようにって祈りながら、俺はこうやって、しゃべり続けてて、俺がいつか忘れてしまっても、どこかにそのかつてが生き残りますようにって、俺の知らないところでもたくさんのかつてが生き残りますようにって、祈って祈って、描写して描写して描写して描写して……

忘れたくない天球との出会いの場面を、持ちうる限りの語彙を駆使して、できるだけ詳細に、ヴィヴィッドに描写してみせる。どんな方法だっていい。文章にしたためるでもいいし、誰かに語るでもいいし、歌に、絵に、写真に、映画に、三浦直之のように演劇に託す人もいるだろう。とにかく何かしらの方法で、想いや感情を保存する。もしかしたら、それは大袈裟に美化され、事実とはかけ離れたものになるのかもしれない。しかし、それらはいつしか”物語”と呼ばれ、遠い見知らぬ誰かに届くかもしれない。三木道山のリリックや武田鉄矢の慟哭が、この『父母姉僕弟君』に結びついたように。この途方もない事実だけが、容赦のない忘却の切実さを、そっと慰めてくれるだろう。『父母姉僕弟君』という作品は、”アイラブユー”を信じ抜いた三浦直之からの、何かを懸命に紡ぎ続ける人々への賛歌でもある。



<余談>
5年ぶりに再見して、自分が改めてこの物語にとてつもない影響を受けていることを痛感した。おそらく『父母姉僕弟君』という作品に出会っていなければ、このブログを7年も続けることはなかっただろう。なんでブログを書くの?と聞かれたら、どう答えよう。照れ隠しで、「備忘録です」って言ってしまう気もするが、実はもう少しロマンティックな情景も密かに描いている。私が抱いた”好き”とか”おもしろい”とか”美味しい”とか”楽しい”って気持ちを、忘却に飲み込まれる前になるべく詳細に文章で冷凍保存して、ネットの海に放り投げる・・・それを見知らぬ誰かがたまたま拾って、受け取って、そこからまた何か始まっていく。そんな物語を夢見ながら、今日もキーを叩くのだ。

*1:5年ぶりに再見した印象としては、まったくとっ散らっていなくて、こんなにしっかりした作りだったのか!?と驚いたのだけども

ザ・ダファー・ブラザーズ『ストレンジャー・シングス』シーズン2

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どこか世界から虐げられたような者たちが、悪戦苦闘しながらも、彼らなりの”正しさ”でもって、物事を良き方向に物事を推し進めていく。そんな物語にたまらなく惹かれてしまう。これはもう、世界中の”子どもたち”がそうであるように、スティーヴン・スピルバーグに刷り込まれた影響に他ならないだろう。『E.T.』『グレムリン』『グーニーズ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フック』・・・・スピルバーグ率いるアンブリン・エンターテインメントが制作したマスターピース群が持つ魅力は、映画の魔法とイコールだ。暗がりで見つめるその光は、根源的に孤独な私たちの魂を、どこまでも慰めてくれた。VHSが擦り切れるまで再生し続けた幼少期から幾十年、ストリーミングサービス全盛の現在においても、その魔法の眩しさへの飢餓感は満たされることを知らない。そして今、私たちには『ストレンジャー・シングス』という物語がある。この幸福をどう言葉にすればいいことか。愛すべき変わり者なティーンたちが、状況に応じた適切な判断と行動でもって(まるで「ドラゴンズレア」や「ディグダグ」でハイスコアを叩き出すかのように!!)、奇妙奇天烈に捻じ曲がった事象を、あるべき方向に導き、報われていく。まさに、あのアンブリンの黄金期の質感を携えた最新のジュブナイル。アンブリンからの影響のみならず、挙げられば限がないほどに、古今東西あらゆるカルチャーをツギハギにして作り上げたフランケンシュタインのような怪物、それが『ストレンジャー・シングス』だ。かつて輝かしい過去があって、その光が未来すらも照らしていく。その途方もない事実に、私はひどく勇気づけられてしまうのだ。
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さて、ここからはシーズン2のネタバレを放り込んでいきますので、『ストレンジャー・シングス』を未見の方もしくはNetflix非契約者はそっとタブを閉じてください。再会を祈る。あまりにパーフェクトな筋運びなので、本来ならば1話ごとにじっくり掘り下げて(ディグダグのように!)書くのがふさわしいのですが、時間と体力がないので、ざっくり書かせて頂きます。



暗がりに光を照らすようにして、懐中電灯やヘッドライトがかざされ、冒険が始まっていく。シーズン1の怪物”デモゴルゴン”は、あくまで群れの中の1体でしかなかった。シーズン2でウィルを苦しめるのは、デモゴルゴン達を自在に操るシャドウモンスター。デモゴルゴン同様に、子ども達の心の闇につけ込むやっかいな”裏の世界”の生命体。シーズン1を覆っていた暗がりは、”損なわれた父親からの愛情”というモチーフに代表される寄る辺ない孤独であったが、1年という歳月を経た子ども達は、当然のように成長している。みんなこぞって色恋沙汰に夢中。奇怪な死亡事件から謎の生還を遂げクラスメイトから”ゾンビ小僧”と揶揄されるウィルも、何より気になるのは。「女の子にどう思われるか」だ。そんな思春期まっさかりのウィルにとって、学校に送り迎えをする過保護な母親が、恥ずかしくて煩わしい。迎えに現れた母親の元に向かう廊下で、ウィルに向けられる好奇な視線。あのシーン、よく観てみると、何故か女の子しかない。つまり、あれはウィルの心象風景で、中二病的な被害妄想なのだろう。自分でも理解しがたい感情や現象に、「自分は怪物なのではないだろうか?」とさい悩まされる。エルもまた自身の能力を持て余し、と同時に嫉妬ややきもちといった感情の芽生えに戸惑う。そう、シーズン2における心の闇は、”思春期”という名の怪物だ。そして、自分が怪物ではないことを証明せんとするかのように、誰もが誰かを求める。ハイティーンの3人は、何やらややこしい三角関係を継続中で、ダスティンとルーカスは謎の転校生(その名もマッドマックス)にぞっこん。マイクはエルの失踪を引きずっていて、繋がるはずのないトランシーバーに応答を呼びかける毎日。

聴こえるかい エル?
僕だよ マイクだ
352日目 午前7時40分
まだ待ってる
いるなら答えて
合図でもいい 黙ってるから
無事か知りたい
・・・バカだな

ソフィア・コッポラが『ヴァージン・スーサイズ』で使用していなければ、間違いなくトッド・ラングレンの「Hello, it's me」が流れていたことだろう(あの曲は70年代だけども)。あぁ、残酷な運命に引き裂かれた2人。このエルとマイクのみならず、『ストレンジャー・シングス』においては、互いに強く惹かれ合いながらも”結ばれない2人”という古典的なモチーフが数多に点在している。ナンシーとジョナサンもしくはスティーブとナンシー、あるいはダスティンとダルタニアン。思春期などとっくに通過したはずの大人たちも、子どもらに倣うようにして、同様の関係を構築している。『ストレンジャー・シングス』に登場する大人たちは誰もが混乱し、大人になりきれない”子どもたち”だ。ジョイスとホッパーもしくはジョイスとボブ*1は、互いこそが欠落を埋めるパートナーだとわかりながらも、離れ離れになっていく。埋められそうで、埋まらない孤独。この胸を掻きむしるような根源的な”切なさ”が本作の人気を決定づける最大の秘密ではないだろうか。



そんな”切なさ”に抗うかのようにして、『ストレンジャー・シングス』においては、スピルバーグ映画がそうであるように、血を超えたいくつもの疑似家族関係が結ばれていく。シーズン2のその代表として、”父と娘”としてのホッパーとエル、”姉妹”としてのカリとエル、“兄弟”としてのスティーブとダスティンが挙げられる。とりわけ、すべての孤児の父であらんとするホッパーの父性が涙腺を刺激する。そういった親密な関係が結ばれた時、心に宿る炎こそが、怪物を追いやる力に他ならない。ウィルに憑りついたシャドウモンスターを追い払ったのは暖炉やヒーターなどの熱、デモゴルゴンを倒したのはガソリンに引火した炎であった。前述の色恋沙汰も含め、Light My Fire”ハートに火をつけて”、これがこのシーズン2のメインモチーフといっていいのでは。



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ラストのスノーボール(クリスマスに開催されるダンスパーティー)のシーケンスはとびきりキュートでエモーショナル。『ストレンジャー・シングス』はスピルバーグであるのみならず、ジョン・ヒューズの不在すら埋める。兄貴スティーブのイカした髪型の秘訣を伝授されたダスティン。

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『プリティ・イン・ピンク』のダッキーばりに決め込んだタキシード姿でダンスホールへと参上する。しかし、想いを寄せていたマックスはルーカスをパートナーに選び、他の仲間たちも続々とダンスの相手を見つけていく。果敢にも女の子たちにアプローチをかけるも、その誰からも邪険にあしらわれ、とうとう泣きだしてしまうダスティン。その姿を見つめていたナンシーがダスティンをダンスに誘い出す。

音楽を感じて
リズムに合わせて身体を動かすの


マイクの友達の中でもあなたは私のお気に入り 
ずっと前から
あの年の女子はバカなの 
数年すれば賢くなるから 
あなたの魅力に気づく 
絶対よ

ダスティンの(そして、イケてない奴ら”グーニーズ”である我々の)魂と尊厳を救済していく。まさにスピルバーグ的、ジョン・ヒューズ的手さばき。そして、このシーケンスを感動的にしているのは、ダスティンがキングスティーブと同じ髪型をしている点にあるだろう。ダスティンとスティーブという存在は混濁している。つまり、ダスティンがステップを刻む時、ナンシーを失ったスティーブの魂もまた救済されているのだ。誰も知りえないところで。

*1:余談のようで余談ではないのだけど、あの我らが小市民ボブが、『グーニーズ』の主人公・喘息マイキーであったという事実に胸が震えてしまう f:id:hiko1985:20171113132553j:plain

新しい地図『72時間ホンネテレビ』

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毎日みんなで口にするのは「ああ あいつも来てればなぁ」って
本当に僕も同感だよ それだけが残念でしょうがないよ


スチャダラパー「彼方からの手紙」

そこに”いない”と感じるってことは、実はむちゃくちゃ”いる”ということなのだ。『72時間ホンネテレビ』は3人としてスタートを切る番組ではなく、どこまでも5(6)人を諦めない、という意志のように思えた。ちなみに、上に引用したスチャダラパーの「彼方からの手紙」という曲はこう締めくくられる。

ぼくはすべてを把握した
ここにこなけりゃぼくは一生 わからずじまいで過ごしていたよ
あんがい桃源郷なんてのは ここのことかなってちょっと思った
君もはやく来たらと思う
それだけ書いて筆を置く

まさに桃源郷のような3日間だった。もちろん、72時間の内、8割方は既存のテレビ番組の冴えない企画の焼き増しで、「地上波放送じゃできない」という謳い文句は決して適切ではない(地上波のテレビだってまだまだおもしろいし、進化は止まっていない)。ふさわしい文句は「地上波ではできない」ではなく、「ジャニーズ事務所にはできない」だろう。さしておもしろくはない企画の数々が視聴に耐え得たのは、稲垣、草彅、香取の3人の心から番組を楽しんでいる、その活き活きとした表情に他ならない。あれだけで、全部オーケーになってしまう。死んだ目でオーダーをこなす料理人もしくは“ジャニーさんに謝る機械”であった2016年の彼らが、息を吹き返したように、人間の顔をしている。それだけで尊いではないか。もちろん、日本人のマインドに深く刻まれている判官贔屓の精神も巧妙にくすぐられてしまう。まさに華麗なる逆襲である。とにもかくにも、こっちはこんなにも楽しい。「ああ あいつ(ら)も来てればなぁ」って。


この番組の見所は、オープニングパーティーでの爆笑問題の暴走、森くんとの21年ぶりの共演、72曲ホンネライブ、森くんのメッセージを受けての稲垣吾郎さんの涙、この4つ。最初に書いた8割以外の2割である。特に異論はあるまい。個人的にもう1つ挙げるのであれば、最後に流れたゲストVTRでの「次は720時間テレビでお会いしましょう」というウド鈴木(キャイ~ン)の剛速球なパワーボケでしょうか。「96時間で」というような安いボケがかぶっていた後なだけに、痺れました。

爆笑問題異常な愛情>

番組の開始は何やら間延びしたパーティー。爆笑問題がいなかったら、とても観てはいられなかったことだろう。「おい、飯島呼べ、飯島」「木村ァ、見てる?」なんて風に、この番組に視聴者が期待していることをサラリとやってのける太田光。毒の中に、SMAPへのとびきりの愛情がまぶされている。特に好きだったのは

太田「おれ、酔ったら脱いじゃうよ」
草彅「それ僕です」

というくだり。あと、田中裕二が3人と同じくジャニーズ事務を独立した田原俊彦の「ハッとして!Good」をカラオケで披露したのが、「ウーチャカがただ歌いたかっただけ」という感じも含めて最高だった。


<森くんのとの21年ぶりの共演、稲垣吾郎さんの涙>

「その手があったか」という感じだし、スタジオに森くんを迎え入れるのでなく、3人がはるばる浜松のサーキット場に出向いて、森くんと再会するというのが、もう絶対的に正解。とびきりの青春映画みたいだった。
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レース前の試走に登場した森くんの姿を遠くから見つめて涙ぐむ慎吾ちゃん、再会シーンの4人での抱擁、4人でゆっくりとサーキットを一周するアンビエンス、青春時代の暴露トーク・・・良かったところを挙げろと言われても、とても書き切れない。だってもう、部屋に差し込む夕陽とか、響いてくるエンジンの音色とか、そういう自然発生的な細部すら全部よかったではないか。あと、やっぱり森くんの声と話し方が、なつかしくて、かっこよくて、優しくて。もう「大好き」となってしまった。最後のトークの舞台は整備場。座を囲む4人の後ろで、4人のことなんてまるで気にかけていない素振りで作業を続けるレーサー達。スーパースターが群衆に溶けていくような感触があって、SMAPの青春の、その普遍性が際立つ。番組のラストを飾った森くんの「これからも、ずっとずっと仲間だから」というまっすぐなメッセージを受けて、涙を流す稲垣吾郎さんの姿も胸を打つものがあった。一連の騒動で、ずっと感情の読めなかった人の仮面が割れていくのを見るよう。そもそも、稲垣吾郎さんがこちら側にいるというだけで、凄くグッときてしまうのだ。


<72時間ホンネライブ>

番組タイトルとなった「ホンネテレビ」の”本音”というのは、全てライブパフォーマンスの中に込められていた。決して、堺正章との会話などを指すのではない。国民的アイドルグループの面目躍如である。ラストに披露された小西康陽によるオリジナル楽曲「72」の素晴らしさが、この番組をグッと格上げしたように思う。”ぼくはずっと友だちには 恵まれているみたい”という番組のコンセプトを的確に落とし込んだ小西康陽の作詞術には舌を巻いてしまう。自身の音源では「誰といようとも貴方はずっと1人だし、そのまま1人で死んでいくんだよ」というようなことを繰り返し歌わせてきた小西康陽に、”お互い長生きしようね”と書かせてしまうのが、国民的アイドルのパワーだ。とりわけ感動的なのは

ずっとずっとこんなふうに 遊び続けよう
きみが喜んでくれるのが いちばん嬉しいから
ずっとずっとこんなふうに 遊んで生きられたら
きみのいちばん好きな瞬間を いまから、アップするよ

という「JOY」の”無駄なことを一緒にしようよ“の精神を引き継いだかのようなライン、その歌唱が、あのSMAPのユニゾンそのもののように響いてくる点だろう。2人いないはずなのに、ちゃんと5人いる。


そして、「持ち歌がないので」として、カバーされた71曲の選曲の妙。この国の大衆音楽の歴史を適切に踏んでいきながら、3人の趣向、番組出演者へのサンキュー、そして、坂本九尾崎豊ZARD、hide、忌野清志郎ムッシュかまやつ遠藤賢司といった死者への追悼が多分に織り込まれていた。つまり、ここに”いない”人へのメッセージが忍ばせてあるわけだ。佐野元春「SOMEDAY」、ゆず「いつか」という”いつか”に想いを馳せる2曲が続けて披露されたことに、深読みをせずにいられようか。すべての歌詞に深読みをさせてしまうSMAPというグループの物語力にひれ伏すとともに、"そばにいたいよ"だとか"出会えたキセキ"だとか、どこにでも転がっているような他愛のない色恋を綴った歌謡曲/J-POPというものが、誰にも等しく作用することの強さを、改めて噛み締めてしまった。個人的に1番涙腺にきてしまったのはTHE BLUE HEARTS「青空」を歌い終えた慎吾ちゃんがカメラに向かって手を振ったシーン。SMAPTHE BLUE HEARTSと言えば、「チェインギャング」のあの人しかいないではないか。71曲のカバーのラストに選ばれたのはRCサクセションの「雨上がりの夜空に」だ。もともと、愛車への想いと愛する人の欲情をダブルミーニングさせたロックンロールナンバーだが、「新しい地図」は3つ目の意味を忍ばせる。指摘するのも野暮な話だが、この雨にやられてエンジンがいかれちかまったポンコツとはSMAPのことだ。そりゃひどい乗り方したこともあったはず・・・。

こんな夜におまえに乗れないなんて
こんな夜に発車できないなんて

と、ヘトヘトになりながら、ここにいない2人を歌で挑発する。ポンコツ車に自らをなぞらえた名曲がかつてあって、そこでは

時代遅れのオンボロに乗り込んでいるのさ
だけど降りられない
転がるように生きてゆくだけ

なんていう風に歌われていた。グッとこないわけがないのである。


ちなみに、RCサクセションも、リーダーとキャプテンの好きなロックバンドだ。中でもキャプテンは、「雨上がりの夜空に」がシングルとしてリリースされた時のB面ナンバー「君が僕を知ってる」が、フェイバリットだと言う。

今までしてきた悪いことだけで
ぼくが明日有名になっても
どうってことないぜまるで気にしない
君が僕を知ってる
何から何まで君がわかっていてくれる
僕のこと全てわかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ

歌われていない曲ですらSMAPで解釈してしまう。しかし、本来は何の関係性も持たない事象を結びつけてしまう、そんな物語のような力を持ったスーパーグループがSMAPであったはず。いつかまた・・・




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最近のこと(2017/10/17~)

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石田ゆり子のCMはいい。思わず、KIRIN FIREの缶コーヒー微糖(不味い)を購入してしまった。石田ゆり子にかかれば、あっという間に資本主義の犬である。今ならダイハツのムーブ(安全性能)もムロツヨシ(おもしろおじさん)も買えそう。石田ゆり子さんに今後やって欲しいCM。風邪薬、シチュー、チョコレート、アイスクリーム、カメラ、金麦で待ってるなど。インスタのアカウントを登録したものの、使い方がわからないので、石田ゆり子さんの投稿ばかり読んでいる。その中で、石田ゆり子さんが中学3年間を台北と過ごした事実を知り、あまりに物語が過ぎる・・・と胸が震えた。あと、ムロツヨシとのパナソニックのCMは李相日が監督しているらしい。小栗旬の出ているCMも好きだ。味の素の「ほんだし」活用術も好きだったし、前にも書いたが、味の素冷凍食品「ザ・チャーハン」が最高。
youtu.be
ナレーションの良さはもちろん、ワッフルニットのパーカーにジャージという衣装もいいし、最後に指でレンゲに炒飯を集める所作がいい。その前に指を舐めるショットを挟んでいるのも超センスがいい。それに比べて、向井理石原さとみのCMは何故あんなにも鼻につくのか。彼らのことが嫌いというのではなく、2人の嫌なところを増幅させたCMばかり量産されるのが問題なのだ。全部同じ人が作っているのだろうか、というくらいに”やだみ”が統一されている。


”パニーニ”という言葉の響きが凄く好きだ。しかし、パニーニとは何なのか。何度、検索しても忘れてしまう。熱々のチーズがはみ出たパンらしい。響きだけではないよさがあるので、忘れない為に記述しておこう。昨年末、2代目ベビースター坊やである「ベイちゃん」が引退し、新しい坊「ホシオくん」の登場が発表された。おやつカンパニーと言えばベイちゃんなのに。警視庁のピーポくん(今年で30歳らしい)が引退するようなものである!と断固心の中で反対してていたのが、ホシオくんのことをもう受け入れてしまっている自分がいる。大人になった今やベビースターラーメンなんて食べないけども。いや、実は幼い頃から飽きがくるのであまり好きではなかった。あとカールも臭いから苦手だった。何の繋がりもない3本の挿話と、お菓子界に向けた衝撃の告白から幕を開ける今回の「最近のこと」、いつも通り長くなりそうなので、本当に暇な時にお読み下さい。



ginzamag.com
『GINZA』のオンラインに劇団ロロレコメンドの記事を掲載して頂きました。11/2(木)より上演が開始するロロの『父母姉僕弟君』という公演、オススメです。2012年の初演は3回観に行きました。ちなみに、チチハハアネボクオトウト”キミ”です。Webの検索候補に「ロロ 父母姉僕弟くん」ってのを見かけて、唸りました。頭が柔らかい人の発想だ。




思い出せる範囲で先週の火曜日から。ジュンク堂に寄ってキャサリン・ダン『異形の愛』と大橋裕之大橋裕之の1P』を購入。

異形の愛

異形の愛

大橋裕之の1P

大橋裕之の1P

『異形の愛』はロロ『父母姉僕弟君』に多大な影響を与えた作品として挙げられている。ずっと気になっていたのだが、2012年当時は絶版だったので。今年の5月にめでたく河出書房新社から復刊。『父母姉僕弟君』の再演に合わせて、手に取ることにした。とりあえず、半分くらい読んだけども、凄まじき物語のドライブ感。面白すぎてどうにかなりそうである。ティム・バートンで映画化、という話はあったらしいのだが、いつの間にか頓挫したようだ。諸々の規制をクリアできなかったのは数ページ読んだだけでも手にとるようにわかる。
hiko1985.hatenablog.com
バートンの『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(2017)も素晴らしい作品だったが、『異形の愛』の代わりに撮った、という気がしてきてしまう。Netflixの資本と放送コードでもって、ティム・バートンに何とか映像化して欲しいものです。



この日から、『監獄のお姫さま』の放送がスタートした。今のところ、高まりきった期待値を超えてこない。ギャグにキレがないので、そこに持っていくまでの筋運びの粗さがどうしても気になってしまう。誘拐のターゲットを間違えてしまうくだりとか、「なめんなよ」と思ってしまった。2話は、冒頭の列車で手を縄で縛られた小泉今日子が、子どもから差し出された蜜柑を食べることができない、というシーンがよかった。あと、のっぺらぼうな男の心ない悪意が伊勢谷友介に映し出されていく演出。しかし、全キャスト分の男からのトラウマを観なきゃいけないのかと思うと辛い。いまいちよくわからなかったのはイジメと新人歓迎ミルフィーユ作りが並行して行われていたことで、小泉今日子菅野美穂が和解しなかった場合、あのミルフィーユはどうなっていたのだろう。先週の『オードリーのオールナイトニッポン』の、その頑丈さを確かめるべく、若林によって教室の窓からぶん投げられた春日のG-SHOCK・・・という中学時代の思い出トーク。まさに男子校の日常という感じでドキドキしてしまう。異性の目を気にしないと、10代という時間はあまりに暇すぎて、そういった無益なことに注力してしまうものだ。『フリースタイルダンジョン』の「烈固おそろしい」からのクリティカルに度肝を抜かれた。



水曜日。ドラフト会議のことで頭がいっぱいでパンクしそう。清宮がヤクルト入団したら、神宮球場のチケットなんておいそれと買えなくなりそう。という、今思えば、いらぬ心配をしていた。PUNPEEのアルバムにまったく飽きが来ないのだけども、ココナッツディスク池袋店で、スカートのメジャーデビューアルバム『20/20』を購入。

20/20(トゥエンティトゥエンティ)

20/20(トゥエンティトゥエンティ)

これもまた名盤である。「わたしのまち」「さよなら!さよなら!」「私の好きな青」の中盤の流れがお気にいり。終盤に初期の名曲「魔女」がどっしりと構えているのもうれしい。いつか「ウーリッツァー」「月の器」もメジャー盤に再録されて欲しい。スーパーで格安のイワシとサバを買って帰り、調理して食べた。
youtu.be
来月リリースのAKB48「11月のアンクレット」が名曲だ。MVのまゆゆもいい。往年のアイドル歌謡の質感が見事に蘇っている。秋元康の歌詞も、タイトルからして冴えている。当初、杉山勝彦のペンという情報が流れていたが、丸谷マナブの作曲だった。橋本奈々未の絶品ソロ「ないものねだり」の作曲者だ。



木曜日。アジの刺身を食べる。イワシとアジの味の違いがついているのか、自分で不安になる。あん肝が格安で売っていたので、バター炒めに。3口食べれば充分な味だった。業務用ポテトサラダ、マカロニサラダというのが袋入りで置いてあって、1キロで500円くらい。食べきれるわけがないのだけど、凄く欲しくなっている。西谷弘による『刑事ゆがみ』の2話も素晴らしい。足元を主題とした”走る”アクションの鮮烈さ。そして、壁とか柵などで世界の境界を超えられない人々が描かれていた。脚本も、水野美紀が切なくて良かった。外に吹き荒れる暴風雨でなかなか寝付けないので、『ハライチのターン』リスナーになった。



金曜日。身体がクタクタだったので、アフターファイブは雨降りの中、「タイムズスパレスタ」に直行。雨だからか、比較的空いていた。レスタの10、20、30日はエクストラコールドバスの日。エクストラコールドバスとは何ぞやと言うと、普段15℃ほどの水風呂に、氷を大量に入れて10℃を切るキンキンの”冷え”を提供する試み(ロウリュウサービス後のみ)である。これがもう爆発的にととのってしまう。やはりサウナの快楽の原理をシンプル化してしまえば、高低差なのだ。4回ほどのセッションをこなし、身体を拭いて館内着に着替え、レストランで生姜焼き定食。レスタの生姜焼き定食は、サウナマジックを抜きにしても美味い。オリジナルなタレを駆使した上質な美味さなので、生姜焼き定食の場末感を愛する原理主義者の舌に合うかは保証できないのだが。お腹を満たして、休憩室でうたた寝。こんな幸せ、私のような下衆の身に降りかかっていいものだろうか、と不安になる。どうかこの喜びが皆々様に降り注ぎますように、と中村一義のような心持で帰路についた。頭をスッキリさせたのでアイデアが降り注いでくるに違いないと思いきや、気持ちよくなり過ぎて、帰宅してすぐに寝てしまった。



土曜日。ほりぶん『牛久沼』を観に、雨の王子駅へ。観劇前に「カレーハウスじゃんご」でお昼ご飯を食べる。ラーメン屋みたいな出で立ちのお店だが、本格的なカレーを出す。メニューが大変豊富で、それぞれルーの質感も異なるというのだからワクワクしてしまうではないか。もの珍しさから豚骨スペシャルなるメニューを注文してしまったのだけども、看板メニューである骨付きチキンのムルギーカレーあたりを頼むべきだったと後悔。
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豚骨スペシャルは極めてサラサラのルーに豚の角煮一切れに、豆腐ときゅうりが乗った不思議カレーであった。しばらく時間が経つと、米がルーをすべて吸い尽くし、ルーという概念が消えてしまった。哀しい。ほりぶんの演劇は、北区の誇る区民センター「北とぴあ」で上演。1階のホールでは、倍賞千恵子のコンサートが予定されているようで、年配客で大変混雑していた。5年前に「北とぴあ」に内設されたプラネタリウムでカメラ=万年筆のライブを観たことがあるのを思い出した。「北とぴあ」には何でもあって、何もない。最高だ。『牛久沼』は期待を裏切らないおもしろさだった。観劇後、十条に移動して、八百屋で野菜、総菜屋でポテトサラダ、麵屋で焼きそばと堅焼きそばの麺を買った。十条の商店街は最高に楽しい。買い物の締めに、「だるまや餅菓子店」でかき氷を。
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久しぶりに行ったのだけど、店内は相変わらず昔のホームドラマのよう。『男はつらいよ』のように、やたらと人の店から奥間への出入りが多い。店の人同士のお喋りを聞いているだけで楽しい。そして、ここのかき氷は本当に美味い。「涼しくなってからのかき氷は、氷もシロップもベトつきがなくなり、夏場よりも美味しい」というのは、この店のせがれの受け売りである。ご厚意で、出来立てのみたらし団子を食べさせてもらったのだけども、これがまた幸せの味であった。鹿児島産の緑茶を買って帰路へ。期日前投票も済ました。明日が台風直撃ということで、投票所はこれまで見てきた中で1番混んでいた。



日曜日。台風に備えて家で大人しく過ごす。しかし、洗濯物が溜まっているので、洗濯機を2回転させて大雨に打たれながらコインランドリーへ出向く。近所のコインランドリーは薄暗く、『かりあげクン』が数冊置いてある、古いタイプのやつ。当然、乾燥機にもマイナスイオンやら除菌効果のようなものはついていないのだけども、仕上がりはフワッフワだ。古の技術も侮れたものではない。家に籠ったことで、ついに『ドラクエⅤ』のクリアを果たす。世界を救った充実感。親子三代に渡る大河ドラマに胸がいっぱいになる。主人公の子どもらのかわいいことよ。選挙速報を観て、寝る。ねると言えば、長濱ねるさんの私服、チャンピオン製の長崎ちゃんぽんパーカーとか超クールだ。
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WOWOWのCMの有村架純を観ていて、ほとんどねるじゃんと思った。同じ工場のタヌキ型ロボットなのでしょう。なので、長濱ねる主演の朝ドラを早く観せて欲しい。長崎が舞台なら尚いいし、女性版『横道世之介』みたいな話なら、咽び泣きます。




月曜日から水曜日、の細部の記憶がない。Netflixで『ボージャック・ホースマン』のシーズン2まで観終えたので、フィンチャーの『マインドゲーム』を2話まで観た。Netflixのマイリストがパンパンでうれしい悲鳴だ。どうやって時間と集中力を捻出すればいいかわからない。佐久間Pのようにスケジュール管理すべきなのだろうか。相変わらずイワとアジばかり食べて、1日だけ豚肉と白菜のミルフィーユ鍋を作った。木曜日は、ついにドラフト会議当日。17時からは仕事そっちのけで、職場の送別会の間もドラフトの下位指名の動向に夢中だった。この日の為にプロ野球ファンをしている、という極論もあるくらいにドラフト会議は楽しい。ヤクルトは清宮をクジで外すも、外れ1位で3球団重複した村上を引き当てる。九州のベイブルースと呼ばれる大型左打の捕手だ。足も速く、肩も強いとの触れ込みなので、コンバートするならファーストではなく外野で観たい。最下位球団であるのにウェーバー制の利点を捨てて、どう考えても下位で指名できそうな投手を2位で選択したのが今でも解せない。しかし、動画でチェックしてみた2位大下は、ピッチングも顔も実にヤクルト的だった。金久保と宮本を下位で指名できたし、悪くないドラフトだったのだと信じたい。あとは、本当に石井琢と河田の両名がヤクルトのコーチに就任してくれるのかだ。宮本ヘッドコーチと石井琢打撃コーチってえぐみが凄い。



金曜日。仕事後に、いつものメンバーでインドカレー屋でご飯を食べる。ハライチのラジオ聞いたか、いいサウナあったか、クドカンのドラマ観たか、『わろてんか』つまらんな、Netflix入ったほうがいいぞ、ロロ観ろよ、何かいいことあったか・・・と様々なカルチャーといくつかの恋に関して語り合った。長谷川博己好きの友人はハライチ岩井が長谷川博己に似ていることを頑なに認めてくれない。先日までドイツに旅行していた友人によると、ドイツのホテルにはだいたいサウナが併設されているが、どこも混浴であるらしい。男性は下にタオルを巻くが、女性は胸の露出に抵抗がないのだそうな。夢のような話だが、夢のない話でもある。私たちは隠されなくなった胸にロマンを抱くことができるのだろうか。帰宅してから夜中まで、『イッテンモノ』『フリースタイルダンジョン』『アメトーーク』『勇者ああああ』『ユニバーサル広告社~あなたの人生、売り込みます!~』などの録画を一気に消化した。



土曜日。天気が悪くて、ウダウダしている内に午前中が溶けてしまった。お昼に板橋が誇るソウルフードである両面焼きそば「アペタイト」を食べに出掛ける。最近では、オードリー若林や瑛太(『ハロー張りネズミ』の撮影の際だろうか)をも魅了しているらしい。久しぶりに食べたが、確かに美味いのだけども、焼きそばに1000円近く払わないでも・・・と思ってしまい、どうしてもそこまでノレない。あと、個人的にもう少し汁気の飛んだ焼きそばのほうが好きだ。ソース焼きそばにおける水分の問題は、もう少し論者によって語れてしかるべきではないか。乃木坂46の東京ドーム公演が近いので、MV集やライブDVDを順繰りに観て、ヴァイブスを高めた。「逃げ水」のMVの評価が急上昇中。
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冒頭の緒川たまきの印象に引っ張られて、シュールさが、ナイロン100℃っぽいと思えるようになった。夜はエンケンさん追悼の意を込めて、カレーライスを作って食べた。



日曜日。この日も雨で起きる気がせず、昼前起床。昨夜、必死に寝かしつけたカレーを食べる。コンディションがととのったので、『ストレンジャー・シングス』シーズン2の鑑賞を開始する。一気にいきたかったが、もったいないので、半分で留めておいた。すべてのシーンが最高。もうどうにもならない。カッカと興奮してしまったので、銭湯に行こうかと思ったが、雨風が強まったので、断念。家のお風呂にバブを入れて入った。「厳選ひのきの香り」のバブをとても気に入っている。10月ベストバイに数えたいくらいだ。お風呂で、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読み直した。

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

もちろん、宮崎駿に促されて(新作長編映画のタイトルらしい)。冒頭のデパートの屋上のシーンを読み返しただけでも、改めて名著であると震えた。『断片的なものの社会学』とかにグッと来た人は、読み直してみてもおもしろいかもしれない。漫画版も話題だが、原書もこれ以上ない読みやすさなので、岩波文庫で読むのが1番いいと思う。

ラジオ「ハライチ岩井 フリートーク集」の凄味

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突然ですが、2017年にリリースされた音源のベスト1が決定いたしました。「ハライチ岩井 フリートーク集」である。「ハライチのラジオがおもしろい」というのは何度も目にする文言でしたが、すでに放送が開始されているラジオ番組を新規で聞き始めるというのは、かなりのリテラシーが求められる。ラジオ番組の特有のグルーヴというか、ルールのようなものを飲みこまねばならないからだ。その点において、この「ハライチ岩井 フリートーク集」は、まさに導入にうってつけなのである。番組内の岩井フリートークのみが編集され、トークをトラックで区切りタイトルで管理、更にはトップ画にタイムスケジュールまで記載してくれている。まるで1枚のアルバムを聞くようにして楽しめる。


1曲目の「電車」を試聴さえすれば、それ以降のトラックに耳をふさぐのは難しいだろう。岩井の淀みのない流暢な喋りとその声質の良さ、巧みな情景描写とオチに向けての緻密な構成力(無駄な言葉が一つもない)、そして忘れてはならない相方・澤部の聞き手としての優れた力量・・・その他もろもろが組み合わさって、思わず声を上げて笑ってしまった。この岩井勇気が『人志松本のすべらない話』に出演していないなんて嘘みたいだ。その後、待ち受けているのは夢のような3時間46分。お気に入りのトラックを繰り返し聞いて楽しみ(繰り返しの視聴に耐え得るトークなのだ)、今ではリアルタイム視聴と並行して、『ハライチのターン』の過去のアーカイブスを第1回放送から聞き漁っている。移動中のこの上ない楽しみである。



「ハライチ岩井 フリートーク集」はもう全トラックが好きなのだが、あえてオススメを挙げていってみよう。まずは12曲目の「隙あらば実家に」になるだろうか。そのままハライチの漫才として披露されたとしても、震えるほど感動するに違いない。何某の大会で優勝させたい。「せっかく1人暮らしを始めたというのに、暇を見つけては実家に帰る」という30歳過ぎの男の情けなくも愛おしい人間性だけでもすでにおもしろいのに、「実家帰りたい」というワードが繰り返される面白さに旨味を見つけ、話がどんどん悪ふざけの方向に転がっていく。思いついたままに喋っているようで、隙あらばの“隙”の時間が的確に短くなっているのが凄い。「ビックサンダーマウンテン並ぶんだったら、実家帰りたい」「釜飯は炊きあがりに40分くらいかかりますって言われたら、もう実家帰りたい」「紙コップの自販機、ボタン押してジュース出てくるまでの間、実家帰りたい」の発想の連打に痺れまくった。


そして、代表曲に数えたいのが11曲目「死の庭」と19曲目「裏の世界」である。これぞ、イリュージョン話芸である。ここまで堂々と、ホラ話をエンターテインメントとして成立させてしまう話し手が、この国に何人いただろうか。繊細な手つきで、嘘のディテールを積み上げていき、日常のすぐ裏側に虚構の世界を作り上げる、そのバランス感覚が絶妙だ。「裏の世界」は奇しくも現在話題沸騰中のドラマ『ストレンジャー・シングス』と共鳴している。シーズン2を観ていて、「ペットボトルの水と塩さえあれば、裏から元の世界に戻れるぞ!」とウィルに伝えたくなったハライチファンは少なくないことだろう。こういう事を書くと、一部の反感を買いそうですが、「死の庭」や「裏の世界」での岩井のトーク力は、脂が乗り切っている頃の『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』のフリートークに匹敵するのでは。と、同時にポップカルチャーの教養がほぼないと思われる松本人志がああいった質感のトークを量産していたことにも改めて恐れ入る。


サウナ・風呂好きとしては2曲目「スーパー銭湯」もたまらないものがある。あのヌメっとした”子ども”の連呼が、病みつきに。来るとわかっていてもおもしろい。ミニマルな繰り返しが転がっていくハライチの漫才の旨味が凝縮されている。10曲目の「パンサー向井」のメドレーもうれしい。聞いた誰もが、”かわいいかよ”というフレーズが言いたくてたまらなくなるに違いあるまい。「俺、ピザ好きなんだよね」って言って食い出すも、すぐにお腹いっぱいになっちゃう向井の描写がとりわけ好きだ。こちらを3本メドレーの組曲に仕立てあげたセンスも最高。16曲目「アンパンマン考察」の鋭い着眼点とドライブ感のある論理展開は、正直こういったブログを書いている人間として嫉妬しかない。ゼロからイチを作れるだけでなく、ああいった批評性まで持ち合わされてしまったら、お手上げだ。・・・そんなこんなで、永遠に褒め称えてしまいそうになるので、ここらでやめにしておきたい。ぜひ、この「ハライチ岩井 フリートーク集」をきっかけにして、ハライチのラジオの世界に埋没して頂きたい。TBSラジオで木曜24:00~25:00です。
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