青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

玉田企画『少年期の脳みそ』

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玉田企画の演劇は徹底的にアンチドラマである。この『少年期の脳みそ』のあらすじを述べるにしても、「高校卓球部の合宿の一夜」としか言いようがない。その合宿の一夜で繰り広げられる出来事の細部は、とても”あらすじ”に要約することはできない。要約されることを拒むような“小さなドラマ”が無数に積み重なっているのだ。主催の玉田真也の類まれなる観察力と着眼点で掬い上げられたミクロな感情の揺らぎ。人間の発するその“小さな意味”を、正確に細やかに舞台に立ち上げてこそ、真の人間ドラマというようなものが描き出せるのだ、という信念を感じる。


もちろん、舞台上で役者が放つ台詞と身体にはそんな気負いは一切感じさせない自然な軽やかさがあり、常に笑いに包まれている。とにかく役者が皆、抜群に巧い。とりわけ、もはやスターシステムのような吉田亮と木下崇祥の2人の臭みのある存在感が抜群。悲劇的なまでの人間のすれ違いは、喜劇だ。空気の読めない人々のやりとりは、神の視点を持つ我々観客からすると、あまりにも滑稽であるのだが、そこに愛おしさを覚えさえもする。大学生のOBとこっそり付き合っている2年生女子の先輩に、面前で告白させられ、当然のように玉砕する童貞の津田。そんな彼にそっと寄り添い慰める顧問の先生を、玉田真也その人が演じている。その事に、胸が熱くなってしまった。あの津田のみっともなさに寄り添う、それが玉田企画の演劇の神髄ではないだろうか。そして、ラストの、2年生女子二人のやりとりも白眉であろう。言葉になりきらない想い、”小さなドラマ”が、壮大な花火として打ちあがり、散っていく。儚く美しいエンディングである。


さて、この『少年期の脳みそ』は新作ではなく、2014年公演作の再演とのこと。なるほど、2016年に鑑賞した『怪童がゆく』『あの日々の話』という2本の傑作に通ずる、既視感の強いプロットも数多く見受けられた。『怪童がゆく』が大学のゼミ合宿、『あの日々の話』が大学サークルのカラオケオール、そして『少年期の脳みそ』が卓球部合宿、と基本的にどれも同じような話なのだけども、とにかくそれぞれの舞台設定が秀逸過ぎるので、存分に楽しめた。今作も抜群に面白いが、前述の2作は既にネクストレベルに到達している印象も覚えたので、来る純然たる新作への期待は高まるばかりである。



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ロロ+EMC feat.いわきっ子 in『演劇人の文化祭LIVE』

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パルテノン多摩で開催された『演劇人の文化祭LIVE』で披露されたロロ+EMC feat.いわきっ子のパフォーマンスにとにかくもうガツーンとやられてしまった。なんとかこの感動を書き残しておきたい。しかし、その感想をこのブログに公開したとしても、それは不特定多数の人にシェアする批評としては機能しないような気がする。どうにもこうにもロロとEnjoy Music Club(そして、いわきっ子に)に過度な思い入れを抱いてしまっているからだ。だからこれはただのラブレターのようなものであって、そんなものは読みたくないという人は読まなくていいし、このラブレターがひょんなことで間違えて貴方に届いてしまったのなら、それはそれでとてもうれしいことです。


まず、お揃いの衣装を纏ったロロメンバー5人が登場し、5本のマイクスタンドの前に立つ。背中に”LOLO”と刺繍されたキュートな紺色カンフースーツはメンバーの森本華によるものだ。5本のマイクスタンド=SMAP俺たちに明日はある」であるからして、昨年、一夜限り披露された幻のSMAPトリビュートミュージカル『ひらひらの』のナンバーがかき鳴らされる。EMCの江本祐介(詞はおそらく松本壮史と三浦直之か)によって編まれた2曲のナンバーは、「SHAKE」であったり、「夜空ノムコウ」であったり、「朝日を見に行こうよ」であったりという、国民的アイドルの往年のヒットナンバーのフレーズやコードや質感を点在させた、まさに”失われた新曲”というような趣なのです。まずもってこの楽曲がむちゃんこいい。泣ける。このエントリー内で本当はあと100回くらい書きたいのだけども、くどいので1回で打ち止めにしておくが、江本祐介は紛れもない天才だ。ここ1年における、そのメロディーメイカーとして充実は、すべてのポップミュージック愛好家に発見されるのを待っている。


亀島一徳を欠きながらも、ロロの役者陣5人が集結している。ロロメンバーの横並びの立ち姿の美しさよ。圧倒的にキャッチ―なルックス、個性豊かでバラバラで、でも確かに1つの共同体なのだ、という感じ。これはもう本当にただのファン心理なわけですが、このメンバーが青春時代に偶然出会い、1つのコミュニティ(劇団)を結成し、モラトリアムなんて時期をとっくに過ぎ去った今なお、懸命にサヴァイヴし続けている、その事実だけで私は胸がいっぱいになってしまうのだ。さらに、このパフォーマンスにおけるロロメンバーには、楽曲の力によって2017年現在失われてしまったSMAPの質感がトレースされている。あの”CRAZY FIVE”が勢揃いした時の、あの得も言われぬマジカルで無敵なフィーリング。そんな風に頭の中でSMAPとロロをオーバーラップさせていたら、驚くべきことに、1曲目にして涙腺が崩壊してしまった。まずい、これは恥ずかしいぞ、と終始上向きでの鑑賞が始まります(涙がこぼれないように!)。島田桃子が担当した振り付けも見事にSMAPのグルーヴを踏襲していて、「統制のとれたダンス」というのから少しルーズに逸脱していて、フリーダムってやつを体現している。余談になりますが、ロロ男性陣における、野比のび太(三浦直之)が夢に見る、理想ののび太(亀島一徳)、理想のジャイアン(板橋駿谷)、理想のスネ夫(篠崎大悟)という藤子・F・不二雄感もまた超好きです。


『ひらひらの』においては、元SMAPの5人というのを演じてのステージだったわけだが、今回のステージはロロの板橋駿谷、望月綾乃、篠崎大悟、森本華、島田桃子として登場している。よく考えてみれば、ロロの面々が何かの役を演じるでなく、”本人自身”としてその身体を舞台上に晒すのを目にするのは初めてなのだ。パフォーマンスの途中、ロロメンバーが“あの頃”の思い出をそれぞれ連呼していくシーンが挿入される。それに耳をすませていると、舞台を観ているだけでは知りえないロロ固有の青春の一端に私たちは触れてしまう。たとえば「あぁ、板橋くんと望月さんはみんなより年上だから、他のメンバーからは”さん”づけで呼ばれているんだな」とか。そうすると、

あれから 僕たちは
何かを信じてこれたかなぁ

というフレーズが切実さをもって響いてしまうのだな。


ロロ5人がSMAPトリビュート曲を2曲披露した後、いよいよEnjoy Music Clubの3人が登場だ。自然体に緊張している感じがすごくいいぞ。「EMCのラップ道」ではロロメンバーも加わりラップをかます。森本華は板橋駿谷はラップも上手いのだ。とりわけ素晴らしかったのはEMCの3人とロロ女性陣3人が向かい合い、3組のカップルとなって歌う珠玉のメロウチューン「ナイトランデブー」だろう(個人的に1stアルバム『FOREVER』で1番好きな曲だ)。
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柿ピーみたいになりたい
僕が柿で
君がピー

というリリックは、今聞いてしまうと、思わず坂元裕二『カルテット』6話の松たか子宮藤官九郎をオーバーラップさせてしまうだろう。とりわけ胸を打ったのが、E+島田桃子ペアでして、Eさんの照れというか島田さんとまったく視線を合わせられない感じに、「この人、ホンモノだ!!」と大変興奮いたししました。楽曲が終わると、そのペアだけが残され、島田桃子がEに向けて「がんばってね」と声をかける。ここでの島田さんの発話もリアルと虚構が揺れていてまことに素晴らしい。島田桃子が舞台を去ると、EMCの衣装を脱ぎ、江本祐介が現れる。舞台上の高まりきったエモみを引き継ぐように、あの大名曲「ライトブルー」が披露される。
youtu.be
このMVさながらに、いわきっ子達が続々と登場し、学校生活での所作をダンスへと変容させていく。その舞いは、直視できぬほどの眩しさを纏った青春の可視化だ。もうここらへんで、上向きに観ていようとも零れる涙。更に、ロロ主催の三浦直之が登場し、ライムをかます。

ベイベー
未来はいつも
100%楽しいから

ついに初披露された「100%未来」は、この度高校生活にピリオドを告げたいわきっ子たちの未来を照らすようだ。ロロ、EMC、いわきっ子、そしてこのパフォーマンスを目撃した観客のこれまでとこれからが交差して、重なり合って、音楽が鳴ることの素晴らしさ。あらゆる分断を乗り越え、混ざり合っていこうという希望の音楽だった。

アイラブユーってゆうかダンスウィズミー
ボーイミーツガールだけじゃもう足りない
ミーツミーツミーツ
出会った 君あなた
僕と私 あの鐘を鳴らそう


ロロ+EMC「ミーツミーツミーツ」


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最近のこと(2017/03/03~)

豚の生姜焼きが好きだ。生姜焼き定食、というのをメニューに見かけてしまうと6割方は頼んでしまう。サウナに併設されているレストランでのそれは8割にまで跳ね上がる。サウナの後に食べる生姜焼きが想像を絶する美味さであることは想像に難くないでしょう。肩ロース肉が一般的ですけど、バラ肉で作るやつも美味しいですよね。私が生姜焼きに強い気持ちを抱き始めたのは、小学校の家庭科の授業に遡る。栄養学か何かの一環で、「あなたの好きなメニューを3つ書きましょう」という課題が出た時のことだ。他2つに何を選んだか忘れたのだけど、そこに”生姜焼き”と書いたのをはっきり覚えている。好きだった女の子が用紙を覗いてきて、「生姜焼き!!めっちゃいいね。私も書こう」と言ってくれたからだ。そこから私の世界の法則(ルール)に「生姜焼き=めっちゃいい」というのが書き加えられたわけだ。しかし、こうやって思い出してみても、その子に抱いていた”好き”は何ら間違えていないな、と思いますね。



金曜日。3/3なので両津勘吉の誕生日だ。1週間の疲れを癒す為、池袋「タイムズスパ レスタ」へ。都内のスパの中では、指折りのオススメ店。しかし、HPによりますと、女性サウナには低温のミストサウナしかないようなので、ハードサウナ―な女性の方には物足りないかもしれないのが残念だ。これは後楽園「ラクーア スパ」も同じ。いつの日か、男女間でのサウナ施設の区別がなくなることを祈りましょう。「タイムズスパ レスタ」はサウナよし(自動ロウリュウが最高)、水風呂よし、外気浴よし、香りよし、清潔感よし、飯も美味くて、休憩スペースもたっぷり。言うことなしの快適空間なのです。特に外気浴が素晴らしいのだ。11階という高層の立地からか、とにかくビル風がビュンビュン吹いている。サウナと水風呂と血液を循環させまくった状態でデッキチェアに寝そべって目をつむっていると、空を飛んでいるよう感覚が得られるのです。ジブリ的飛行。もしくは舞空術だ(『ドラゴンボール』で空飛ぶことを、舞空術って呼ぶのいいですよね!)。この日のロウリュウは特別プログラムのヒーリングロウリュウ「アーネトン」で、絞られた照明の薄暗さの中で響くピアノの音色、静かに蒸されました。サウナで蒸されながら、明日から上演開始するロロのことを考えていた。で、驚いてしまったのだけど、この日、同じ時間に、ロロ主催の三浦直之がレスタで蒸されていたらしいのだ。なんたる奇妙な連帯。全然気づかなかったのだけども。蒸して冷やしては繰り返し、身体の中がすっかりホカホカになったので、退館。外の冷気を心地よく感じながら、池袋の街を歩く。サンシャイン通りの裏道では、いつだって女子高生の恰好をした客引きがいる(これからはあそこを”いつ高”通りと呼ぶことにしよう)。5人くらいの高校生の恰好をした女子高生ではないのであろう女の子たちが、「あーむずい」「どういう感じの人に声かければいいの?」「んー私は手当たり次第にいくね」という会話をしていた。その手当たり次第から漏れてしまった私は仕方がないのでイヤフォンで音楽を聞く。小沢健二「流動体について」とEnjoy Music Club「そんな夜」に涙腺が緩んだ。サウナでととのってしまうと、飯も美味く感じるが、音楽もより一層深く染み込んでくるのかもしれない。『住住』の主題歌であるEnjoy Music Club「そんな夜」が配信開始されましたので、マストチェックでお願いします!!マジで名曲。EMCのその名曲製造機ぶりはとどまることをしらない。



土曜日。朝起きてまず『ドキュメント72時間』の録画を観た。猛烈に串カツが食べたくなる。洗濯を澄まして、朝風呂に入り、湯船で長嶋有『夕子ちゃんの近道』を読み終える。

夕子ちゃんの近道 (講談社文庫)

夕子ちゃんの近道 (講談社文庫)

「Title:満月 本文:ですな」というメール、グッときた。お昼にインドカレーを食べて、渋谷へ。久しぶりにレンタビデオ屋でDVDをレンタルした。Netflix、Hulu、amazonプライムという環境に身を置いてしまったので、本当に久しぶりな気がする。渋谷から駒場東大前まで歩き、アゴラ劇場でロロ『すれちがう、渡り廊下の距離って』と『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』を観た。本当は4公演の通しで観たかったが、もう椅子に座り続ける体力(忍耐力?)に自信がないので、断念。『すれちがう、渡り廊下の距離って』の篠崎大吾のジェンダーレスな感じは本当に素晴らしい。しっかり”転校生”している。新作の『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』も素晴らしかった!
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森本華の「散文的に笑う」アクションでむちゃくちゃ笑ってしまったな。多賀麻美は本当に高校生のように永遠に若い気がする。まったく面識はないが、人に多賀麻美の事を話す時はつい気やすく「”多賀ちゃん”がさぁ」と言ってしまう。そういった親しみやすさを多賀麻美が体現しているというのもあるが、つまるところ、”ガ”なんだと思う。多分、日本全国の加賀さんも、須賀さんも、多賀さんも、あだ名は”ちゃん付け”だと思う。でも、羽賀研二は羽賀ちゃんと呼びたくないな。しっかし、『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校シリーズ』って小沢健二が完全復活した今、更に旨味のあるタイトルと化したものだ。思い返してみれば、6年ほど前に『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』というロロの公演タイトルを目にして、絶対観たい…!と検索したのが、出会いのきっかけだった。



日曜日。大きい荷物の受け取りなどが立て込んでいたので、基本的に家にいた。レンタルしてきた山田太一岸辺のアルバム』を最後まで鑑賞。

岸辺のアルバム DVD-BOX

岸辺のアルバム DVD-BOX

頭からジャニス・イアンの歌声が離れない。『ゲーム・オブ・スローンズ』もシーズン2までやっと観終えた。どちらも震えるほどおもしろくて、頭がボーっとしてしまう。荷物も無事受け取り、近所の銭湯に行き、軽くサウナを楽しむ。日曜の夕方の銭湯はとても賑やか。帰りしなに発見した小汚いスーパーで”自家製”と大きく銘打たれたモツ煮とサラダカニカマを買って帰り、オールフリーで流し込む。モツ煮は自家製だけあって大変臭く、サラダカニカマにマヨネーズと七味をつけて食べるのは美味しい。この日放送の『欅って書けない?』がむちゃくちゃ面白かった。突如スタジオに生まれた法則みたいなものに、MCを含めた全員カチっと噛み合い、いいヴァイブスが流れていた。普通に声を出して笑ってしまった。



月曜日。『ラ・ラ・ランド』むちゃくちゃ好きなわけじゃないのに、批判されているのを見かけると無性に腹が立ってしまうのは何故なんだろう。ちなみに、感性が批判されて怒っている、とかそういう話ではまったくない。仕事後にレイトショーでドラえもん映画の新作『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』を観た。
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ティザー広告の素晴らしさから期待値が高まっていたのですが、それを裏切らぬ佳作に仕上がっている。往年のドラ映画の質感が少しずつ蘇っている。来年は『のび太の南海大冒険』なのかな。あんまりいい印象ない作品なんだけど、ここからへんもリメイクしていくのか。『のび太の海底鬼岩城』は大切にリメイクして欲しい。しかし、どうせなら昼間の回で観て、子ども達の反応も伺いたかったものです。そして、入場者特典のおもちゃ貰いそびれている事に気づく。映画を観終えてお腹が空いたので「富士そば」でコロッケそばを食べた。
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コロッケそばを食べる時は、いつでも東海林さだお先生のエッセイに一遍を頭の中で反芻しながら食べる。『万年B組ヒムケン先生』は総集編で、本当に番組を畳みにかかっていて悲しい。



火曜日。WBCの初戦と『カルテット』の放送日なので、いそいそと帰宅。かつて得体が知れず最強だったキューバが弱体化していてつらい。3番セペダ、4番デスパイネではなぁ。しかし、全員スイングは早かった。筒香選手のホームランにむちゃくちゃ痺れる。筒香は高橋一生くらいかわいいぞ。試合が1時間延長で、『カルテット』も1時間遅れ。思っていたよりは早かったのでよかった。8話、素晴らしかった。『いつ恋』が8話からどんどんひどくなっていったので、すごく安心してしまった。すずめちゃん(満島ひかり)がかわいすぎて、ピンときてしまった。眼鏡クイックイッ。あのたこ焼き屋さんが時任三郎だったら、感情が破壊されていたので、むしろ違くてよかった。坂元裕二×中井貴一×時任三郎がむちゃくちゃ観たいのだ、私は。水曜日。この日もWBCを観る。オーストラリアの4番が元ヤクルトのデニングだった。デニングの満塁ホームラン、懐かしい。木曜日。『カルテット』8話の感想、何とか書き終える。あと2回書けば終わりだと思うと気が楽だけども、もう自分に持ち球がない気もしていて不安だ。精魂込めて書いているつもりなのだけども、同い年くらいの評論家さんにTwitterで、「対象の魅力を損ねる貧しい批評」というようにこきおろされていた。ハラワタが煮えくり返りましたが、藤子・F・不二雄エスパー魔美』1巻を読んで、心を静めた。F先生ありがとうございます。
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白菜鍋を作って食べて、お風呂にゆっくり浸かって寝た。



金曜日。小竹向原の劇場で玉田企画『少年期の脳みそ』を観劇。おもしろかったなー。再演ということで、これまで観てきた2作のプロトタイプという感じだった。というかだいたい話の構造や舞台装置は同じ。だけども、玉田真也にしか書けない感情の揺れを掬い取った台詞やシークエンスがあるのだ。本当に天才だと思うし、これからがむちゃくちゃ楽しみ。もっと早くに出会って、最初の作品から全部観ておきたかった。悔しい。観劇後、練馬に移動して友人と落ち合い、ラーメンを食べた。久しぶりに「濃菜麺 井の庄」のつけ麺。
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やっぱり美味しい。その後、もう1人加わったので、車を出してもらい深夜ドライブを楽しんだ。ジュディマリとSPEEDとどついたるねんを聞いた。「Human」は名曲だ。
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どついたるねんのワンマンライブで何やら重大発表があるらしいのだけども、ワトソンがかねてからの夢である果物屋さんになる為、解散とかだったらどうしようと心配しています。いい事だといいな。とりあえず、かつての青春を反復するように何となく海を見て、帰ってきた。海岸で缶のコーラ飲んで殴り合おうぜ!って盛り上がっていたんだけども、寒くてとてもじゃないけどコーラなんて飲めなかった。ジョナサンでモーニング食って解散。ジョナサンのモーニングめっちゃ充実しているし、久しぶりにメニューを眺めていたらすごいレベルアップしていた。デニーズを追い抜くと思う。

坂元裕二『カルテット』8話

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またしても心震えるような傑作回である。8話に到達してもなお、坂元裕二のペンが絶好調だ。例えば、「お義母さん!(駆け寄って)野沢菜ふりかけ」というギャグのようなシークエンス1つとっても、真紀(松たか子)にハグを期待してかわされる鏡子(もたいまさこ)に、同じく別れ際にハグをすかされた幹生(宮藤官九郎)の顔がチラつく。こういった些細な書き込みによって、鏡子というキャラクターに「あぁ彼女は幹生の母であるのだな」という実感が宿るのだ。こういった人間の小さな営みを積み重ねることのできる細部の充足こそが、坂元裕二の真骨頂だろう。穴釣り、冷え冷えの便座、穴の空いたストッキングと、今話においても”ドーナッツホール”のモチーフが活き活きと登場し、物語に華を添える。ナポリタンとブラウス、ナポリタンと粉チーズ、と”赤”と”白”の混ざりあいが提示されたり、すずめ(満島ひかり)にチェロを教えたという”白い髭のおじいさん”が別の形で登場したり、とこれまでのドラマの記憶を巧に振動させるのも巧みだ。これぞ、連続ドラマを観る喜び。おせっかいなたこ焼き屋台のおじさん、という『最高の離婚』(2013)において、物語をおおいに振動させた存在を再登場させ、家森(高橋一生)の秘めたる想いを画面上に炙り出すのも、憎いファンサービス(ただ単に坂元裕二がたこ焼き大好きなだけでは)。


そして、やはり転ぶ。オープニングで見せる氷上での”転倒”が、食卓のムードも支配し、「鏡子さんが転んだ」とでもいうようなゲームが開始されるのには唸ってしまった。終盤においても、脚本に余裕がある。そして、説教されるカルテットメンバー。朝が慌ただしい、お風呂に入らずダラダラしている、寝るのが遅いetc・・・その内容はまるで親に叱られる小さな子ども。しかし、「大人なんだからしっかりしなくてはいけない」なんていうのもまた呪いのようなものであるし、もっと言えば詭弁だ。時には、だらしなく、みっともないのが人間であるはず。自身のそれも、他者のそれも、許容していくところから、始めていくべきだろう。そう思わせてくれるほどに、カルテットの面々は、”ダメな大人”がいかにチャーミングであるかを教えてくれる。

そういえば、僕もおもしろい夢 見ました
ある日突然 4人の身体が入れ替わっちゃうんですよ

という冒頭の別府(松田龍平)の夢語りに導かれるように、8話では”入れ替わり”のモチーフが頻出していく。家森が暇つぶしに提案する”5文字しりとり”は言葉の最後の文字と最初の文字が入れ替わっていくゲームである。別府の作る昼食に対してすずめが期待するナポリタンは、同じ麺類の蕎麦に入れ替わり、別府とすずめがその蕎麦を食べていたはずのテーブルには、気が付けば入れ替わりに家森と真紀が着席し、蕎麦を啜っている。すりおろしたてのわさびが鼻にくる、という所作でもってその代替を共有していくという、カルテットの結びつきの強さ、と少し抜けた様が表現された実に愛らしいシーンである。まだまだ入れ替わる。神社で別府の引いた凶のおみくじ(”相場:売るのは待て”は別荘の暗喩か)は、機転を利かしたすずめによって、大吉にすり替わる。すずめが見る夢では、真紀のポジションがすずめに。すずめの発した“鉄板焼き”という嘘は家森の”たこ焼き”という愛情へ。極め付けは、演奏する人であるはずの別府と真紀が、観客としてコンサートの演奏を聞き、更にいつもカルテットがライブを行うレストランにお客として赴く、という”入れ替わり”だろう。

こんな風に見えてるんですね

という別府の言葉は実に示唆に富んでいる。人と人のコミュニケーションにおいて、最も重要なのは、相手の立場を顧みる想像力であろう。”入れ替わり”のモチーフが、これ見よがしでなく、スムースに物語に組み込まれていく脚本の手捌きには改めて舌を巻いてしまう。さらに、この”入れ替わり”、真紀という人物の実存すらを揺らし、このドラマ最大のサスペンスを呼び込む。真紀は早乙女真紀ではない!?7話で発した

こんな人間の人生なんていらないもん

という台詞が視聴者にもたらした妙なしこりのようなものが、じわりと疼く。あれは自身を冷徹なまでに俯瞰しているのではなく、本当に自身が他者であったからなのか。入れ替わりを多用して、名前を喪失させる。昨年の大ヒット映画『君の名は。』をなぞってみせたのは、一級のジョークか、はたまた共鳴か。


ワシにもくれ!

家森が叫ぶ。それはそうだろう。おみくじの大吉も、コンサートのチケットも家森の手には渡らない。それどころか、カルテットを取り巻く恋模様の矢印はどうだ。家森→すずめ→別府→真紀(→幹生)と(今のところ)家森にだけ矢印が向いていないではないか。そして、全員片想いのカルテットメンバーにおいて家森だけが、その想いを相手に表明していないことに気づくだろう。

片想いって1人で見る夢でしょ
両想いは現実、片想いは非現実
そこには深い川がある

家森は人を好きになること、好かれることに対して絶望している。「好きです ありがとう 冗談です」のSAJ三段活用でもって、気持ちをごまかしながら生きている。飛ばし過ぎたジョークで、あらゆるものの意味をなかった事にしようとする家森は、哀しいピエロのようだ。そして、そこには大きな優しさもある。別府と真紀が仲良く話している様子から視線をそらそうとすずめの首を動かし(前髪を切ってあげているシーン)、鼻についたヨーグルトをティッシュで拭き取ってあげようとする別府の気をもたせるような心ない優しさからすずめを守る。別府からティッシュを奪いとって、鼻をかむわけだけども、まさに身を挺して守る、だ。だって、家森は1箱1600円の高級ティッシュ”紫式部”じゃなきゃ鼻をかめない男のはずなのだ!!


一方、すずめは手に入らない両想いを”夢”に見る。別府と真紀に譲ったフランツ・リストのコンサート開始時刻に合わせて、職場のパソコンでリストを聞くすずめが切ない。同じ時間に、同じ曲を、違う場所で聞いて、眠りに落ちる。コンサートのタイトルが、フランツ・リストを聴く夕べ「夢」、というのも示唆的だ。一筋の涙を流し、夢から醒めたすずめが、走り出す。両想と片想いの間に流れる深い川を横断するかのように。視聴者としては、「行って、どうなるというのだ」と感じてしまうあのすずめの行動は、そういった因果関係から一切解放されているが故に感動的だ。しかし、やはりすずめは両想いの現実を諦めてしまう。では、叶わなかった恋には意味がないのか?「冗談です」の一言で”好き”という想いはなかったことになってしまうのか?いいや、そんなことはない。

行った旅行も思い出になるけど
行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか

企画倒れの旅行が大切な思い出になるように、叶わなかった恋も、告げられなかった恋も、破れた恋も、醒めてしまった恋も、一度発生した”好き”という想いは、等しく尊く、全てに意味がある。これこそが、坂元裕二が幾多のラブストーリーで描き続けてきたメッセージだ。若干23歳で書き上げた出世作の『東京ラブストーリー』(1991)にしても、その25年後に紡がれた『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)にしても、ずっと同じテーマを奏で続けている。

人が人を好きになった瞬間って
ずーっとずーっと残っていくものだよ
それだけが生きてく勇気になる
暗い夜道を照らす懐中電灯になるんだよ


東京ラブストーリー

ずっとね 思ってたんです
いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうって
私 私たち 今 かけがえのない時間の中にいる
二度と戻らない時間の中にいるって
それぐらい眩しかった
こんなこともうないから 後から思い出して
眩しくて眩しくて泣いてしまうんだろうなぁって


いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

この『カルテット』においては、それはこのように変奏されている。

根本:君の好きはどこに行くの?
すずめ:あぁ
根本:置き場所に困らないのかね?
すずめ:私の好きはその辺にゴロゴロしてるっていうか
根本:ん、そのへんにゴロゴロ?
すずめ:ふふっ、寝っ転がってて・・・
    で、ちょっと ちょっとだけがんばる時ってあるでしょ?
    住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか
    エスカレーターの下りに乗る時とか
    バスを乗り間違えないようにする時とか
根本:あぁ、あの玉子パックをカゴに入れる時とか?
すずめ:白い服着てナポリタン食べる時
    そういうね 時にね その人が いつもちょっといるの
    いて エプロンかけてくれるの
    そしたらちょっと頑張れる

別府を”好きだ”と想ったすずめの気持ちは、たとえ叶わなかったことしても、消えることなく、光のように輝き、彼女を照らし、守り、生きることを諦めない強さを与え続けるだろう。別荘販売の営業を行っている際、ふと見上げた空の光に瞼を伏せるすずめが印象的だ。そして、上記の対話で、根本(ミッキー・カーチス)が発した言葉は何だったか。

眩しいね

刑事に扮する大倉孝二のあまりにナイロン100℃的な登場シーン、そして、真紀が隠す最後の嘘。すずめと家森の悲恋でエモーショナルに物語を進めたと思いきや、ラスト3分で再び極上のサスペンスで、視聴者を引き付けるテクニック。おもしろい、おもしろすぎるぞ『カルテット』!!

高橋敦史『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』

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夏の暑さに耐えかねたのび太ドラえもんが、無限にかき氷を食べる為に、南太平洋に浮かぶ氷山に赴く。「大氷山の小さな家」(てんとう虫コミックス18巻)を導入にしているようだ。どこでもドアをくぐる前に、しっかりパーカーを羽織ってから氷山に向かうのび太の姿に驚いてしまう。半袖姿で氷の世界に現れ、「うぅ、寒い」と鼻水を垂らすといういうボケを一発かますのが、『ドラえもん』のマナーのようなもの。しかし、今作の主人公はあらかじめ上着を用意できるのび太。精神年齢が少し高めに設定されているのだろうか。しかし、監督がのび太にパーカーを着させたのはそんな理由ではない。タケコプターでの飛行シーンに目を凝らそう。繊細に風にたなびくのび太のパーカーのフード。衣服をたなびかせる為、つまり画面に”風”を吹かせる為に、のび太にパーカーを着せたのだ。実に宮崎駿的なふるまい。なるほど、監督の高橋敦史はジブリで『千と千尋の神隠し』の監督助手を務めた経歴の持ち主であるらしい。誰もが指摘せざるえないブリザーガのあまりに巨神兵(もしくはデイダラボッチ)な造形、アクションシーンの画面構成、空間の上下の運動など、ジブリの遺伝子は各所に点在されている。


しかし、本作にはそれ以上に藤子・F・不二雄イムズがほとばしっている。氷山の成り立ちやスノーボールアース仮説などを、アカデミックに物語に組み込む手捌き。これまでのオリジナル作品がドラえもん映画として損なっていたのは、まさにこれだろう。もちろん、メイン対象である子どもは完全には理解できないかもしれない。それでも、”種”は植えることができるはず。そして、物語を進める順序がいい。異世界描写→のび太の日常→異世界への冒険→一旦、帰宅して→再び異世界へ。このリズム。一旦、家に帰るのがミソなのです。忍び寄る”すこし不思議”の予兆を感じながら、のび太が食卓や布団で「あれは何だったんだろう」もしくは「確かに見た(聞こえた)はずなんだけど」と振り返る。このSF(すこしふしぎ)の日常への浸食を目にすると、「あぁ、ドラえもん映画だ」と感じる。監督のみならず脚本も兼任した高橋敦史は、あの往年のドラ映画の質感を見事に蘇らせる事に成功している。ピーヒョロロープ、ここほれワイヤー、コエカタマリンなど、どう考えても効率の悪い(しかし、類まれなる想像力に満ちた)道具で冒険を進めていく所作も涙もの。パオパオ(『のび太の宇宙開拓史』)、石化するドラえもん(『のび太魔界大冒険』)、大王イカ(『のび太の海底鬼岩城』)、なんていう細部に散りばめられた過去の大長編への目配せも嫌味がない。とりわけ、”ヒョーガヒョーガ星”というネーミングセンスはファンの涙腺を刺激することだろう。


もちろん、藤子・F・不二雄の神様のような脚本術と比べてしまってはいささか物足りなさを感じてしまう。ペース配分に難があるし、明瞭さにも欠ける。レギュラー陣も含め各キャラクターはその魅力を発揮しきれていないように思う。しかし、原作リメイクでないオリジナル映画作品の中においては群を抜いて素晴らしい出来栄えであると断言できるだろう。真っ当なSFジュブナイルとして成立しているし、スティーヴン・スピルバーグへの敬意(暗闇の中の懐中電灯の光!!)が『インディー・ジョーンズ』シリーズの冒険活劇のルックを作品に与えている。『ドラえもん のび太の宇宙英雄記』(2015)において、ハンバーガーの形をした映画監督ロボットを登場させたのに、比べると何十倍も美しいリスペクトの捧げ方だ。


<ここからネタバレあり>

タイムパラドックスを駆使した脚本は実に練られている。耳の欠けた黄色いパオパオのユカタンが、10万年間の冷凍を経て、青いパオパパのモフスケに変化する。この一連の描写には、(言うまでもないが)ネズミに耳を齧られ黄色から青色に変化してしまった”ドラえもん”という存在がメタファーとして託されている。更に言ってしまえば、気が遠くなるような時間の隔たりを経たとしても決して揺るがぬ、ドラえもんのび太の友情が示されているのだ。そもそも、ドラえもんは22世紀、のび太は20世紀(新ドラだと21世紀なのか?)、と2人は本来それぞれが時間軸の異なる場所に生きる者だ。いずれ、別れが義務づけられている友情でもある。しかし、ホンモノの友情は時を超える。10万光年先の星に生きるカーラとヒャッコイ先生の10万年前の”光”が、10万年後にのび太の家の屋根に届いたように。『ドラえもん』という作品の奥底に流れていたテーマのようなものを優しく撫でる、完璧なラストである。



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