青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

木皿泉『パンセ』

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のりぶぅ(のっち)が意味もなく言葉を3度繰り返し、どんちゃん(あ~ちゃん)に「なんで、3回言う」とツッコまれる。豪華絢爛ながら、300万円という破格の売値がつけられた洋館を前にして、どんちゃんが言う。

これ、3人で割ったら・・・割り切れるじゃん

なんだか変な台詞だ。「1人あたり100万じゃん」が普通のはず。あえて3で割り切れるということを強調しているわけで、つまりはこのドラマは”3”という数字にこだわっている。3は偉大だ。Three is a magic number、3人寄れば文殊の知恵、など言いますし、3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる人だっている。もちろん、Perfumeというユニットの完璧な三角形へのリスペクトもあるだろう。とりあえず3人いれば会話はおもしろいように転がり、物語も踊り出すのです。


木皿泉と3人娘というと連想してしまうのは、もたいまさこ×室井滋×小林聡美の『やっぱり猫が好き』だろう。

やっぱり猫が好き』というシットコムは、小林聡美との結婚というインパクトもあって、三谷幸喜が全部書いているかのように錯覚してしまうのだけども、実際の所は複数のライターが参加していて、第2シーズンなどは木皿泉が4割ほど執筆している。あの永遠に続くかのようなとめどない“おしゃべり”の魔法が、Perfumeの3人に受け継がれてしまったならば、それはどんなに素敵なことだろうか。序盤こそそんな風合いが漂っていたのだけども、『やっぱり猫が好き』のあの無意味性の連続がもたらす陶酔はやはり三谷幸喜の色であって、この『パンセ』というドラマは(いい意味でも悪い意味でも)肩に力の入った木皿泉という作家のドラマに仕上がっている。つまり、観る者に”生きるということ”を見つめ直させようとしてくるような深度があるのだ。


今作は30分ずつの前編と後編で構成されていて、CMを除いてしまえば、尺は1時間にも満たない短編ドラマだ。であるから、登場人物の背景を書き込む余裕はほぼなく、役名すらきちんとは紹介されない。かしゆかが”おかみど”という役名だったことを、HPを見るまで気づかなかったくらいだ。そのような状況の中においては、木皿特有の”いい言葉“がいささか悪目立ちしてしまっているきらいがあるのは否めない。これをパイロット版にして、ぜひとも、連ドラ化を果たして頂き、そこらへんのバランスのとれたものを観てみたいものです。演技未経験ということだが、Perfume3人のやりとりに嘘っぽさがないのがよかった。それこそまさに並行世界の3人を観るようである。なんといってもやはり3人とも”声”がいい。尺のない中でも、何気ないやりとりや所作でもって、3人の性格や関係性などを掴ませてしまう脚本術。どんちゃんしっかり者で、おかみどは抜け目なく、のりぶぅは自由人。おそらく、Perfume本人らのパーソナリティとそんなにズレていないのだろう。その点においても非常に優れたファンムービーとなっている。


おでんを載せたラジコンが庭を横断して孤独なテントに辿り着く、サイレント大相撲とムード音楽、鞄一杯に詰まったレモンと資本主義、なんていうイメージの豊かさは、やはりたまらない。力丸(勝村政信)の抱える潔癖症の象徴とも言える石鹸、その泡がシャボン玉となって空に舞い、下を向く人々の顔を上げる、なんて演出もニクい。本作のとりわけ感動的な点は

大変だろうねぇ
今までも これからも

というような力丸というキャラクターへの、3人の察しの良さにあるだろう。(もちろん尺の問題もあるのだろけども)その”察しの良さ”からくる、力丸を受け入れることへの”葛藤のなさ”にグッときてしまう。

でもさ
力丸のこと心配してる自分って嫌いじゃないんだよね

人の幸せをこんなに願うことができるんだ
ってビックリしてる

そこに漂うのは、誰かのことを強く想ってみることへの圧倒的な肯定である。木皿泉の”居心地の悪い人達”に向けた優しいまなざしが、どこかリアリティがなく浮足立ったこのドラマに真実味のようなものをもたらしている。ババ抜きで"ハートのエース"を引き抜くこと、「いってきます」と家を飛び出した冒険者を「おかえりなさい」と迎えてあげること。こういった小さなドラマに大きな感動を付与できるドラマ作家は、現代において木皿泉くらいのものではないだろうか。

悲しいだろう みんな同じさ
同じ夜を むかえてる

と歌われる吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」は反則的なまでに胸に響く。誰も等しく悲しい夜を持っている、その事さえ忘れなければ、私たちは何かをわかち合って生きていけるような気がするのだ。

小淵沢「こぶダイニング」2017春

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小淵沢に素晴らしい洋食屋さんがあって、ここ数年通い続けている。と言っても、東京から小淵沢というそれなりの距離があるからして、1年に1回行ければ、という感じなのだけども。そのお店は「こぶダイニング」という名前で、おそらく小淵沢の”こぶ”に由来するのだろう。小淵沢駅から車で10分、歩いて行っても30分ほどで着くので、ハイキング気分でそびえる山々を眺めながら足を進めるのもいいかもしれない。店舗は手作り感溢れるプレハブハウス、その美しいブルーの色合いが目印だ。6年前に初めて入店した時は、「N30」という名前だった。立地も現在とは異なり、小淵沢駅の目と鼻の先に。地元の冴えない喫茶店とでも言うような古びた外観で、ピラフがレンジでチンではなく手作りであるなら御の字だ、というような雰囲気だった。駅回りに食事処がほとんどない為、仕方なく入ってみたわけだけども、店内は混み合っていた。店主の「ん?時間かかるけど、いい?」というぶっきらぼうな接客も何故か嫌な感じがしなかった。喫茶店という感じの外観とは裏腹にメニューには”デミグラスハンバーグ”や”ポークフィレカツ””や”手作り生ハム”や”エスカルゴ”といった洒落た料理が並んでいて、どうやら本格的な洋食屋であったようだ。訪れた人が感想を記すファンノートのようなもの置いてあり、人気店であることが窺えた。実際注文してみると、丁寧で繊細な、舌の喜ぶ料理しか運ばれてこない。これはちょっと衝撃だった。何を食べても美味いのだが、とりわけハンバーグとチキンソテーに魅了されてしまい、なお心を捉えて離さないというわけです。小淵沢に用時や目的など他にないのだけども、このハンバーグとチキンソテーを食べる為だけに、車を走らせている。「こぶダイニング」の料金はリーズナブルなのだけども、レンタカー代、高速代などを考えると、なかなかの高級料理になってしまう。それでも、通う。それだけの魅力がこのお店のシェフとその料理にはあるのだ。シェフは6年前初めて店に入った時はいかにも偏屈親父という感じだったが、顔見知りになったというのを差し引いても、歳を重ねるごとに好々爺へと変貌を遂げているように思う。体調を崩し、現在はランチ営業のみ。いつまでも元気でいて欲しいものです。去年尋ねた時は、これからは饅頭とスープだけの店になる、と言っていましたが、とりあえずそんな様子はなさそうなので安心だ。
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さて、こちらが「こぶダイニング」の誇る傑作”シンプルハンバーグ”である。このブログの長年の愛読者がいらっしゃいましたら、お馴染みの画でしょうか。しかし、実はちょっと違う。今回は季節限定メニューである”鹿肉入りのシンプルハンバーグ”に挑戦してみたのです。ルックスはオリジナルのシンプルハンバーグとまったく変わりませんし、極上の味わいもほぼ同じ。しかし、鹿肉のハンバーグにはコクというか濃密な旨味がある。シェフが山で狩猟し、捌いた鹿肉なのだけども(凄い)、ジビエ特有の臭みは皆無。たたきのような鹿肉をオリジナルのソースで食べる”鹿肉のステーキ”も絶品なのでオススメだ。チーズハンバーグもデミグラスハンバーグも抜群に美味しいのだけども、まずはシンプルハンバーグをお試し頂きたい。シンプルとは名ばかりの複雑な味覚のハーモニーを堪能できる一品。マイベストハンバーグである。添えられた季節の野菜のフリッターも美味。野菜もすべてシェフの庭での手作りだと言う。そして、もうこの季節に絶対的にオススメな一品が”チキンソテーふきみそクリームソース”であります。
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チキンはカリっとジューシー。そして、ふきみそクリームソースがとにかくもう美味い。残ったソースもパンやご飯で余すことなく堪能したいものです。ふきみそはお土産として販売もしていて、必ず買って帰るようにしている。白米にのせたり、パスタに合えたり、と大活躍だ。セットに変更するとついてくるサラダやスープも素晴らしい。高原野菜のサラダのマヨネーズドレッシングも当然のようにシェフの手作り。
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冬から春にかけてはこちらのオニオングラタンスープを楽しめます。デザートのマイ定番は”クレープのオレンジ包み”なのですが、この日は品切れでしたので、久しぶりに”カスタードプリン”を選択。
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卵の優しい味、そしてカラメルが珈琲と合うこと。



鼻息荒くオススメしたものの、食事の為だけに小淵沢は・・・という方がいらっしゃるのもわかる。そこで山梨県でもう1つ素晴らしいスポットをご紹介したい。小淵沢から少し東京寄りに移動した中央市にあります温泉施設「ゆでんかん」である。
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サウナーの聖典サイトでありますあの『湯守日記』におきまして、静岡「しきじ」(こちらはサウナ―の聖地)クラスとまで評されたことでもお馴染みでしょうか。ここが本当に素晴らしい!900円というリーズナブルな価格でタオルも館内着もついてきますので、手ぶら上等。飲める源泉かけ流しの湯もじんわり温まって最高なのだが、何と言ってもここはサウナである。ストーブをベンチ下に配置したボナサウナで、7分に1回の自動ロウリュウシステムで、測上部から心地よし蒸気が降り注ぎ、身体は至福の熱に包まれ、毛穴解放で汗ダラダラ。そして、まずもって温度、湿度ともに最高のコンディションだ。井戸水を使用しているという水風呂は柔らかく、体感も17℃くらいでシャキっと冷える。塩素臭さもなく、水深、水量もバッチリ。これはもうとことん、とととのえます。であるから当然、飯も美味い。ノンアルコールビールと山梨名物の鳥もつ煮で。
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しきじ(静岡)やウェルビー(名古屋)より断然近いし、「こぶダイニング」とセットとなれば、これは足繫く通ってしまいそうだ。どうか皆さまもお試しあれ。

伊藤万理華(乃木坂46)個人PV 福島真希『伊藤まりかっと。』

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髪を切るのは億劫だ。私の中で美容室もしくは床屋に行く、というのが”素敵な自分になること”とイコールで結びつかないからだろう。伸びすぎたから仕方なく切りに行く。それはもうほとんど排泄行為のようなものであって、お金を払ってかしこまってウンチをしているわけだから、完全に不条理の世界なのです。とりわけローティーンの頃などは自意識が捻じれ果てていたわけで、雑誌の切り抜きを持っていって「小池徹平くんみたいにしてください」なんてことは絶対に言えないし、カットに細かい注文をつけたりするなんていうのもありえない、鏡越しに美容師と目が合うのがたまらなく恥ずかしくて、寝たふりをする。すると、たいてい出来上がるのは切り過ぎた前髪、もしくは刈りあげられた襟足である。こういった思春期男子の床屋での葛藤を見事に掬い上げた作品として

中学生日記―一生で一番ダサイ季節

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あたしンち (2)

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Q.B.B.中学生日記』、けらえいこあたしンち』2巻に収録されている「ユズヒコ床屋に行く話」あたりを挙げて語りたいのだけども、あまりに話が脱線していくので、それはまたの機会としよう。とにかく、自意識をこじらせた男子にとって、髪を切りに行くというのは、自殺行為のようなものなのだ。しかし、何やら女の子にとっては違うらしい。髪を切る、というのは”天啓”もしくは”宿命”のようなものであり、それは世界そのものを変容させてしまう行為であるらしい。思春期を心に宿した男性諸君には、とうてい理解できないその感覚を、完璧に、そしてとびきりキュートに映像化してしまったのが、伊藤万理華乃木坂46)の「伊藤まりかっと。」という作品である。
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まりっかっと かっと おーらい
なんだか気分 ブランニューデイ
似合うだろうぉが
伊藤まりかっと!

あぁ、素晴らしい。伊藤万理華の表情の豊かな表現力と柔らかい身体性もいいし、ウィットに富みながらも脱力した楽曲もいい(演奏はもっと下手でよかったような)。何より素晴らしいのが、カット、カットで切り刻み、不安定な自分を、世界を素敵に変えてしまうありよう。ロケーションにしろ、ダンスにしろ、衣装にしろ、映像はどこをとってもオシャレなわけだけども、同時に、アナーキズムがほとばしっているように感じる。フリッパーズ・ギターというとびきりにかわいい男の子2人組に「バスルームで髪を切る100の方法」というナイスな曲があって、その中で

クソタレな気分蹴とばしたくて
髪を切るさ バスルームでひとりきり大暴れ
ピストルなら いつでもポケットの中にあるから

という風に歌っていたのを思い出す。女の子のみならず、イカしたやつらなら男の子でも、”髪を切る”のは革命行為であるらしい。排泄行為と革命行為であるから、その距離はなんと遠いことか。私だってアニエスを着て悪態つく青春を送りたかった。



さて、こちらの『伊藤まりかっと。』は乃木坂46のシングル『インフルエンサー』初回盤の特典映像であります。乃木坂46のシングル初回盤には個人PVという特典がありまして(ないこともある)、そこではメンバーが様々なクリエイターとがっぷり組んで自由に映像作品を発表しているのです。そんな個人PVの歴史の中においても、最高傑作と誉高いのが『まりっか'17』(2013)という作品だ。
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定期とケーキ まちがえた(べちゃ)
ささいなことは 気にしないない

という歌い出しから最後まで、何から何まで完璧。多くのサブカル出身組が伊藤万理華推しに流れていったのは想像に難くない。その伝説的『まりっか'17』と同じく山本真希(監督)×福島節(音楽)×菅尾なぎさ(振付)×伊藤万理華(主演)という布陣で久しぶりに発表されたのが『伊藤まりかっと。』なのである。ちなみに、この作品を機に交際を始めたという山本真希と福島節の2人は後に結婚。『伊藤まりかっと。』のクレジットでは福島真希である。まさに人生変えちゃう作品だったのですね。



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hiko1985.hatenablog.com

最近のこと(2017/03/17~)

最近のことを書きます。先週の金曜日。この日も携帯なしの生活が続く。セブンイレブンがおにぎり100円均一セールをしていたので、いつもは買わないけども、お昼用におにぎりを買った。貧乏性なのでなるべく高いやつを、と普段160円くらいする鮭イクラのおにぎりをチョイス。ときに、イクラがコンビニとかファミレスで食べられるようになった時、凄く驚いた。イクラのような尊いものを手軽に食べられるようになったいいものか、と。実際に高価な食べ物なのだけど、幼い頃に抱いたイクラへの畏敬の念は強かった。鶏の卵以上に卵感があるというか、確かな生命の息吹きみたいなものを感じるルックスに神秘を見たのだろう。そして、何と言っても旨いのだから。お酒が飲めないのに、プリン体が気になるような食べ物ばかりを舌が好んでいて困ってしまう。
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サニーデイ・サービス「夢見るようなくちびるに」を曽我部恵一とハイハワで披露している!!Hi,how are you?のヒストリーVHSが発売されたそうなので、ぜひともゲットしたい。ココナッツディスクに買いに行かなくちゃ(現在、売り切れ中のようです)。仕事後に渋谷ユーロスペースでAマッソの単独ライブ『買ったらお縄!ホンチャン・ヤルデ株』を観た。
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ハードコアなネタばかりで、圧倒されてしまった。本当にこれはおもしろいのか、というスレスレのところ。往年の松本人志みたいだ。何回も何回も「まじで、何言ってんだこいつら」と頭の中で唱えた(誉め言葉)。これが支持される土壌を既に作り上げているのはすごいことだ。終演後、金曜日の夜に浮かれた渋谷の街にて、タイ料理屋でストイックに辛いタイ風焼きそばを食べた。辛いけども、とても美味。TSUTAYAに寄って、倉本聰ライスカレー』、向田邦子寺内貫太郎一家』のDVDを数本ずつ借りて帰宅した。夜中にタイ料理の香辛料でお腹が痛くなる。わかっちゃいるけどやめられない。



土曜日。朝起きて、いつものように一週間分溜め込んでいた掃除と洗濯を済ませ、ソフトバンクショップへ。携帯のある生活にHELLOだ。今回は大変きちんとした接客の頼りがいのある店員さんでスムーズに機種変更ができました。孫さん、先日は店員全員ペッパー君にしろとか書いてしまい申し訳ありませんでした。もう少しでロボットに支配される未来が訪れるところでしたね。『ドラゴンボール』で悟空のことを、ピッコロだけが「孫」と呼び、ブルマだけが「孫くん」って呼ぶのが僕はむちゃくちゃ好きです。そんな事、孫さんに言ってもしょうがないですよね。さて、せっかく新しいiPhoneにしたので、これを機にアプリを色々ダウンロードしてみようと思う。これまで本当に最低限のアプリしか使いこなしてこなかったのだ。今度こそ快適かつブランニューなiPhoneライフを送るぞ、と意気込んでおります。グノシーやSmartNewsなんかも読んでしまうのだ。ついでにInstagramのアカウントを取得してみた。Twitterとの使い分けがわからないので、投稿するつもりは今のところない。誰をフォローすればいいのかわからなくて、今のところタイムライン(インストはTLとは言わないのでしょうか)には石田ゆり子さんの自然体なお姿ばかりが並んでいます。オススメのアカウントをぜひとも教えてください。もちろん、坂元裕二満島ひかりのアカウントはフォローしました。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を観直す機会があって、音ちゃんのお母さんの声を聞いて、すずめちゃんが音ちゃんのお母さんなのか!?と驚いた、というようなことを坂元さんがインスタに投稿していた。それに対して、満島ひかり

坂元さんのドラマは、役と役が輪廻して繋がっていますね

とコメントしていて、すごくわかるぞ、と少し震える。私も放送時は、音ちゃんは『それでも、生きてゆく』の双葉の子どもなのだと思って観ていた。しかし、すずめちゃんがあの後、誰かと恋をして、音ちゃんを生むのだと思うと、胸がいっぱいになってしまうな。


機種変後、これまた近所のイタリアンでチキンコンフィーのプレートを食べる。いつ食べても素晴らしく美味い。特に予定のない1日だったので、家でひたすら借りてきたDVDを観た。

フジテレビ開局50周年記念DVD ライスカレー

フジテレビ開局50周年記念DVD ライスカレー

倉本聰の『ライスカレー』は時任三郎が主演の連続ドラマ。中井貴一も出るぞ。まだ途中なのだけども、カナダに行く前のほうがおもしろいというか、深い書き込みが多かった印象だ。カナダロケになってから、せっかく来たのだから、と冗長に風景を収めていて、間延びしている。後半に向けてまた盛り上がるのだろうか。DVDを借りる時にふと目に入った裏表紙に「〇〇が死んだ」という超絶ネタバレが表記されて、少し萎えている。もうそういう目でしか観られないじゃないか。陣内孝則が非情に軽薄で哀しい役を演じていてハマっているのだ。これが出世作であったらしい。夕方過ぎに自転車で出かけて西台にある「功泉湯」へ。薄暗い照明に木の香り、更に(ちゃんと動いてるのかよくわからないけど)自動ロウリュウシステム、と場末の銭湯とは思えない素晴らしい設備のロッキーサウナでウットリ。しかし、水風呂の温度が激ヌル。水温計は25℃を指している。常にジェット噴射が発されている凄まじい循環を見せる水風呂で、水質もいい。これがせめて20℃であったら、と泣いた。素晴らしいサウナで蒸気を浴びながら泣いた。いくらサウナが良くても25℃の水風呂じゃ、血液が廻らぬ、ととのえぬ。諦めきれないのでネットで検索してみると、17℃の水風呂と書いている人もいて、この日がたまたまチラーを入れ忘れていたのだと信じたい。こういう時、お店の人に「水風呂、ちょっと温過ぎない?」なんて風に気兼ねなく声をかけられる人間であったら、どれほど便利なことか、と思う。小沢健二が昔

back to back 臆病なくせに
1・2・3 無茶をする訳は
恥ずかしがり屋でシャイ
そんな自分が嫌だってこと

と歌っていて、むちゃくちゃ泣ける。小沢健二も本質的には恥かしがり屋でシャイなのだな。そんな人が「歌おーーー」なんて言ってると思うと、無茶しやがって、となります。溢れる幸せを祈ります。



日曜日。先日、近所にジョナサンがあるのを発見したので、起きてすぐさまモーニングを食べに行った。モーニングは非日常であるから好きだ。ジョナサンはドリンクバー付きなのがいい。モーニング行ったら、まずはオレンジジュース飲んで、食事中は紅茶で、食後にホットコーヒー飲みたいですもんね(膀胱破壊)。新聞も席に無料でついてくる。新聞を読みながら優雅に珈琲をすすり、神宮球場オープン戦でも観に行こうかな、なんて思ったが、花粉が億劫になり止めた。ヤクルトのオープン戦は例年に比べれば調子がいい。石川・館山のベテラン陣、新外国人ピッチャー、そして中継ぎが安定している。特に石山が素晴らしいピッチングを見せている。ずっとこの調子でシーズンを終えて欲しいものだ。調子のいい時の石山のストレートはズシンと重くてかっこいい。土門みたいだ(『ドカベン』です)。野球を諦め、少し離れた場所のサウナに遊びに行くことにする。電車を乗り継ぎ、大宮へ。そこからニューシャトル原市駅へ。「関係なくなっちゃった」でお馴染みのハライチの駅である。しかし、駅も街もハライチが出身であることを1ミリも押し出そうとしていなかった。ハライチ漫才パネルとか置いて欲しい。澤部さんの顔のところが丸っとくり抜かれていて、そこに各々が自由に顔をはめて岩井にツッコめるのだ。原市駅から徒歩5分ほどのところにありますスーパー銭湯「花咲の湯」を楽しんだ。混んでいるし、サウナも水風呂もそこそこなのだけど、外気浴スペースの解放感とチェアの寝そべり心地の良さでかなり印象がいい。入館した瞬間から漂うアロマの香りもナイス。岩盤浴に力を入れているようです。サウナのテレビではずっと『A LIFE~愛しき人~』の最終回事前スペシャルが流れていた。木村拓哉浅野忠信の対談という貴重なものを拝める。俺たちの世代が引っ張っていく、と言っていてかっこよかったです。ダイジェスト編集を観ていて、菜々緒の役どころがやはり気になった。壮大という役柄を多層的にするには必要だったのだとは思うのだけど、わりと大味なドラマなので、シンプルに木村×竹内×浅野の三角関係に絞ってくれたほうが観やすい気がした。キムタクの決めどこでの間と発話のセンスはやはり超一級品だ。5本くらいサウナと水風呂を決めて、館内着に着替え少し休憩した後、再びサウナを数本。ロウリュウサービスもそこそこ。近所にあったら通うが、遠いので再訪はなさそうだ。サウナを出て、ファンタグレープを缶で飲んだ。凄く美味しい。ファンタって凄くバカっぽい。思春期の乙女だったら、惚れた男がファンタを愛飲していたら、それだけで100年の恋もさめちゃうわ、なんて思っていたものですけども、今は素直に「ファンタはいい」と思える。勝手に乙女の気持ちを想像してしまったのですが、どうなんでしょう。やっぱりファンタ飲んでる男よりジンジャーエールの辛口飲んでる男のがクールですよね。そんなことないんですか。大宮駅の駅ナカで美味しそうなものを適当に見繕い買って帰った。食べながら録画の消化。『山田孝之カンヌ国際映画祭』が佳境でおもしろい。山下監督がずっと抜群だ。『ゴッドタン』のメモリアル回、懐かしくてグッときた。意識したことなかったが、多分最初からずっと観ている番組だ。当たり前のように享受しているが、この番組も決して当たり前じゃない。
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加藤浩次さんの「当たり前じゃねぇからな」を常に心に抱いていこう。



月曜日。おおいに寝坊する。しかし、休日なので安心である。昼くらいまでゴロゴロしていて、とりあえず仕事用のワイシャツを1週間分、アイロンをかける。アイロンをかけるのがあまり好きじゃないので、形状記憶のノンアイロンシャツを買うのですが、それでもアイロンが必要なくらい皺になる。ノンアイロンのビジネスシャツって本当にアイロンかけないで着られるものなのだろうか。それとも、洗い方が悪いのか、干し方が悪いのか。お昼ご飯に「マクドナルド」のてりたまバーガーを食べた。この国で何よりも春を感じるは、てりたまの広告を街で見かける時ではないだろうか。秋を感じるのは月見、冬を感じるのはグラコロ、あいかわらず季節には敏感でいたい。ジャンキーなフードを食らいながら、『寺内貫太郎一家』を2巻までググっと観る。

寺内貫太郎一家 1 [DVD]

寺内貫太郎一家 1 [DVD]

ハァー。ウットリするほどに素晴らしい。私はこの母親役の加藤治子がむちゃくちゃ好きだ。加藤治子の声ってすごくいいよな、と思ったら『ハウルの動く城』のサリマン先生の声が彼女だった。長男役の西城秀樹は完全にイケメンのスネ夫である。特に声。この頃の西城秀樹TOKIOの長瀬としずるの村上を足したような顔だ。寺内貫太郎を演じる小林亜星って幼い頃に「パッ!とさいでりあ」のCM(これもそのまま寺内貫太郎)でむちゃくちゃ見かけた後、パッとテレビで観なくなった印象がある。あれほどの雰囲気の人が芸能界からいきなりいなくなるわけないので、もしかしたら小林亜星というのは幼い頃に見ていた”夢”だったのかな、と思っていた時期がある。本職がタレントではなく、作曲家と知るのはかなり後になっての事である。知らない人はググっとみるといい。マスターピースしか作っていない。夕方過ぎに渋谷に出かける。タワレコでReal Estateのニューアルバムを購入した。
In Mind

In Mind

ライブを観に行く予定だったのだけど、その前にサッパリしたくなり、南青山の「清水湯」へ。しかし、入場整理券まで配るほどの混雑。未曾有の事態である。いつもそんなに混んでいるのだろうか。仕方ないので急遽、渋谷と恵比寿の中間にある「改良湯」という銭湯へ行ってみた。住宅街にあるビルタイプの銭湯だが、ここが大変よかった。サウナは110℃に近いカラっとしたストロングサウナ。強烈な暑さですぐに汗がボタボタと流れ落ちる。小さな音でスタンダードジャズが流れているが、ゴオーというストーブの大きな音にかき消されほとんど聞こえない。その感じもいい。水風呂は20℃くらいで少し物足りないのだけども、水質が柔らかくて気持ちよかった。サウナは定員6人、水風呂は入れて2人というミニマムな作りなのだけども、その定員をはるかにこえる利用者がひしめいていて、みんなで苦心しながらローテーションを組んだ。サウナ―達は無言で、意志を疎通し合うのだ。美しいだろう?110℃から20℃という落差で、むちゃくちゃにととのった。とにかく汗をたくさんかいたので、しょっぱいものが食べたくなる。たまたま見かけた博多とんこつラーメン屋に入った。500円で替え玉も無料。なんで、博多とんこつラーメンは自分をそんなに安売りするのだ。美味しいのに。


渋谷o-nestでayU tokiOのライブイベント『New Solution4』を観る。totosは初めて聞くバンドだったが、強烈に懐かしい(と言ってしまうと失礼なのだろうか)ギターポップで、ちょっと感激してしまった。しかし、さすがに何曲も聞いていると飽きてしまうわけですが、ちょうどいい塩梅でアユ君プロデュースの「too late」が披露され、その素晴らしさにノックアウトされた(このイベントのチケット代わりであるソノシートにも収録されている)。
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名曲。ayU tokiOは非常に秀でたソングライターであり、ボーカリストだが、アレンジャーとしての才能もまた本当にひっくり返るほどに凄い。Totosというバンドのポテンシャルが開放されていくがはっきりと感じられた。前髪を上げ、デニムジャケットにサングラスという怪しいルックスで優雅にストリングスを指揮する姿が最高にクールだった。トリのayU tokiOのライブはrolandリズムマシンによる打ち込みをベースとした新アレンジ。リズムマシンがまた凄くいい音だった上に、ドラムがシンプルになった分、上物のフレージングをおおいに楽しむことができた。ayU tokiOはギター奏者としても抜群だ。ウラさんのベースも素晴らしいし、マチコさんの鍵盤や歌もどんどん研ぎ澄まされていて、早く新しい音源が効きたい。マチコさんのソロ音源もむちゃくちゃ楽しみだ。久しぶりにライブハウスで音楽を聞いた気がする。
 


火曜日。コンビニのたまごサンドにすっかりはまっていて、1番のお気に入りはセブンイレブンのたっぷりたまごサンドなのですけど、ローソンから「煮たまごサンド」なる新たな刺客が登場していたので早速食べてみた。だし巻きたまごサンドと同じく和風ダシと辛子が効いている。もちろん、不味くはないが、私が重視しているコーヒーとの相性はいまいちだ。3連休明けであるにもかかわらず、定時で職場を後にし、お台場ZEPP TOKYOへと駆け付ける暴挙に出た。だが、仕方あるまい。けやき坂46(ひらがなけやき)の初単独ワンマンライブなのである。定時に出ても、お台場は遠いので、開演に間に合わず。当然、後ろのほうでステージはほとんど観えなかったので、モニターを眺めながらの鑑賞だった。他のメンバーよりキャリアや経験が上の長濱ねるがパフォーマンスで引っ張るという感じがまったくないところが凄くよかった。それどころか本当に下手っぴで、歌のソロをとるところなど、思わず「うわっ・・・私の歌、下手すぎ・・・?」というようなアチャー顔をしていて、これがまたとびきりキュートでありました。そう、何が素晴らしかたって生歌だったんですね。ダンスで息が上がってしまい歌えなかったり、乱れた吐息だったり、なんというかそのワチャワチャした感じに、久しぶりにアイドルライブらしいアイドルライブを観たな、と感慨を覚えました。そんな中、最年少である柿崎芽実は実に堂々としたパフォーマンスで、貫禄すら感じた。
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「誰よりも高く跳べ!」は本当に好きで、なんというか全てが完璧だと思う。振り付けとか。この野暮ったいディスコ路線をひらがなけやきにはきわめて欲しい。ライブでジャクソン5の「ABC」をカバーしていて、あぁやっぱりこっちで攻めるんだ!と喜んだのですが、新曲はまた違う路線でした。いい曲だったけど。ちなみに欅坂46のニューシングル「不協和音」は「二人セゾン」を経た今、そこまで盛り上がれない。あれがカップリング曲だったら文句なしに最高だったのだけど。全メンバーのことがすっかり好きになってしまいましたが、あまりに人間的魅力にあふれる斎藤京子さんを推していきたい所存です。お見送り会というイベントが予想外に発生し、退場規制があった為、帰るのがすっかり遅くなってしまった。しかし、間近で観るメンバーはむちゃんこかわいかったです。まさかここに来てリアルタイムで『カルテット』を観られず。長濱ねるさんも、ラジオで関連特集を組むほどファンらしいのだけども、彼女もまたリアルタイムでは観られないのだ(水曜もライブだからしばらく観られないのかも)、と心を強く持ちました。録画してある『カルテット』をヘトヘトになりながら観て寝る。



水曜日。昨日の疲れを引きずりながら残業。そんなさなか、平成の米泥棒として名高い「松屋」の”チキングリル定食”が今年もリリースされた。もはや春の風物詩である。スタミナ補強ということで、さっそく実食。今年度のチキングリル定食は~シャリアピンソースを添えて~という副題がついている。シャリピアンソースとは何ぞや、という話なのですが、なんでも飴色になるまで炒めた玉ねぎをベースにニンニクと醤油を混ぜ合わせたものらしい(店内放送が教えてくれた)。美味しいに決まっている。これがまた米を盗むこと。チキンはプリプリジューシー。更にプレートにはポテトサラダまで添えられていて、これがまたソースに合う。米は気が付いたらもう”ない”のだ。帰宅して、『カルテット』を何とか1回だけ観直した。最終話エントリーで書き漏れたこと。

・「窓は開けておくんだ いい声聞こえそうさ」で展開していくパターンもあった
・諭高さんのエリンギ、小ぶりでかわいい
チーズフォンデュにはソーセージもあったが、エリンギを選べるセンス
・諭高さんが『ドラゴンボール』のナレーションのモノマネをしている
・有朱ちゃんの「人生、チョロかったー」ってかっこよかった
吉岡里帆さんのブログで言及されていた『鏡の国のアリス』がどうのというのは結局何だったんだ
・裏設定でしょうか
・最初に拍手をする大二郎さん、いつもかっこいい
・ボーダー(白黒=グレイ)かぶり
・車内熱唱の際の松田龍平のアクション

他にもなんかあった気がするけど、まぁいいか。瑛大が今年の夏の連ドラ『ハロー張りネズミ』で主演をはるらしい。むちゃくちゃうれしい。しかも、大根仁が監督・脚本で森田剛と探偵バディ。さらに舞台は下赤塚!!ちゃんと原作どおり下赤塚らしい。ロケとかも来てくれるのだろうか。かなり近所なんだよなー。何もないけど、いい街ですよ、下赤塚は。山下達郎是枝裕和もこのへん出身だ。
youtu.be
頭の中に「チーズはさんではさんで甘いミルクに」というフレーズが鳴って離れなくなってしまって、これ何だっけか、とずっと考えた結果、ついに正解にたどり着いた。『ドラえもん』のアニメ放送の時に流れていた雪印とろけるチーズのCMだ。熊八先生という歌う料理人がCMを担当していて、これはフレンチとローストの歌だ。ごはんピザバージョンもあった気がする。 



木曜日。『カルテット』の全話エントリー、おかげさまでこれまでになく注目して頂き、一方でむちゃくちゃプレッシャーを感じていたのも正直なところ。毎週月曜日あたりになると「今回こそ書けないかもしれない」と緊張してしまうほどだったのですけども(弱い)、なんとか書き終えられた。「期待されると逃げる」というのを繰り返してきた人生だったので、この『カルテット』だけは逃げないぞ、と強い心で挑みました。逃げるは恥だが役に立つ、などとも言いますが、逃げなくて良かった、と思えることもあります。個人的に特にお気に入りのエントリーは3、4、8、9話あたりです。何話のエントリーが好きだった、とかあったら参考までに教えてください。後、自分で書いちゃいますけども、感想の中で「みぞみぞした」というの一切使用しないところが、美学でした。お読みくださり、色々と温かいお言葉を下さった皆様ありがとうございました。という感じに、この日は清々しい気持ちでサウナに出掛けることができた。自転車で土曜日に発見した西台の「功泉湯」へ再び。木曜日は男女の湯が入れ替わる日なのだという。女湯に入りたいというスケベ心ではございません。なんでも「功泉湯」の2つの湯は、サウナと水風呂の設備が全く異なるらしいのだ。前回入った湯は本格フィンランド式のロッキーサウナでしたが、この日の湯は塩サウナ。塩サウナというと低温のミストサウナが主流ですが、こちらはタイル張りのドライサウナの中で塩を揉む。大変珍しいのではないでしょうか。塩サウナなので、水道も設置されているので、タオルを湿らし、自ら風を起こすセルフアウフグースも可能だ。そらくらいサウナは空いていて、ずっと1人占めでした。4セットをたっぷり楽しみ、帰宅。

CITY(1) (モーニング KC)

CITY(1) (モーニング KC)

を購入したけども、まだ読んでいない。録画してあった今週の『水曜日のダウンタウン』がむちゃくちゃ面白くて、何度も声に出して笑いました。そうそう、Enjoy Music Clubの両A面7インチ『100%未来feat.三浦直之/そんな夜』にライナーを寄稿させて頂きました。以前ブログに書いた記事をベースに、大幅に加筆・修正してありますので、ぜひお読みください。「そんな夜」のライナー三浦くん。紙上共演できてうれしいです。ときに最近の「最近のこと」長すぎませんか。

坂元裕二『カルテット』最終話

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『カルテット』がついに終わってしまった。なんたる幸福な3ヵ月であったことだろうか。坂元裕二の最高傑作か否かという判断は観終えたばかりなので留保するが、間違いなく『それでも、生きてゆく』(2011)、『最高の離婚』(2013)という燦然と輝くマスターピースに肩を並べる作品の誕生である。坂元裕二への強烈な愛を叫びながらも、作家としてのピークはもう過ぎてしまったのではないだろうか、と密かに案じていた自身を恥じ、そして喜びたい。『カルテット』ではこれまでの得意技を更に研ぎ澄まし、時代の空気に適応しながら、新しい領域に果敢に突入している。坂元裕二はまだまだ我々の心をおおいに揺らし続けてくれることだろう。さて、最終話ということですが、物語としてのピークは9話で終えていて、まさにエピローグという印象。これまで鳴らしてきたいくつかのテーマを丁寧に再確認しながらも、”永遠に終わらない”という稀有な感覚を画面に刻み込んだ美しいフィナーレだったように思います。このドラマについて書きたいことは同じく全て9話のエントリーに託してしまったので、正直もう書くことがない。しかし、ここまできたならと、振り絞って筆をとります。ピークタイムのないダラダラとした文章になってしまうかと思いますが、どうかお付き合いください。



『カルテット』というドラマは、そのモチーフに”ドーナッツ”を据えている。であるから、物語はその穴の周りをなぞりながら円を循環し、元の地点(1話)に舞い戻ることになるのだ。離散してバラバラになっているかと思われたカルテットメンバーは、軽井沢の別荘に留まり、これまでのように暮らしている。しかし、どこかが違う。まるでこれまで我々の観てきた『カルテット』の”並行世界”であるかのように。まず”真紀の不在”という大きな変化がある。カルテットからトリオに。だが、それはやはり4人で暮らしているのと同義でもあるようだ。

いなくなるのって、消えることじゃないですよ
いなくなるのって、いないっていうことがずっと続くことです
いなくなる前よりずっとそばにいるんです

かつて真紀(松たか子)の口から発された言葉を別府(松田龍平)が噛みしめるように実感している。*1真紀のコロッケデートシンドロームを巡る会話(と視線)からも、家森→すずめ→別府→真紀というお馴染みの矢印の片想いが健在であることが窺える。


これまでの『カルテット』の世界との差異をより鮮明なものにしていくのは、不在そのものでなく、繰り返される1話の様々なシークエンスの反復によってである。別府がミニバンで迎えに行ったヴァイオリニストは、聞き取れないほどの小さな声で話す人見知りの女性ではなく、腹式呼吸のような大きな声で話す神経の太そうな女性に。途中でミニバンに乗り込む家森(高橋一生)は、雌犬に覆い被さられ顔をベロベロと舐められている。かつては道案内した女の子に別れ際にキスをかますような気障な男であったはずなのに!机の下で猫のように眠っていたすずめ(満島ひかり)は豚になってしまったようだ。差異は1話とのそれに留まらない。ライブレストラン「ノクターン」は和食ダイニング「のくた庵」に、”紫式部”はボックスからポケットティッシュに、家森と別府は互いを下の名前で呼び合い(諭高さんのエリンギ!)、別府の袖をまくる癖はズボンの裾捲りに移行している。鍋のマロニーをハサミで切ってあげる家森の所作には美容室で働いていた頃の名残が少しだけ残っている。同じようで少し違う。まさに並行世界。そして、何より異なっているのが3人の生活ぶりである。二度寝の常習者であったすずめは徹夜で資格の勉強をする意識高い系に、無職であった家森は週7日労働をこなすハードワーカーに。対して、これまでカルテットを養っていたはずの別府が仕事を辞めて無職に。別府は思う、みんなどうかしている、と。僕はみんなのちゃんとしてない所が好きだったのに。このパラレルワールドから抜け出す鍵はやはり不在の真紀にあるだろう、と1枚の写真を頼りに捜索を開始する。3人がミニバンに乗り込み、冒険の旅に出掛ける。この質感はやはり『ドラゴンクエスト』的だ。真紀を勇者とするならば、魔法少女(すずめ)、僧侶(別府)、遊び人(家森)というイメージがしっくりくることでしょう。そして、4人が集まり、再び演奏された「ドラゴンクエスト序曲」の間奏が、1話でのレベルアップのテーマから、セーブポイントのテーマに変更されている。これでもう4人は離れ離れのスタート地点には巻き戻らない、という安心なのだ。



真紀を再び迎え入れるまでシークエンスの見事さは、この最終話における白眉と言えよう。再会の場面における、日が落ちた団地に風に揺れる木々が影を映し出す、という画作りの強さ。『カルテット』という作品の映像感度の高さも、脚本の強度と同様に書き記しておきたい要素だ。洗濯物を干す、引き戸の開け閉め、走る、降りる、転ぶ、といったごく小さなアクションが、イメージとの連なりでもって、”活劇“とすら呼びたい興奮をもたらしている。少し振り返ってみよう。真紀がベランダで洗濯物を干す。一足の靴下には穴が空いており、真紀の脳裏には無意識に、”欠けた”仲間たちがよぎったことだろう。すると不思議なことにその仲間達が奏でる音色が聞こえる気がする。そんなはずあるわけないのに。そういったボンヤリとした思考も、けたたましい洗濯機の騒音が、すぐさまかき消してしまう。真紀は気のせいだろうな、と引き戸を閉める。暴れ回る洗濯機、嫌がらせ行為のこれまたけたたましいノック音、そういったノイズから逃れる為、部屋に戻った真紀はイヤフォンで耳を塞いでしまう。ここで真紀は仲間の音色と完全に分断されてしまう。しかし、そこに風が吹く。風はベランダに干された洗濯物を揺らす。真紀は慌ててベランダに戻り洗濯物を仕舞おうとする。ここで再び扉が開かれ、音色が彼女の耳を揺らすことになる。洗濯終了の合図音がそれを阻害しようとするが、煙であり、つまり流動体であるトリオの演奏は風に乗り、今度ははっきりと真紀の耳を捉える(君の部屋までも届く)。居ても立っても居られなくなった真紀はサンダルつっかけで部屋を飛び出し、階段を駆け下り、その音の鳴る方へ。急ぐあまりに転んでしまうほどの走りをみせる。この”転倒”がどうにも感動的だ。何度も繰り返し転んでみせたカルテットメンバーの中において、これまで真紀だけが一度も転んでこなかった。”転ばないこと”(=しくじらないように慎重になること)が、世を偽って生きる彼女の絶対に守らねばならぬルール、もしくは”呪い”のようなものであったからだ。つまり、あの転倒は、そういった呪縛から解放された”走り”なのである。そんな走りの先にいるのは、彼女の世界そのものを変容させてしまう、運命共同体に他ならないだろう。



並行世界のモチーフは意外なところにも潜んでいる。それは坂元裕二の必殺技とも呼べる手紙に。あの手紙の主は誰だったのだろうか。手紙の主と推測されるコンサート会場にいた”G”のキャップをかぶった女性を演じていたのが主題歌を担当した椎名林檎だったのでは、という憶測が流れた。なるほど、確かにそれは気が効いたファンサービスかもしれない。だが、手紙の主は椎名林檎が演じてはならない人だ。名前もない、顔もない人、誰でもない人でなくてはならない。それは彼女が、”みんな”と出会わなかった並行世界の真紀であり、すずめであり、家森であり、別府であるからだ。

世の中に優れた音楽が生まれる過程でできた余計なもの。みなさんの音楽は、煙突から出た煙のようなものです。価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。私は不思議に思いました。この人たち煙のくせに何のためにやってるんだろう。早く辞めてしまえばいいのに。私は5年前に奏者を辞めました。自分が煙であることにいち早く気づいたからです。自分のしていることの愚かさに気づきすっぱりと辞めました。正しい選択でした。本日またお店を訪ねたのはみなさんに直接お聞きしたかったからです。どうして辞めないでんですか?煙の分際で、続けることに一体何の意味があるんだろう?この疑問はこの一年間ずっと私の頭から離れません。教えてください。価値はあると思いますか?意味はあると思いますか?将来があると思いますか?なぜ続けるんですか?なぜ辞めないんですか?なぜ?教えてください。お願いします。

この匿名の手紙への回答は、コンサートにおけるカルテットの演奏で返される。1話に登場し、スーパーマーケットでの「ドラゴンクエスト序曲」の演奏に目を輝かせていたあの中学生2人組がコンサート会場に姿を見せる。届く人には届いているのだ。

すずめ「あ、でも、外で弾いてて
    あ、今日楽しいかもって思ったときに
    立ち止まってくれる人がいると
    やった!って思います。その人に何か・・・」
真紀「届いた!自分の気持ちが・・音になって」
別府「飛ばす、飛んでけって」
家森「わかります、音に飛べ、飛べーって」
真紀「あの感じがね・・・」

そして、手紙の送り主である”並行世界の自分”にも届いてしまったに違いない。煙突の煙のようなもの、つまりは流動体であるカルテットの演奏だからこそ、シームレスに階層を超え、本来交わるはずのない世界のあの子の元に、音が、想いが届く。離れ離れになってしまった真紀の部屋のベランダに届いたように。どんなに隔たれていようとも、どんな形であろうとも、届く人には届く。”人と人はわかりあえない”という諦観の元に、徹底的なまでのすれ違いを描いてきた坂元裕二が、常にその筆で最も力を込めて伝えようとしているのは、こういった希望だ。この考察に小沢健二の「流動体について」が潜んでいることも届く人にだけ届けばいい。坂元裕二という作家はこの10年間、小沢健二以上に小沢健二な言葉を駆使してきた作家であると個人的には考えていて(山田太一小沢健二坂元裕二という美しいリレー)、小沢健二本人が復活を果たした今、両者が完璧なまでの共鳴を見せていることに、感慨を覚えてしまう。



欠点と嘘で結ばれたカルテットが、その”負債”を逆手にとり、たくさんのお客をホールに集めていく反転は、実に美しく感動的だ。しかし、問題は真紀とすすめの控え室でのやりとりだろう。

すずめ「真紀さん。一曲目って、わざとこの曲にしたんですか?」
真紀「ん?好きな曲だからだよ」
すずめ「・・・真紀さんのこと疑って来た人、別の意味にとりそう」
真紀「そうかな・・・」
すずめ「・・・なんでこの曲にしたの?」
真紀「零れたのかなぁ・・・内緒ね」
すずめ「・・・うん」

いかようにも解釈のできるこの謎の残し方である。ここですすめが指摘しているのは「死と乙女」という楽曲の持つ”死”のイメージが、執行猶予中の真紀につきまとう疑い(義父の殺害)を色濃いものにしていしまうのでは?ということだろう。しかし、対する真紀の「零れたのかなぁ」という返しはどうだろう。とても主語が”殺意”であるとは思えない。劇中使用楽曲のバックボーンについては基本的には触れないと宣言しておきながらも、抗えずシューベルトの「死と乙女」という楽曲についてWikipediaで調べてしまった。

病の床に伏す乙女と、死神の対話を描いた作品。乙女は”死”を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。ここでの”死”は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。

“死”を安息として表現した楽曲とのことである。これまた様々な解釈が可能だと思うのだけども、私は、真紀の黒髪に混じった白髪(グレー)やストレスで荒れたしまった手を想う。匿名による無数のバッシングに疲弊し、自ら”死”を望んだこともあった(でも、今は”みんな”がいる)という真紀の告白(零れた想い)なのではないか。しかし、そういった謎解きは意味をなさない。重要なのは、「信じて欲しい」という真紀の言葉であるし、秘密を守ることだ。そして、何よりも松たか子満島ひかりの”顔”の演技の凄みに他ならない。真相は明らかにならず、グレーの中へ。気に食わない人はどこまでも腹立たしいであろうアンチドラマの姿勢が、最終話においても貫かれている。


再びたくさん眠るようになったすずめが、夢から目を覚ます。ふと、あの夢のような充実感を覚えたコンサートも”夢”だったのではないかという疑念がよぎる。しかし、1枚の写真が確かにあのコンサートの現実を保証している。夢じゃなかった、と安堵の表情を浮かべるすずめ。この質感はまさに『となりのトトロ』(1988)の屈指の名シーン

夢だけど 夢じゃなかった

ではないか。最後までジブリへの目配せが貫かれている。


そして、センキューパセリである。どう考えても、”唐揚げにレモン”と比べると、キレがないし、無理がある。それでも、坂元裕二が入れ込みたかったメッセージがある。

ねぇねぇ君たち
見て!見てぇー!

この子たち言ってるよねー
ここにいるよー

食べても食べなくてもいいの
ここにパセリがいることを忘れちゃわないで

このドラマにおいて、本当に大切なことはいつも家森の口から冗談のようにして語られる。1話のはじまりを思い出したい。誰からも耳を傾けられないにも関わらず、路上で演奏するすずめだ。社会と上手に接続できない名も無き人々は、「わたしたちはここにいます」と叫んでいる。そのか細く小さな”ボイス”に耳をすましてみよう。このドラマは、真紀の聞き返してしまうほどの小さな声に耳をすますことから始まったはずだ。その散り散りになったボイスが集まり、交じり合い、調和がとれたその時、それは人々を躍らせる音楽となることだろう。


物語の締め方がいい。スクリーンプロセス撮影の車内で主題歌を歌い狂うシーンも出色だ*2。道に迷うことすら肯定する人生賛歌の筆致。そして、すべては、”途中”、という感覚。真紀の義父殺害疑惑も、才能も、夢も、別荘売却も、片想いの結末も、全て宙吊りになったまま、カルテットのメンバーはミニバンに乗り込み旅に出る。途中であるから、グレーであるから、自由にどこへでも進める。どんな続きをも書き足すことだってできる。生き辛さを湛えた人々の希望の物語は最後、名も無き我々の手に差し渡されたのである。




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*1:余談になるので脚注に回すが、この度、サニーデイ・サービス岡崎京子をジャケットアートに迎えて発表した新曲「桜super love」の”きみがいないことは きみがいることだなぁ”というフレーズと完全な共鳴をなしていることは言及せずにはいれないだろう

*2:やはり黒沢清クリーピー』における香川照之の「まだまだ行くぞぉ」を彷彿させる