青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

最近のこと(2017/04/28~)

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GW中にジョナサン・デミの訃報が。『レイチェルの結婚』の煌めきは永遠であるし、何と言ってもNEW ORDER「Perfect Kiss」である。好きなバンドのとびきりに大好きな曲。高校時代から「死にたい」が口癖の友人がいて、彼が「葬式ではこの曲をかけて欲しい」といつも言っていたのがこの「Perfect Kiss」だった。完璧なキスと死。深そうで全然深くないし、お葬式の意味をはき違えていると思うのだけど、えてして童貞というのはそういうものだ。変わったやつだった。McCartneyの「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を世界で1番好きな曲と公言していて、私はそのエピソードが妙に好きで、彼を知らない人にもむやみやたらとその話を喋り散らしていた。その話を聞いたことがある人はテレビや街中で「Ob-La-Di, Ob-La-Da」が流れると「あ、あの人が世界で1番好きだった曲じゃん」と思うという。それくらい「Ob-La-Di, Ob-La-Daが世界で1番好きな曲」というのは、何かこう”変”なのだろう。大学生の時、そいつに友達の女の子を紹介してあげることになり、渋谷で待ち合せたのだけど、彼は底に気色の悪い突起が無数についたゴム製の靴を履いて現れた。しかも、色はヴィヴィッドオレンジ。少し苛立ちながら、「何のつもりなの、それ?」と聞くと、「海を歩く時、珊瑚を傷つけない為の靴なんだ」って言っていて、すごくおもしろかった。あれから10年以上の時が経ったけども、今でも「Perfect Kiss」や「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を聞くと、彼のことを思い出してしまう。そんな奇妙な男がどうなったかというと、実はまだ生きているのです(唐突な、つげ義春『李さん一家』へのオマージュ)。PS.彼はポールのライブに行き、無事「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を生で聞くことができたそうです。いい話ですね。後、その時紹介した女の子には今でも超嫌われています。



9連休というわけにはいかなかったのだけども、カレンダー通りにGWを過ごすことができました。特に何をしたというでもなく過ぎ去ってしまって、もう3日目くらいから終わりを予感してずっとブルーな気持ちに包まれてしまい、GWというのは人生そのもの過ぎるのでは、という見解に至った。GWに突入する前夜は街全体が高揚しているような気配があって、なんだかワクワクしてしまった。まぁ、こんなものは当然その時の精神状態に大きく左右されるので、そんな街の喧騒に「うるせぇ、ボケ」と悪態をつく日だってもちろんある。そういう気持ちはブログからも零れて落ちて、一体どこに行ってしまうのだろう。
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この日公開された柴田聡子の「後悔」という新曲がすんごく良くて、今年1番いい曲なんじゃないかしらというくらい良くて、MVも良くて、「この車から顔出すやつやろうじゃないか」という気持ちになったので、友達に車を出してもらった。ときにceroの「武蔵野クルーズエキゾチカ」という曲の

それよりさぁ今週の日曜、暇? また車 乗せてよ

というリリックはすっごくいいよな。2011年という時代に『武蔵野クルーズエキゾチカ/good life』という軽やかな7インチを聞くことができたのは、本当に救われた気持ちだった。ドライブの途中でファミマのチョコミントフラッペを飲んで、秩父あたりまで飛ばして(運転してないけど)、真っ暗な中で芝桜の気配をそこはかとなく感じながらも、それよりなにより星が綺麗でした。せっかくなので、真夜中だけども宝登山を少しだけ登った、コッペパンを食べながら。ファミマのコッペパン(あんマーガリン)が美味いと豪語したばかりなのですが、食べ比べてみたところ、どうやらセブンのコッペパンのほうが美味しい。餡子の力量に差が出た結果である。車の中で曽我部恵一の『strawberry』(2004)というアルバムを聞いたのだけども、これがもうむちゃんこよかった。

STRAWBERRY

STRAWBERRY

「LOVE-SICK」「STARS」「ミュージック!」の怒涛のラスト3曲に涙。しかし、これがもう13年前のリリースとか気絶しちゃいそうな感じだ。『JAPAN』のレビューに「音質がもっと良ければなぁ」みたいなことが書かれていて、心底バカにした記憶があるわたしのスウィースウィーナインティーンブルース。



土曜日。昨日はしゃぎ過ぎてしまし、一日中眠い。とりあえず洗濯だけは済ませて、あとは寝そべって過ごした。どうしてもコーラが飲みたくなって、コンビ二に買いに出かけたくらい。おじいさんが2つのカゴがいっぱいになるまでコーラの1.5ℓペットボトルを買い占めていて、おじいさんでもコーラを常飲したりするのだな、と感心した。もしかたらじじいとばばあが一同に介すファンキーなピザパーティーの予定があるのかもしれないし、そっちのほうが断然素敵な考えに思えた。
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CHAIの「sayonara complex」という曲はMVも含めて本当に最高だ。メンバーはCSSロールモデルにしているらしい。CSSの1stアルバムむちゃくちゃ聞いていた。Let's Make Love and Listen to Death from Above!
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ボーカルのLovefoxxxに憧れていて、一時期、mixiのトップアイコンにしていたくらい好きでした。


日曜日。アップルストアに行くついでに、表参道の銭湯「清水湯」へ。前回は整理券を発行するほど混んでいたが、今回はすんなり入れた。賑わってはいたけど。スタイリッシュで小奇麗な内装、サウナも水風呂も特筆すべきほどではないが、なかなかのコンディションで、バッチリととのう。銭湯を出て、大きな通りで通行人にたびたび話しかけられているおじいさんがいて、おそらくだけども、小澤征爾だった。小柄で赤いフライトジャケットのようなものを崩して着ていて、しかも「僕はねぇ、イタリアのフィレンツェで」と喋っているのが聞こえたので、ほぼ間違いないだろう。道行く人はみな一様に「(日本に)いるんだ~」と言っていた。同感です。



月曜日。2日働いたら休みだと思うと仕事にも精が出る。はずもなく、「休みでいいじゃないか」という気持ちでパンパンになって弾けた。火曜日。井の頭公園でロロが野外演劇をやるというので駆け付けたかったのだけども、休み前の業務で忙しく断念。むちゃくちゃ観たかった!!そもそも、瀬田なつきの『PARKS パークス』を観ていない。予告編の限りだとあまり関心を抱けないというか、違和感すら覚えたのだけども、実際のところどうなのだろう。最近、映画館に行くのがとにかく億劫で困っている。『美女と野獣』も観たい。GW中に観た映画は、amazonプライムで『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』の1本のみです。



火曜日。いざ、GW突入。朝のリアルタイムで『ひよっこ』が観られることに感激。お風呂に入りながら聞く『スチャダラ外伝』がご機嫌だった。

スチャダラ外伝

スチャダラ外伝

「手へんにガンダム」んーいいでしょう!昼前に東北沢に出掛けて、気になっていたインド料理屋でランチにチキンビリヤニを食べる。本格派だったが、やや旨味に欠ける印象。天気が凄く良いでの、下北沢まで散歩する。街を歩いていて、下北沢にタワーレコードができるらしいことを知る。ファッキューだなぁ。タワレコはもはやK-POPとかアイドルとか星野源のCDを売る場所でしかないので、そこいらの駅ビルとかに勝手にどんどん作っていけばいいと思うのだけども、下北沢であったり中野であったり、多少なりともカルチャーが根付いている街にはいらない。シェルターの前にある劇場でまんじゅう大帝国とXX CLUBの合同ライブを観た。タイタン所属の若手漫才師2組が3本ずつネタを披露して、合間に企画。初めて観たXX CLUBは発声が素敵だった。まんじゅう大帝国が2本目に披露したコント「風邪」がクラシック感のある新作落語みたいで感激。3本目の漫才「登山」がまた飛び跳ねるほど素晴らしい。「醤油の甘さで~」のくだりは、拍手が巻き起こるくらいの決まり方だったな。東大卒のXX CLUBは太田光代社長に激ハマりしているらしいが、まんじゅう大帝国は「私は獲りたくなかった」と深夜にツイートされるほどハマっていないらしい。渋谷に寄ってTSUTAYA山田太一のテレビドラマ『早春スケッチブック』を一気借りして帰宅。
早春スケッチブック DVD-BOX

早春スケッチブック DVD-BOX

GW中に少しずつ観ていったのだけども、ほんとにもう感銘を受けてしまった。山崎努ももちろん素晴らしいが、何と言っても河原崎長一郎だ。あれぞ、小市民の良心。息子役の鶴見辰吾も抜群で、彼は『3年B組金八先生 第1シリーズ』『早春スケッチブック』『翔んだカップル』という大傑作を3つもものにしているのだから、もっと名優扱いされてもいいのでは。



さて、GWのすべての日を振り返るつもりだったが、完全にめんどうくさなってしまったので放棄します。埼玉県を中心にサウナを攻めていて、この休みは「新座温泉」と「草加健康センター」に訪れた。「草加健康センター」に関しては別エントリーでじっくり書いてあるので、そちらをお読みください。
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「新座温泉」も温泉と水風呂がなかなか良くて、リピありです。ちなみに「リピありです」というのは、化粧品の口コミサイト『@cosme』において多用されている文法へのオマージュです。「新座温泉」のあたりは学生時代の思い出がいっぱいで、川越街道のファミレスとかショッピングセンターの佇まいを目にするだけでこみ上げてくるものがあった。久しぶりに、朝霞が日本に誇る名店「いち川」でとんかつを食べようと思ったのだけども、お休み。仕方ないので、近くで発見した「ホープ」という小汚いとんかつ屋に入ってみたら、これが意外にも(失礼)結構美味しかったので満足。
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衣剥がれるし、肉の旨味も僅かだけども、それでも"とんかつ"としての良さは失われていない。味噌汁とサラダが美味しいのも好感でした。


亀田興毅の1000万円のやつに途中で飽きてしまい、せっかくabemaTVをつけたので、開局1周年記念特番の『ロンドンハーツ』を観てみたら、モグライダーのともしげ君がドッキリにかかっていた。ライブでのおもしろさそのままにロンハーに染まっていて、すごくうれしくなってしまった。芝さんもかっこよかった。芝大輔という才能がこのままライブシーンの大将で終わっていくのは損失が大きすぎるので、早く発見されて欲しい。ナタリーに掲載されていたランジャタイ×マッハスピード剛速球の「戦略会議」で、馬鹿よ貴方の新道さんが紹介していたカズレーザーメイプル超合金)の挿話にグッときてしまった。

メイプル超合金カズレーザーが「俺らはモグライダーが売れるの待ちなんですよ」っていう名言を残してるんだよね。モグライダーの芝くんはめちゃくちゃMCできるし面白いしカッコいいし柔軟性もある。カズレーザー曰く「M-1の決勝に1回でも行ったらすぐレギュラー決まる。メイプル超合金が霞むくらいにめちゃくちゃ売れるだろう。だから今はモグライダー冠番組を持ってそれに呼ばれるのを待ってる状況」って。


最近聞いている2枚。

Pure Comedy

Pure Comedy

THIS OLD DOG

THIS OLD DOG

Mac DeMarcoは無条件で大好き。なんていい曲ばかり書くのだろう。
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スーパーミラクルいいじゃないか。あと、シャムキャッツのニューアルバムのタイトルが『FRIENDS AGAIN』なの、すっごいグッときました!夏目くんが"ちなヤク"(ちなみにヤクルトファン)と聞いて、なおいっそう贔屓にしていきたいバンドになりました。

岡田恵和『ひよっこ』5週目「乙女たち、ご安全に!」

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みね子(有村架純)が故郷の奥茨城を出て、新たに東京での生活をスタートさせる。”いや~な奴”を登場させるにはまさにうってつけのタイミングであるのだけども、やはりこの『ひよっこ』はそうはならない。みね子が働くこととなる向島電機の人々は揃いも揃って”いい人”達ばかりだ。"朝ドラ"で(現実でも)よく見かける新人いびりなんてものは描かれない。これはもうファンタジーの領域。しかし、だからと言って、「人間が、社会が描けているのか?」なんて批判は実にありきたりであるし、お門違い。『ひよっこ』の登場人物が善人である事に間違いはないが、彼等は単なる”いい人”ではない。その人物像は一面的ではなく、複雑。何気ない会話の中で描写されていく豊かな個性がまずもって心地よく、更には、その個性の奥に潜むそれぞれの”哀しみ”のようなものが浮かび上がっていく。奥茨城編で言えば、三男(泉澤祐希)の母や兄を思い出したい。三男に厳しくときには冷たく接した彼らの、その奥に秘められた真意を。そういった書き込みはこの東京編でも健在。愛子(和久井映見)の底抜けな明るさに潜む戦争の傷跡(これは峯田和伸の演じる宗男おじさんも同じだ)、豊子(藤野涼子)のガリ勉に影を差す女性差別、寝坊助な澄子(松本穂香)のその睡眠欲にさえ、農家の過酷な労働環境と孤独が顔を覗かせる。こういった彼女たちの抱える”哀しみ”に、しっかりと社会が映されている。


東京に舞台を移しても、物語の歩みは変わらずスローペース。この一週間に渡って、工場からは一歩も出ない。乙女寮での女の子たちの他愛のない"おしゃべり"でもって、物語が転げ回っていく。大袈裟な展開はないのだが、その"おしゃべり"の数々でもって、それぞれのキャラクターはどんどん多面性を宿し、愛おしき実存性を湛えていく。とりわけ素晴らしかったのが5/5(金)の回だろう。みね子の狸寝入りから始まる、人間関係の衝突。その摩擦をユーモアで塗り潰し、セオリーみたいなものをとことん回避して辿り着いてしまう温かい"愛"のようなもの。この岡田恵和の肯定の筆致!これぞ、永久保存回だ。新たなレギュラーとなった、松本穂香小島藤子八木優希藤野涼子(『クリーピー』の西野澪!)といった若手のホープ達の好演も光る。全員すっごくかわいい。


みね子らが配属されたラインで製造しているのが"トランジスタラジオ"というのがまたいいではないか。トランジスタラジオと聞くと、やはり「ベイ・エリアから/リバプールから/このアンテナが キャッチしたナンバー」(RCサクセション)と思わず口ずさみたくなってしまう。清志郎が歌うように、ラジオは、チューニングを合わせることで、どんなに遠くの出来事であろうと、届くべき人に届けてしまう魔法の装置だ。そのありようは、行方知れずの”お父さん”へ届かぬ手紙を出し続けている、みね子の”祈り”のようなものにとてもよく似ている。褒めるのがすっかり遅くなってしまったが、みね子を演じる有村架純は抜群にいい。モノローグで繰り返される”お父さん”という呼びかけを聞き過ぎたあまり、私こそが彼女のお父さんなのではないかとさえ思ってきております。というのは冗談として、有村架純はたびたび私たちに呼びかける。楽しいね、おいしいね、がんばろうね。あの野暮ったく、温かい発話。それを聞いて私たちは想う、”生きていかなくちゃね”と。視聴者とみね子は、毎日密やかな交信を行っている。



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草加健康センターという名の楽園

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東武伊勢崎線草加駅から送迎バスで約5分。埼玉県の草加市、決してハイカラな土地ではないが、駅周辺には心地良い素朴さのようなものがあるし、ちょっとしたアクセスの困難さも旅情に華を添える。肝心の施設もまた、宴会騒ぎの大広間にゲームコーナー、カラオケホール、麻雀室・・・”健康センター”という名称にふさわしい野暮ったさ、よく言えば昭和レトロな趣を携えていて、「遠いところにきたぞ」という感覚を刺激してくれる。まずもって外観からして素晴らしい。これは良いサウナがあるに違いないという確信を抱かせてくれるものがある。実際のところ、こちらのサウナは強烈。広く設計されたサウナは、ストーブと自動ロウリュウシステムが採用されたサウナストーンの2基使いで暖められている。温度計は90℃を示しているが、体感としては優に100℃を超えているように思う。すぐさま汗が気持ちよく噴き出すセッティング。通常のサウナであれば1番人気である最上段に座る人は少なく、みな一様に下段か中段に陣取っている。それくらい熱い(サウナ初心者は足裏が焼けるような気分を覚えるかもしれない)。しかし、自動ロウリュウのおかげで湿度も高く保たれていて、どこまでも気持ちがいい。尻に敷く用のマットの使い放題がありがたいし、室内のマットも従業員によって細目に交換されていて衛生面も◎。更に入口には、口に含み冷をとる為の氷がクーラーボックスいっぱいに詰められている。まさに至れり尽くせりなのである。


水風呂は露天で(外気浴スペースも充分に保たれている)、15.5℃という実に思い切りのいい冷え具合。更にバイブラでもって凄まじく攪拌しており、サウナで編み上げた熱の衣を纏わせてはくれないので、そうそう長くは浸かっていられない。熱々だった身体がすぐさまキーンと冷える。100→15の急激な熱の下がり方であるから、毛細血管が伸縮し、血液が全身にいきわたり、脳内が不思議な幸福感に包まれてしまう。この恍惚と全身の痺れるようなディープリラックスをして、サウナ界では”ととのった“と表現する。余談になるのだが、ジャズミュージシャンにして文筆家の菊地成孔が仁節発のタトゥー彫りについて語ったインタビューの中で、氏がサウナ愛好家であることを公言していた。そこで思い出されたのが、2005年に菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール名義でリリースした『野生の思考』というアルバムのライナーノーツ。公式サイトに記載されていたそのライナーの要約を引用したい。

1998年の夏に39度を超える高熱が頻発するようになり、10日以上連続したため入院する。夏バテの一種だと軽い気持ちでの検査入院だったが、解熱剤を投与しても、熱は一向に下がらず、ついに41.5度に達し全身のリンパ腺に結節が出来、膨れ上がった。病名は不明のままで、水と点滴と解熱剤で1ヶ月を過ごすと体重は60キロから34キロに。菊池は解熱剤を投与されたあと熱が急激に下がることを宗教的な昇天をイメージさせるほどの上昇感、もしくは法悦感と例え、しばらくして再び熱が上がっていく地獄のような悪寒と痙攣を舞踏病と例えている。この麻薬的な時間の中でハープとフルートの音色がずっと聴こえていたそうだ。

この文章はサウナで得られる快楽性の一端を捉えてしまっていやしないか。サウナ→水風呂という流れは、上がった熱を下げる為にあり、そこに伴う”ととのう”という感覚は大袈裟に表現するならば、“宗教的な昇天をイメージさせるほどの上昇感、もしくは法悦感”と言っていい。水風呂で冷えた身体を再びサウナで温める、下がった熱が上昇していく際に得られるのは、まさに舞踏病のような悪寒と痙攣と言っていい。もちろん、サウナのそれは地獄のようではなく、そこにさえも快感が伴う。


話が逸れてしまった。とにかく、「草加健康センター」のサウナと水風呂は素晴らしい。こちらは中村獅童のベストサウナであるらしい。中村獅童に思い入れはないが、イメージとしては遊び人、快楽の限りを尽くした男という感じであるので、そんな彼がベストと公言するだから、その”気持ちよさ”には大きな箔がついたというものである。更にこの施設には、漢方剤仙薬草湯と露天草津温泉湯という2つの目玉が用意されている。漢方剤仙薬草湯は8種類の漢方生薬を混入しているそうで、薬効なのか何なのか、身体がピリピリするほどに温まる。草津温泉から源泉有効成分を濃厚にした液状の浴剤を直送しているという露天温泉は、強烈な硫黄臭の本格派。染み付いた匂いは家まで楽しめる。どちらも「草加健康センター」に訪れたらならば二度ならず三度は浸かりたい代物だ。
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食堂兼宴会場である大広間ではカラオケ大会が開催されて、浴衣やら館内着を着たユルユルなお客さん達が次々にステージに上がっていく。ラーメンなどを啜りながら聞く素人の歌声はどういうわけか染みる。大勢の観客の前で歌うからにはみな腕自慢であって、それなりに上手。とりわけ見ず知らずのおっさんの歌う玉置浩二「メロディー」などには思わず泣かされてしまった。

あんなにも 好きだった きみがいた この町に
いまもまだ 大好きな あの歌は 聞こえてるよ
いつも やさしくて 少し さみしくて
あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
メロディー 泣きながら
ぼくたちは 幸せを 見つめてたよ

おっさんの歌声には彼の人生の断片が積もっていた。NHKの『ドキュメント72時間』は健康センターの宴会場にカメラを置いてみるべきだろう。大抵は大きな拍手で賞賛されるわけだけども、決して悪い歌ではないのに、何故かあまり拍手をもらえない人もいて、そういう光景を見ると、どうにもいたたまれない気持ちになってしまうので、ここぞとばかりに大きな拍手をしてしまう自分がいる。人がいいというのではなく、気が小さいのだろう。更にこの日はGWスペシャルということで、大広間にて辺見マリの歌謡ショーが無料で開催された。最近では”しくじり先生”としても話題の辺見マリであるが、1曲も持ち歌は知らない。しかし、辺見えみり顔ファンである私としてはなんだかすっかりうれしくなってしまったのでした。

岡田恵和『ひよっこ』1〜4週目

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岡田恵和の3度目の朝の連続テレビ小説ドラマ『ひよっこ』が本当に素晴らしい。涙腺を刺激され続ける毎日だ。これまでの岡田作品と同様、安っぽい悪人や嫌な奴は登場しない。イタズラに盛り上げるようなドラマメイクはない。真っ当な善人たちが懸命に正しい方向へと進んでいく。ただそれだけで観る人の心を動かすドラマは作れるのだ。もっと視聴率が高くてもいいと思うのだが、これから上がってくるのだろうか。たしかに話は遅々として進まない。そのスローな筋展開が、視聴者離れを引き起こしているのかもしれない。しかし、この『ひよっこ』という作品がたっぷりと時間をかけて描いてきたのは人々の営みであり、「1人の人間が”いる”もしくは”いた”」という事実を、くっきりと刻む為だ。完全なはまり役のモッズおじさん(峯田和伸)なんか勿論最高なのだけど、もしかしたらもう出てこないかもしれない高校の先生(津田寛治)も車掌さん(松尾諭)も本当に忘れ難い愛すべきキャラクターであった。序盤のハイライトとなったのは村おこしとしての聖火リレー。みね子(有村架純)は走りながら、行方不明になった父に向けて気持ちを送る。

気持ちは届きますか?
お父ちゃん…。
みね子は、ここにいます。

村を出て就職することが決まっている三男(泉澤祐希)が、叫ぶ。

ありがとう。奥茨城村…。
俺を忘れねえでくれ。

東京オリンピックで盛り上がる都会の喧騒から置き去れてしまうかのような片田舎の村にも、様々な顔と個性があるということ。それが、『ひよっこ』奥茨城編で描かれていたものだろう。これには"被災者"というのっぺらぼうな記号に固有性を灯し、我々の想像力を喚起させた『あまちゃん』(2013)への共鳴を感じる。宮本信子の起用やアイドル志望の親友など、この『ひよっこ』が先輩である『あまちゃん』という作品をかなり意識しているのは事実であろう。



人が"いる/いた"という事実を描くことに注力する『ひよっこ』においては、画面からフェードアウトしてしまった登場人物であっても色濃く物語に存在し続ける。とりわけ顕著なのは行方不明の”父ちゃん”(沢村一樹)だ。その不在は常に意識され、物語を牽引する。第2章の幕開けで描かれた、みね子が就職先の寮でカレーライスを食べるシーンを思い出したい。あの何気ないシーンが異様なまでに心を打つのは何故だろう。田舎から出てきた少女が東京に出てきて初めて食べるハイカラな食事に感動する、という筋だけでも充分に朝ドラとして成立する。しかし、あのシーンにはこれまで紡いできた物語の断片が幾層にも重なって振動している。新しい仲間との絆が結ばれる瞬間であるし、洋食屋との繋がりを残し失踪した父を想わせるし、これまで一緒に台所に立ちカレーを作ってきた兄弟たちの姿がよぎる。"カレーを食べる"という何でもない行為に幾重もの意味を託す。これぞ、ドラマ作家の仕事と言えるのではないだろうか。

廣木隆一×又吉直樹『火花』

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この国のテレビドラマに“火花以降”という新たな基準が設けられた、と断言したい。廣木隆一(『ヴァイブレ―タ―』『やわらかい生活』)を総監督として、白石和彌(『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』)や沖田修一(『南国料理人』『横道世之介』)など映画界の気鋭らが集結。彼らがNetflixの豊潤な制作資金を元に作り上げたのは、ド派手なアクションに彩られたエンターテイメントでも、豪華絢爛な俳優陣による演技合戦でもない。中央線ラプソディ、とでも呼びたくなるような実に貧乏くさい小さな小さな物語だ。例えば、白石和彌が監督を務めた3話などは、終電を逃すまで飲み荒らした主人公2人が吉祥寺から上石神井までをのそのそと歩く、それだけの回だ。それらにこれほどの大きな資本と才能が注ぎこまれている。これは革命である。ここからこの国のテレビドラマは何かが変わっていく、そう信じたい。3話のみならず、このドラマでは、青春とは”夜を歩く”ことである、と言わんばかりに、ひたすらに若者たちが歩き、そして、走る。監督に課されたのは、その様子を雄弁にカメラに収めること。1話に登場する惜しみないクレーンやドローンでの撮影の躍動に刮目せよ。夜に揺らめく街灯、雨で濡れた地面に映る光。そういった映像感度の充実すべてが、この切ない青春物語に徹底的に奉仕していく。



全10話530分をかけて、とあるお笑い芸人の10年間を追っていく、という売り文句に敬遠してしまう人がいる事も想像に難くない。しかし、今作は確かにオフビートではありながらも、そんなレジュメからは想像もつかないヒリヒリとした質感に満ちている。これは誰しもが経験する”才能”を巡る青春残酷物語であるからだ。その意味で、今作は松本大洋が繰り返し描いてきた物語の系譜にあると言えるだろう。徳永が憧れ続ける師匠・神谷というバディのパワーバランスが徐々に逆転していく構造は、『鉄コン筋クリート』や『ピンポン』でのそれらのトレースのようである。であるから今作の後半はひどくもの悲しい。7話以降は、常に”泣き出す直前”といったようなフィーリングで胸を掻き毟り続け、それらはラスト2話で一気に爆発する。涙腺崩壊必至。それもこれも、フィクションの登場人物にこんなにも愛着を抱くのはいつ以来だろうという程に、徳永と神谷というキャラクターを愛してしまうからに他なるまい。『火花』という作品の画面には、巷に溢れる演技というものとは、大きくかけ離れた何かが映っている。それは1人の人間の”魂の咆哮”というようなものだ。そんなものを体現する為に、役者はどれほどの代償が払ったのだろう。今作における林遣都波岡一喜という役者の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。あまりに徳永として、神谷として、そこに”在る”のだ。であるから、彼らが目にする風景も、抱く感表も、全てがリアリティをもって響いてくる。主演2人のみならず、門脇麦好井まさお(井下好井)、村田秀亮(とろサーモン)、染谷将太菜葉菜、髙橋メアリージュン、徳永えりetc・・・といった脇を固めるメンバーもまた、誰しもが素晴らしい実存感を携えている。とりわけ、主人公の相方である山下役の好井まさおの好演は、演技初挑戦という事も含め、賞賛の嵐を浴びるにふさわしい。

火花

火花

さて、このドラマを前にして、『火花』という小説を全く読めていなかった、と正直に告白したい気持ちに駆られている。又吉直樹(ピース)は、あのか細い声からは想像もつかないほどの大きな”アイラブユー”をこの作品で叫んでいるのだ。売れない芸人が志半ばでその道を外れていく様を描いた青春残酷物語ではあるが、その視線はとても優しい。芸人を辞める決意をした徳永に師匠である神谷がこう語りかける。

この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある、だから面白いねん。でもな、徳永、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。一回でも舞台に立った奴は、絶対に必要やってん。これからのすべての漫才に、俺達は関わってんねん。だから、何をやってても芸人に引退はないねん。

ここにあるのは圧倒的な”生”の肯定である。芸人や表現者のみならず、この世界で酒臭い、もしくは唐揚げ臭い息を吐き続ける全ての私達の”これまで”と”これから”を肯定してくれるような、あまりにも優しいまなざしがある。ドラマではそんなテーマに補助線を引くように、徳永の住むアパートに、お役御免となった古い家電をかき集め、修理するロクさん(渡辺哲)というオリジナルキャラクターがメタファーとして存在している。



前述の台詞が繰り出される居酒屋のシーンで物語を閉じてしまっても何ら問題はないわけだが、そうはならないのが今作だ。

美しい世界をいかに台なしにするかが肝心なんや
そうすれば、おのずと現実を超越した圧倒的に美しい世界があらわれる

という劇中での神谷の台詞を呼び水にするように、失踪していた神谷が突如Fカップの巨乳を携えて現れるという、全てを台無しにするようなバカバカしいエピローグが添えられている。しかし、それがことさら今作を美しく孤高のものとしている事は誰も否定できまい。なんて偉大なる蛇足。旅館の内風呂で豊満な胸を揺らす神谷と、それに付き合い裸になる徳永。カメラは部屋を飛び出し上空にじんわりと上昇する、2人の狂騒は熱海の夜景の1つとなる。貴方が展望台から覗く美しい無数の光の1つは、おっさんのFカップが作り出しているかもしれない。そんな想像だにしない無数の夜で、この世界は作られているのだ。その途方もない尊さを、このドラマは教えてくれる。



NHKでの地上波放送が終わったわけだが、「台詞が聞き取りずらい」などの理由で、視聴率はふるわなかったらしい。悔しい。そこに加えて、キャスト・スタッフを一新しての映画化の報。しかし、この素晴らしいドラマをなかったことには絶対にしたくはない。とにかく、ひたすらに「観てくれー」と叫ぶ続けることとしよう。