青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『カルテット』8話

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またしても心震えるような傑作回である。8話に到達してもなお、坂元裕二のペンが絶好調だ。例えば、「お義母さん!(駆け寄って)野沢菜ふりかけ」というギャグのようなシークエンス1つとっても、真紀(松たか子)にハグを期待してかわされる鏡子(もたいまさこ)に、同じく別れ際にハグをすかされた幹生(宮藤官九郎)の顔がチラつく。こういった些細な書き込みによって、鏡子というキャラクターに「あぁ彼女は幹生の母であるのだな」という実感が宿るのだ。こういった人間の小さな営みを積み重ねることのできる細部の充足こそが、坂元裕二の真骨頂だろう。穴釣り、冷え冷えの便座、穴の空いたストッキングと、今話においても”ドーナッツホール”のモチーフが活き活きと登場し、物語に華を添える。ナポリタンとブラウス、ナポリタンと粉チーズ、と”赤”と”白”の混ざりあいが提示されたり、すずめ(満島ひかり)にチェロを教えたという”白い髭のおじいさん”が別の形で登場したり、とこれまでのドラマの記憶を巧に振動させるのも巧みだ。これぞ、連続ドラマを観る喜び。おせっかいなたこ焼き屋台のおじさん、という『最高の離婚』(2013)において、物語をおおいに振動させた存在を再登場させ、家森(高橋一生)の秘めたる想いを画面上に炙り出すのも、憎いファンサービス(ただ単に坂元裕二がたこ焼き大好きなだけでは)。


そして、やはり転ぶ。オープニングで見せる氷上での”転倒”が、食卓のムードも支配し、「鏡子さんが転んだ」とでもいうようなゲームが開始されるのには唸ってしまった。終盤においても、脚本に余裕がある。そして、説教されるカルテットメンバー。朝が慌ただしい、お風呂に入らずダラダラしている、寝るのが遅いetc・・・その内容はまるで親に叱られる小さな子ども。しかし、「大人なんだからしっかりしなくてはいけない」なんていうのもまた呪いのようなものであるし、もっと言えば詭弁だ。時には、だらしなく、みっともないのが人間であるはず。自身のそれも、他者のそれも、許容していくところから、始めていくべきだろう。そう思わせてくれるほどに、カルテットの面々は、”ダメな大人”がいかにチャーミングであるかを教えてくれる。

そういえば、僕もおもしろい夢 見ました
ある日突然 4人の身体が入れ替わっちゃうんですよ

という冒頭の別府(松田龍平)の夢語りに導かれるように、8話では”入れ替わり”のモチーフが頻出していく。家森が暇つぶしに提案する”5文字しりとり”は言葉の最後の文字と最初の文字が入れ替わっていくゲームである。別府の作る昼食に対してすずめが期待するナポリタンは、同じ麺類の蕎麦に入れ替わり、別府とすずめがその蕎麦を食べていたはずのテーブルには、気が付けば入れ替わりに家森と真紀が着席し、蕎麦を啜っている。すりおろしたてのわさびが鼻にくる、という所作でもってその代替を共有していくという、カルテットの結びつきの強さ、と少し抜けた様が表現された実に愛らしいシーンである。まだまだ入れ替わる。神社で別府の引いた凶のおみくじ(”相場:売るのは待て”は別荘の暗喩か)は、機転を利かしたすずめによって、大吉にすり替わる。すずめが見る夢では、真紀のポジションがすずめに。すずめの発した“鉄板焼き”という嘘は家森の”たこ焼き”という愛情へ。極め付けは、演奏する人であるはずの別府と真紀が、観客としてコンサートの演奏を聞き、更にいつもカルテットがライブを行うレストランにお客として赴く、という”入れ替わり”だろう。

こんな風に見えてるんですね

という別府の言葉は実に示唆に富んでいる。人と人のコミュニケーションにおいて、最も重要なのは、相手の立場を顧みる想像力であろう。”入れ替わり”のモチーフが、これ見よがしでなく、スムースに物語に組み込まれていく脚本の手捌きには改めて舌を巻いてしまう。さらに、この”入れ替わり”、真紀という人物の実存すらを揺らし、このドラマ最大のサスペンスを呼び込む。真紀は早乙女真紀ではない!?7話で発した

こんな人間の人生なんていらないもん

という台詞が視聴者にもたらした妙なしこりのようなものが、じわりと疼く。あれは自身を冷徹なまでに俯瞰しているのではなく、本当に自身が他者であったからなのか。入れ替わりを多用して、名前を喪失させる。昨年の大ヒット映画『君の名は。』をなぞってみせたのは、一級のジョークか、はたまた共鳴か。


ワシにもくれ!

家森が叫ぶ。それはそうだろう。おみくじの大吉も、コンサートのチケットも家森の手には渡らない。それどころか、カルテットを取り巻く恋模様の矢印はどうだ。家森→すずめ→別府→真紀(→幹生)と(今のところ)家森にだけ矢印が向いていないではないか。そして、全員片想いのカルテットメンバーにおいて家森だけが、その想いを相手に表明していないことに気づくだろう。

片想いって1人で見る夢でしょ
両想いは現実、片想いは非現実
そこには深い川がある

家森は人を好きになること、好かれることに対して絶望している。「好きです ありがとう 冗談です」のSAJ三段活用でもって、気持ちをごまかしながら生きている。飛ばし過ぎたジョークで、あらゆるものの意味をなかった事にしようとする家森は、哀しいピエロのようだ。そして、そこには大きな優しさもある。別府と真紀が仲良く話している様子から視線をそらそうとすずめの首を動かし(前髪を切ってあげているシーン)、鼻についたヨーグルトをティッシュで拭き取ってあげようとする別府の気をもたせるような心ない優しさからすずめを守る。別府からティッシュを奪いとって、鼻をかむわけだけども、まさに身を挺して守る、だ。だって、家森は1箱1600円の高級ティッシュ”紫式部”じゃなきゃ鼻をかめない男のはずなのだ!!


一方、すずめは手に入らない両想いを”夢”に見る。別府と真紀に譲ったフランツ・リストのコンサート開始時刻に合わせて、職場のパソコンでリストを聞くすずめが切ない。同じ時間に、同じ曲を、違う場所で聞いて、眠りに落ちる。コンサートのタイトルが、フランツ・リストを聴く夕べ「夢」、というのも示唆的だ。一筋の涙を流し、夢から醒めたすずめが、走り出す。両想と片想いの間に流れる深い川を横断するかのように。視聴者としては、「行って、どうなるというのだ」と感じてしまうあのすずめの行動は、そういった因果関係から一切解放されているが故に感動的だ。しかし、やはりすずめは両想いの現実を諦めてしまう。では、叶わなかった恋には意味がないのか?「冗談です」の一言で”好き”という想いはなかったことになってしまうのか?いいや、そんなことはない。

行った旅行も思い出になるけど
行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか

企画倒れの旅行が大切な思い出になるように、叶わなかった恋も、告げられなかった恋も、破れた恋も、醒めてしまった恋も、一度発生した”好き”という想いは、等しく尊く、全てに意味がある。これこそが、坂元裕二が幾多のラブストーリーで描き続けてきたメッセージだ。若干23歳で書き上げた出世作の『東京ラブストーリー』(1991)にしても、その25年後に紡がれた『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)にしても、ずっと同じテーマを奏で続けている。

人が人を好きになった瞬間って
ずーっとずーっと残っていくものだよ
それだけが生きてく勇気になる
暗い夜道を照らす懐中電灯になるんだよ


東京ラブストーリー

ずっとね 思ってたんです
いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうって
私 私たち 今 かけがえのない時間の中にいる
二度と戻らない時間の中にいるって
それぐらい眩しかった
こんなこともうないから 後から思い出して
眩しくて眩しくて泣いてしまうんだろうなぁって


いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

この『カルテット』においては、それはこのように変奏されている。

根本:君の好きはどこに行くの?
すずめ:あぁ
根本:置き場所に困らないのかね?
すずめ:私の好きはその辺にゴロゴロしてるっていうか
根本:ん、そのへんにゴロゴロ?
すずめ:ふふっ、寝っ転がってて・・・
    で、ちょっと ちょっとだけがんばる時ってあるでしょ?
    住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか
    エスカレーターの下りに乗る時とか
    バスを乗り間違えないようにする時とか
根本:あぁ、あの玉子パックをカゴに入れる時とか?
すずめ:白い服着てナポリタン食べる時
    そういうね 時にね その人が いつもちょっといるの
    いて エプロンかけてくれるの
    そしたらちょっと頑張れる

別府を”好きだ”と想ったすずめの気持ちは、たとえ叶わなかったことしても、消えることなく、光のように輝き、彼女を照らし、守り、生きることを諦めない強さを与え続けるだろう。別荘販売の営業を行っている際、ふと見上げた空の光に瞼を伏せるすずめが印象的だ。そして、上記の対話で、根本(ミッキー・カーチス)が発した言葉は何だったか。

眩しいね

刑事に扮する大倉孝二のあまりにナイロン100℃的な登場シーン、そして、真紀が隠す最後の嘘。すずめと家森の悲恋でエモーショナルに物語を進めたと思いきや、ラスト3分で再び極上のサスペンスで、視聴者を引き付けるテクニック。おもしろい、おもしろすぎるぞ『カルテット』!!

高橋敦史『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』

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夏の暑さに耐えかねたのび太ドラえもんが、無限にかき氷を食べる為に、南太平洋に浮かぶ氷山に赴く。「大氷山の小さな家」(てんとう虫コミックス18巻)を導入にしているようだ。どこでもドアをくぐる前に、しっかりパーカーを羽織ってから氷山に向かうのび太の姿に驚いてしまう。半袖姿で氷の世界に現れ、「うぅ、寒い」と鼻水を垂らすといういうボケを一発かますのが、『ドラえもん』のマナーのようなもの。しかし、今作の主人公はあらかじめ上着を用意できるのび太。精神年齢が少し高めに設定されているようだ。しかし、監督がのび太にパーカーを着させたのはそんな理由ではない。タケコプターでの飛行シーンに目を凝らそう。繊細に風にたなびくのび太のパーカーのフード。衣服をたなびかせる為、つまり画面に”風”を吹かせる為に、のび太にパーカーを着せたのだ。実に宮崎駿的なふるまい。なるほど、監督の高橋敦史はジブリで『千と千尋の神隠し』の監督助手を務めた経歴の持ち主であるらしい。誰もが指摘せざるえないブリザーガのあまりに巨神兵(もしくはデイダラボッチ)な造形、アクションシーンの画面構成、空間の上下の運動など、ジブリの遺伝子は各所に点在されているが、それ以上に藤子・F・不二雄イムズがほとばしっている。


氷山の成り立ちやスノーボールアース仮説などを、アカデミックに物語に組み込む手捌き。これまでのオリジナル作品がドラえもん映画として損なっていたのは、まさにこれだろう。もちろん、メイン対象である子どもは完全には理解できないかもしれない。しかし、”種”は植えることができるはず。そして、物語を進める順序がいい。異世界描写→のび太の日常→異世界への冒険→一旦、帰宅して→再び異世界へ。このリズム。一旦、家に帰るのがミソなのです。忍び寄る”すこし不思議”の予兆を感じながら、のび太が食卓や布団で「あれは何だったんだろう」もしくは「確かに見た(聞こえた)はずなんだけど」と振り返る。この日常への浸食を目にすると、「あぁ、ドラえもん映画だ」と感じる。監督のみならず脚本も兼任した高橋敦史は、あの往年のドラ映画の質感を見事に蘇らせる事に成功している。ピーヒョロロープ、ここほれワイヤー、コエカタマリンなど、どう考えても効率の悪い(しかし、類まれなる想像力に満ちた)道具で冒険を進めていく所作も涙もの。パオパオ(『のび太の宇宙開拓史』)、石化するドラえもん(『のび太魔界大冒険』)、大王イカ(『のび太の海底鬼岩城』)、なんていう細部に散りばめられた過去の大長編への目配せも嫌味がない。とりわけ、”ヒョーガヒョーガ星”というネーミングセンスはファンの涙腺を刺激することだろう。


もちろん、藤子・F・不二雄の神様のような脚本術と比べてしまってはいささか物足りなさを感じてしまう。ペース配分に難があるし、明瞭さにも欠ける。レギュラー陣も含め各キャラクターはその魅力を発揮しきれていないように思う。しかし、原作リメイクでないオリジナル映画作品の中においては群を抜いて素晴らしい出来栄えであると断言できるだろう。真っ当なSFジュブナイルとして成立しているし、スティーヴン・スピルバーグへの敬意(暗闇の中の懐中電灯の光!!)が『インディー・ジョーンズ』シリーズの冒険活劇のルックを作品に与えている。『ドラえもん のび太の宇宙英雄記』(2015)において、ハンバーガーの形をした映画監督ロボットを登場させたのに、比べると何十倍も美しいリスペクトの捧げ方だ。


<ここからネタバレあり>

タイムパラドックスを駆使した脚本は実に練られている。耳の欠けた黄色いパオパオのユカタンが、10万年間の冷凍を経て、青いパオパパのモフスケに変化する。この一連の描写には、(言うまでもないが)ネズミに耳を齧られ黄色から青色に変化してしまった”ドラえもん”という存在がメタファーとして託されている。更に言ってしまえば、気が遠くなるような時間の隔たりを経たとしても決して揺るがぬ、ドラえもんのび太の友情が示されているのだ。そもそも、ドラえもんは22世紀、のび太は20世紀(新ドラだと21世紀なのか?)、と2人は本来それぞれが時間軸の異なる場所に生きる者だ。いずれ、別れが義務づけられている友情でもある。今、離れ離れになっているセワシドラえもんの関係だってそう。しかし、ホンモノの友情は時を超える。10万光年先の星に生きるカーラとヒャッコイ先生の10万年前の”光”が、10万年後にのび太の家の屋根に届いたように。『ドラえもん』という作品の奥底に流れていたテーマのようなものを優しく撫でる、完璧なラストである。



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ロロ『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』

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われわれを分断するあらゆる差異。とりわけ学生時代においてそれは、暴力的なまでに、わたしたちを離れ離れにする。ロロ三浦直之が夢想してみせる学生生活では、そんな差異などあらかじめ存在しないかのような態度で、誰もが誰も無邪気に交じり合う。そのフィーリングは今シリーズを象徴する将門(亀島一徳)というキャラクターに象徴されている。将門は、どんな相手であろうと、気持ちがいいほどに分け隔てなく接する。崎陽軒のシュウマイ弁当を毎日食べているあいつ、休み時間に誰とも喋らないあいつ、昼間は学校に姿を現さない不登校のあの子、果ては幽霊まで!毎朝バスで一緒になる名前も知らない男の子を、”漫画を読むスピードが一緒”という理由だけで「好きかもしれない」と平気で言ってのける。そして、周りのみんなも、それがおかしい事だなんて絶対に言わない。その差異こそがチャームである、と言わんばかりにクラスターの壁を軽々乗り越え、混ざり合っていくのだ。そんな教室の風景は残念ながらまったくリアルなものではないのかもしれない。ファンタジーの世界、とすら言っていいだろう。しかし、だからこそ三浦直之は物語る。ファンタジーにまぶしながら、そういった世界でしか描けない“ほんとうのこと”を物語に忍ばせる。どうか届きますように、と。であるから、この「いつ高」シリーズは三浦直之の感傷に満ちたノスタルジーでは断じてない。若者たちに向けた美しい祈りのようなものであって、そのまなざしは100%未来を向いている。


前置きが長くなってしまった。劇団ロロが高校生に捧げる傑作シリーズ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校シリーズ』の待望の第4弾『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』が、これまた素晴らしい作品であったのであります。舞台上に登場する役者は3人。これまでで最も少ない。しかし、3人の女の子の止まることをしらないドーナッツトークはどこまでも賑やかで、物足りなさなど感じる暇などないだろう。そんな彼女たちの他愛ない”うわさ話”が、その真偽の不確かさが故に、どこまでも世界を拡張させていく。彼女たちのおしゃべりによって、ありえるかもしれない平行世界が次々に立ち上がっていく豊かさ。演劇という表現の醍醐味がいかんなく発揮されている。


前作『すれちがう、渡り廊下の距離って』に引き続き、ザ・ハイロウズの「青春」という楽曲が重要なモチーフとして登場している。

校庭の隅 ヒメリンゴの実
もぎって齧る ひどく酸っぱい

海荷と太郎が、この楽曲の歌詞を再現しようと、ありもしないヒメリンゴの実を校庭に立ち上げたという挿話はまさに演劇のメタファーである。そして、

夏の匂いと君の匂いが
まじりあったらドキドキするぜ

というライン。この”まじりあう”という感覚は、前述したようにクラスターが溶け合っていく「いつ高シリーズ」そのものを言い表しているようだ。であるから、今作のタイトルである”いちごオレ”も苺とミルクが見事にまざりあっている。今作の最初のイメージボードであり、劇中でも言及される山下敦弘リンダリンダリンダ』の、ザ・ブルーハーツも、ヒロトマーシーをして、ザ・ハイロウズとまざりあう。そして、何と言っても音がまじりあう。今作の舞台は周囲を校舎に囲まれた中庭である。放課後になれば、吹奏楽部の演奏、軽音部の練習、先生のお説教、汗ですべるバッシュのイルカのような歌声、そんな学校が鳴らす様々な音の断片は、中庭で人知れず混じり合い、共鳴するのだ。


青春を語る上で不可避であるのは、その”刹那”であろう。甲本ヒロトも歌っている。

冬におぼえた歌を忘れた
ストーブの中 残った石油
ツララのように尖って光る
やがて溶けてく 激情のカス

時間が本当に もう本当に
止まればいいのにな
二人だけで 青空のベンチで
最高潮の時に

今作はその刹那に、シリーズ中において最も明確に言及してみせている。時の残酷なまでの不可逆性に抗うかのように、女の子たちは写真を撮り、男の子は短歌を作り、”今”を永久保存してみせるのだ。登場する短歌のおかしさ、瑞々しさも今作の大きな魅力だろう。そして、学校中の”裏側”に短歌を忍ばせる男の子の小さな革命、淡い恋心の混じったそのまなざしが、瑠璃色に届いてしまう。あの目には見えない視線の交差こそが、今作の紛れもないハイライト。ボーイ・ミーツ・ガールを描いてきた三浦直之の面目躍如である。そして、森本華が見事に体現してみせた素晴らしき”まなざし”の美しさをぜひとも目撃して欲しい。



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最近のこと(2017/02/25~)

エスパー魔美』のてんとう虫コミック全9巻が再版される。装丁も新調されている。私は『藤子・F・不二雄大全集』も、コロコロ文庫も、旧てんとう虫コミック版も持っているのだけども、それでも欲しい。なにせ『エスパー魔美』はF先生のドラマメイクの巧みさ(そして、ひた隠しにしたエロス)がいかんなく発揮された大傑作なのだ。とにかく素晴らしいエピソードが山盛り。未読の方はこの機会にぜひ、であります。


ときにマンションの住人と鉢合わせてしまった時はできるだけ爽やかに挨拶したいものです。大きな罪を犯した時でも、近所の人には「そういうタイプには見えなかった」と言ってもらえる男でありたいではないか。そんな折、最近の悩みはエレベーターでの挨拶である。階段ならば、ハローグッバイであるから「こんばんわ」の一言で済む。しかし、エレベーターの場合は出会いの場面で「こんばんわ」のカードを切ってしまう。そして、ある程度の時間を共有した後、別れ際にも何か言葉を発さねばならぬのだ。特に夜の場合が困る。どうやら、私の住むマンションでは「おやすみなさい」と声をかけるのがセオリーらしいのだけども、むずい。下手したら初めて会うような人間に対してパーソナル過ぎやしないか。結果いつもモゴモゴしてしまうのだ。悩みはつきない。しかし、そもそも私は中学の卒業アルバムの文集に、北欧のデスメタルバンドの歌詞を引用するという愚行を犯しているので、大きな犯罪を起こした際は間違いなくそれがワイドショーを賑わすことだろう。



金曜日。退社してタワレコでThundercatのニューアルバムを購入。ついでに昨年末にリリースされたKONCOSの3rdアルバムも買った。

Drunk

Drunk

Colors&Scale

Colors&Scale

完全に聞きそびれていたのだけども、サウンドを一新しており、とてもかっこいいです。西荻WATTSの遺伝子を感じる。しかし、オシャレだ。なんたってTA-1さんは小林賢太郎に似ているし、いつもとても格好いい洋服を独創的に着こなしている。邦楽フロアで、小さな女の子がお父さんを隣に従えて、大きなヘッドフォンを小さな頭にあてがいながらノリノリで星野源「恋」を視聴していた。なんて素晴らしい光景なのだ。そういえば、タワーレコードで子どもを見かけることってすごく珍しい気がする。お父さん、どうか買ってあげてください。村上春樹の新刊も購入して帰ろうかと思ったが、現物を目の前にするとびっくりするほど購買意欲が湧かなかったので、とりあえず保留。その装丁に「ドラクエⅢの攻略本かよ」とつっこんでいる人がいて、笑ってしまった。春樹の代わりと言っては何だが、スーパーでシュウマイを買う。もちろん、小栗旬の「ザ・シュウマイ」だ。冷凍食品としては、すごく高いのだけども、意を決した。酢醤油につけたプリプリのシュウマイを白飯に2度、いや3度バウンドさせ、エイやと口に運ぶ。口内にジュワっと広がる肉汁、そこにこれでもかと白米をかっこむ。金曜日の今宵はこれで決まりだ。しかし、お米が家にないことを思い出し、仕方ないので、レンジでチンして食べる「サトウのごはん」も買った。どうでもいいけども、「ごはんですよ!」という名前の商品が得体のしれない黒い粘着物なの、私が外国人だったらぶち切れるな。日本に生まれてよかったー。


小沢健二ミュージックステーションに出るというので、息切らして走って帰った。小沢健二のパフォーマンスは大変素晴らしいものだった。録画を何度も繰り返しみては「まさかこんな日が本当に訪れるとは」と涙をこぼしました。頬袋だけがなぜか少しふっくらしていたが、全体的なフォルムは往年のまま。十二分に素敵なおじ様ではないか。歌声だってもともとあんなものだろう。「ぼくらが旅に出る理由」はもちろん、新曲「流動体について」もやはり唯一無二のポップソングで、本当に心を掴まれた。言葉の跳ね方がやはり特別なのだ。この日のパフォーマンスはベースがキセル弟だった。そして、私はHALCALIのハルカ。ここで、私がハルカとユカリをごっちゃに覚えていた事が発覚する。千秋に似ているほうがハルカだと思っていた。ユカリのほうがハルカっぽいし、ハルカのほうがユカリっぽいではないか!!と思ったけども、冷静に考えると、別にそんな事もないな。タモリさんと弘中アナ(かわいい)もいいヴァイブスを出していた。弘中ちゃんとフジロックフェスティバルに行けるならば、これからの人生で二度とお好み焼きを食べられなくてもいい。それくらいの覚悟はある。他の出演者のパフォーマンスもおおいに楽しんだ。SHISHAMOはとてもいいバンドだし(歌詞がなぁ…)、EXILE THE SECONDは最高。特にAKIRAが加入して、名称を解明してからがグッといいのだ。コンセプトがしっかりとしているので、振り付けや衣装のチャラさに好感を抱く。楽曲もグルーヴィー。
youtu.be
とりわけ、眼鏡をかけた橘ケンチの胡散臭ささがたまらなくかっこいいと思う。予告編の強烈さで、X JAPANドキュメンタリー映画『We Are X』は何があろうと観ようと思った。では、ここで妻であり洗脳組織のメンバーが歌う名曲、キテレツ大百科 OP「お嫁さんになってあげないゾ」をお聞きください。
youtu.be
キテレツ大百科』のアニメには名曲が多い。お風呂で読書を楽しみ、『ラ・ラ・ランド』の予習として、明け方までデミアン・チャゼル『セッション』をNetflixで鑑賞した。『セッション』はおもしろいが、別に好きな映画ではない。



土曜日。昨夜遅くまで起きていたのに、早起きしてしまった。洗濯をして、掃除して、優雅に朝風呂に入り、本を読む。長嶋有エロマンガ島の三人』の劇中に、アニメ『はじめ人間ギャードルズ』の「やつらの足音のバラード」(ムッシュかまやつ)が流れるのだけども、最高のセンスである。
youtu.be
長嶋有は、エッセイも同時進行で読み進めていて、『いろんな気持ちが本当の気持ち』を読み終えた。

いろんな気持ちが本当の気持ち (ちくま文庫)

いろんな気持ちが本当の気持ち (ちくま文庫)

エッセイも当然すごい。高野文子黒田硫黄穂村弘への書評などは、読んでいて凹むほどの良さでした。副都心線に乗って、自由が丘に出掛ける。副都心線は都内で1番眠くなる電車だ。絶対そう。自由が丘の「ザルワ」というインド料理屋でランチ。机や椅子はベタベタしているが、チキンビリヤニが美味い。
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そして、カレーが何を食ってもキャッチ―な味で最高なのです。ナボナでおなじみの「亀屋万年堂」の限定あんぱんを、お土産に買おうと思ったら、売り切れていた。自由が丘に事務所を構えるデザイナーさんの仕事場で珈琲を頂く。知人の知人くらい間柄でほぼ初対面なので、どうにも話が弾まなかったのだけども、古井由吉の小説の素晴らしさをプレゼンしてくれて、警戒心がほどけた(私の)。The ClashThe Smiths をリアルタイムで夢中になって追いかけていた話や、『3年B組金八先生』の第2シリーズに感銘を受け、修学旅行を抜け出し、海援隊の武道館ライブに駆け付けた話などを聞き出すことができ、そのどれもがとても刺激的だった。50歳で高校生の息子がいるそうだけど、まったくそんな感じには見えない若さがある。仕事場にはターンテーブルや観たこともないレゲエのレコードがたくさん置いてあった。私もこういう大人に10代の内に出会っていれば、なんかもっとこう、もっといい感じになれていたのではないか。RCサクセションの「ぼくの好きな先生」みたいなやつ。自由が丘を後にして、シネコンデミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』を観る。予告で流れるたびに目を瞑っていた努力がついに報われます。当然素晴らしかったが、少し物足りなさもあって、かと言って、あんまり悪口を言われているのもむかつく、という複雑な心境に至る作品だった。あの役のキャラクターはそこまで好きじゃないけど、エマ・ストーンは最高だ。『ゾンビランド』と『小悪魔はなぜモテる!?』がとりわけオススメです。
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日曜日。起床してすぐさま録画した『ゴッドタン』を観る。これが私のサンデーモーニングのお決まりだ。阿佐ヶ谷姉妹のお姉さんは脚本を書かせたら、ポスト橋田寿賀子になれるのでは。笑って目が覚めたら、朝からやっている銭湯に出掛けて、眩い光が差し込む風呂に入り、サウナを4セット。心と体がととのい、すっかり腹が減ったので、中華屋で肉スタミナつけ麺を食べる。たくさんの汗をかくと、やたらとしょっぱいものが食べたくなるのだ。スーパーで買い物をしてから帰宅し、少しまどろむ。珈琲を淹れて、スーパーで買ってきたアルフォートを食べた。長嶋有の『ジャージの二人』にアルフォートが印象的に出てくるのに影響を受けた。久しぶり口にしたアルフォートの美味しさにすっかり感激してしまったな。ビスケットって美味しいな。これがブルボンの実力なのか。夜ご飯は割引になっていたお刺身を食べた。そして、ついにドラマ『火花』が地上波で放送開始。1話も素晴らしいのだけど(熱海の花火のシーンはたまげる撮影)、回を増すごとに良くなっていくので、刮目せよ。茶馬子こと高橋メアリージュンも出るぞ。『リトルウィッチアカデミア』の7話と8話をまとめて観る。
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むちゃくちゃ良い!とりわけ8話は何から何まで素晴らしい。どちらも脚本はうえのきみこ。私はこの脚本家の大ファンである。いろいろなところに書き散らしているのだけども、どれを観てもおもしろいのだ。



月曜日。この日は花粉症がとびきりにひどい。マスクしていても、鼻腔が腫れてしまって息苦しい。ついでに頭が痛くて、腰が痛くて、お腹も痛かった。花粉は悪魔だ。ヘロヘロになって帰宅して、『欅って書けない?』の録画を観て体を休めた。4枚目シングルの選抜発表だったのですが、今回もセンターが平手ちゃんで安心した。したのだけども、平手ちゃんの精神、年末から全然持ち直してない感じだけども、大丈夫なのだろうか。しかし、隣にねるがいる。そして、米さんがついにフロントに。もちろん、オダナナも長沢くんも上村さんもよかった。順繰りにフロントやらせた後、入れ替えていくのかと思うと怖いが、このチャンスをものにして欲しい。いい曲だといいな。乃木坂46の新曲は今のところ全然好きじゃない。『万年B組ヒムケン先生』の3月いっぱいの終了、かなしい。てっきりゴールデンに進出するものとばかり思っていた。



火曜日。『R-1グランプリ』を観た。アキラ100%、おめでとうございます。まさかの2年連続でSMAの裸芸人が優勝するとは。しかし、パッとしない印象の大会で、WBCの壮行試合にチャンネルを回しそうになったのだけども、ボロ負けしていたので引き返す。マツモトクラブとルシファー吉岡が健闘していた(結果としては出てないけども)。マツクラさんは本当にいいネタをたくさん持っているし、あの感じで人情に篤いところも素敵だし、何たってハンサムだよな。ハンサムポイントさえあればな。あのネタで0ポイントはかなりきつい。ルシファーさんは下ネタじゃない時のほうがネタの練り具合が浮き彫りになると前から思っていたので、テレビであの感じを披露してくれてうれしい。『マツコの知らない世界』がラスト3分でスタジオに生ライオン登場とかいう、相変わらずとんでもない密度で番組を作っていて、たまげる。


そして、『カルテット』7話だ。いやーむちゃくちゃよかった!松たか子、凄すぎる。目と表情と声色。予告編のフェイクっぷりがあまりに見事ですっかり騙されていた。これでこそ、俺らの『カルテット』だ!と安心しました。7話のエントリーに入れられなかった細かい感想の枝葉を残しておこう。

・7話の演出、6話から引き続き坪井敏雄なのだけど、見違えるようによかった
クドカンで”巻き戻し”となると木更津キャッツアイ
・10年前なら有朱ちゃんの役は酒井若菜だった気がする
・「メルカリで売るんやでー」とウキウキで駆けていく有朱ちゃん、よい
軽井沢音頭を社内で歌う有朱ちゃんもよかった
・有朱ちゃん、生き返った時に涙を流していた
・有朱ちゃんがしばらく死んだふりをしていたのはなぜ
・すずめちゃんが真紀におにぎりを買ってもらう(家族ということ??)
・家森さんが、寿司だのブリがハマチだの、鮭茶漬けだの、やたらと魚関連
・茶馬子との関さばトークの余韻か
・ニットをタンクトップになるまで捲り上げた別府さん
・「巻さん!」と言う時に筋骨隆々ぶって肩を盛り上げているのツボ
・別府が熱中していたクロスワードパズルも穴を埋める作業
・カルテットメンバーが基本的に夜はお米を食べないのは、糖質制限なのか
・でも、夜食で豚丼食ったりしている
・家森の息子には白飯を出してあげていた
・食事中だけ包帯から絆創膏になっているのは、風呂上りだから
・バスローブで「ワッ」は本当に裸だったら笑う
・幹生よ
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軽井沢は本当に雨が降ったり止んだりしている
・猿もむちゃいる
・すずめちゃんが弾いている曲はジョニ・ミッチェル

すずめちゃんが弾いていたジョニ・ミッチェルの曲についての考察は?というメンションを結構頂いたのだけども、ジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」という曲にどんな言葉が綴られているのかなどまったく知らないので(視聴者の8~9割がそうだと思いますが)、書きようがありません。花言葉や使用楽曲のバックボーンは調べれば書けるのだろうけども、それはあんまり自身の血肉になっていないものなので、レビューでは極力触れないようにしている。ので、あしからず。



水曜日。夢の中でも『カルテット』のレビューを考えていて、気が狂うかと思った。そして、堀北真希の引退。小沢健二の芸能界復活の裏で、橋本奈々未清水富美加堀北真希が引退。どれほどの犠牲を払わないと召喚できない魔獣なの、オザケン堀北真希の引退に寄せて、4年前に書いた東京メトロの記事をリテイク。
hiko1985.hatenablog.com
4年前の記事も気に入っているつもりだったが、読み直してみたら、文章がどうにも気に食わないので、結構直した。頭をスッキリさせるため、帰宅して、すぐさまサウナへ。雨が降ってきたので近場の水風呂が温い銭湯をチョイス。有線で海援隊の「贈る言葉」と松崎しげるの「愛のメモリー」を聞いてじんわりと汗をかいた。WBCの壮行試合でスワローズ山田が先頭打者ホームラン!今年も頼むぞ、哲人。今年のスワローズでは新外国人のオーレンドルフに期待している。というより、彼がダメなら今年も無理だ。そして、原樹理よ!覚醒頼む。『スッキリ!』に出演する小沢健二を目撃。眼鏡してないほうがより、オザケンって感じだ。あの眼鏡はタモリさんと会う時用なのだろうか。身を寄せ合って感激している宮崎哲弥と森アナウンサーがかわいすぎて、好感度がぶち上がってしまった。



木曜日。ムッシュかまやつの訃報。先週ちょうど「やつらの足音のバラード」を聞いていたので、驚いてしまった。最近だとPIZZICATO ONEでの「ゴンドラの歌」の語りも名演だった。もちろん、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は大切な曲だ。

君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安い バーボンのウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう

というフレーズは人生の指針としたい。学生の頃、小山田圭吾経由でザ・スパイダース聞くのも流行っていたな。あとミニ四駆のビークスパイダーって結構好きだったな。沖田カイとか懐かしー。こしたてつひろ先生!『炎の闘球児 ドッジ弾平』を読み直したい。

友人に弾平の母ちゃんの水着姿(スイミングスクールの講師なのだ)が性の目覚めだ、と語るやつがいたが、きっとどこかで路頭に迷っていることだろう。雨に降られて帰路。豚バラ白菜もやし鍋をパパーッと食べて、『水曜日のダウンタウン』を観て、お風呂に入ったら疲れて寝てしまった。

坂元裕二『カルテット』7話

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素晴らしい!!6話ラストの怒涛の急展開をして、やはり『ファーゴ』なのか!?と盛り上がっているふりをしながらも、満島ひかりの「だいたい7話くらいで坂元さんは・・・ちょっとねぇ」という愚痴に共鳴している自分がいました。しかし、7話においても決しておかしな方向に舵を取らず、これまで積み上げてきたものを礎にしながら、物語が転がっていった事にホッと胸を撫でおろしております。物語の加速度はグングンと上がり、それらがカーチェイスといアクションで発露される。めくるめくドライバーチェンジを積み重ねるカーアクションの連鎖(一体、7話で何度の車の乗り下りがなされたのか)は出色の出来栄えだろう。6話、7話とすっかり蚊帳の外の男性陣もいい味を出している。倉庫に閉じ込められた別府(松田龍平)が通路に出した助けを求めるメモが無残にもひっくり返り、雪道でひっくり返っているピクニッククイズボードを家森(高橋一生)が拾う、というアクションの繋ぎ。「ひとりになりたい時に食べるケーキってな〜に?」、そんなクイズの回答である

ホットケーキ(ほっとけー)!

の言葉通り、男性陣2人が見事に物語から放っておかれてしまう脚本の手捌きにうっとり。あのすずめ(満島ひかり)の

夫婦が何だろう?
こっちだって同じシャンプー使ってるし
頭から同じ匂いしてるけど

という切実な台詞を前にして、時間軸が入れ替わっているなどという推論は吹き飛ぶのでは。あの台詞には確かに過去(3話)の記憶が重なっているではないか。家族や夫婦を超えるコミュニティを描いてきたこれまでの5話が、未来であってたまるか。

みんなおもしろい
みんなのおもしろいところを
みんなでおもしろがって
欠点で繋がってるの
ダメだねーダメだねーって言い合ってて

という真紀(松たか子)の台詞に潜む人間の業の肯定、その賛歌に泣く。ドーナッツに穴が空いているのは、そのほうが繋がりやすいからだ。人間はかくも滑稽で、ゆえに愛おしい。『カルテット』がグレーの色彩で描く、最も伝えたいメッセージはこれだろう。



さて、7話のテーマは実に明快。”巻き戻し”である。レモンのかけられた唐揚げのように、”不可逆”であるのが時の流れにいるものの常であるのだが、その律が破られたのが、5話だ。すずめが盗聴録音していた音声が真紀の手によって再生される。録音されていた”過去”の時間が空間を支配する。あの瞬間から、”不可逆”という律に則っていた『カルテット』というドラマが、それに抗うように”リバース”の運動を湛え始める。例えば6話における巻夫婦のかつての時間へのプレイバック。そして、思い出したいのはその回想において交わされていた会話。

真紀:この人たち、さっき別々の場所に居たのになんで一緒にいるの?
幹生:あ・・・これ実は時間が変わってて翌日の場面なの
   え、巻き戻す?

7話ではED曲が序盤に流れるという大胆な演出でもって「今話はリバース回ですよ」と宣言している。そして、有朱(吉岡里帆)が車に乗り込むと、彼女がギアのシフトレバーを”R(リバース)”に下げる瞬間を丁寧にカメラに収める。有朱が3度も披露してみせる、まるで逆再生を見るかのような見事なバック運転でもって、その感触は確かなものになるだろう。その他にも、「すばやく下りてみたから すばやく戻るね」という家森の傾斜でのアップダウン、夫の呼びかけごとに階段を上り下りする真紀、コンビニを順路と逆さまに出ていく真紀とすずめ、生き返る有朱、などリバースの運動は枚挙に暇がない。ガムテープで巻く、包帯を巻く、オムライス(卵で巻く)など、キュルキュルと巻き戻るリバースの感触を演出する小道具も充実している。



不可逆に抗ってまで巻き戻したかったのは、巻夫婦の関係性、いや、幹生の恋心ではないだろうか。つまり、真紀の”祈り”のようなのものである。1年ぶりの夫との再会に、思わず顔を手で覆う真紀。綺麗な状態で夫に再会したい、妻の恋心は今なお健在である。消毒液を取るついでに、真紀が鏡で髪型と化粧を直すシークエンスには思わず声を上げてしまった。なんせ、視聴者と(幹生)としては、殺人事件が宙ブラリにされている状態なのだから。そんな緊張状態の中で描かれる切なくも愛おしい恋心。

彼のことが好きなんだよ
ずっと変わらないまま好きなんだよ
抱かれたいの

と実にストレートにその感情を吐露し、東京へと舞い戻り、つかの間の夫婦の時間を取り戻す。バスローブを使った巻夫婦固有の、2人の間だけで通じる戯れ(1話で披露されたように、それはほかの人相手ではまるで功を為さない)。食の好みが似通ってきていること(おでんでご飯)、食卓を囲んで話題を共有すること。脱ぎ捨てた靴下もそのままに、1年前から”一時停止”されていたあの部屋に夫婦の愛が再生されていく。しかし、やはり幹生の気持ちは巻き戻らない。幹生は真紀を、愛しているけど、好きじゃない。柚子胡椒が、6話の回想に倣うようにリビングとキッチンの分断を引き起し、その残酷な事実を浮き彫りにする。大事に思っている、忘れたことはない、楽しかった、幸せだったetc・・・あらゆる言葉を駆使しながらも、幹生の口からは”好き”の二文字が出てこない。

こちらこそありがとう
結婚して2年…3年間
ずっと幸せだったよ...好きだったよ

と、真紀が最後の最後まで、幹生からの”好き”という言葉を誘導(期待)しているのが、切ない。尋常ならざる瞳の情報量でもってあらゆる繊細な感情を表現してみせる松たか子の熱演もまた涙を誘う。



結局、巻き戻ったのは名前(旧姓)。そして、カルテットという新しい家族(のようなもの)で囲む食卓である。カルテットの夕食にはこれまで決して並ぶことのなかった茶碗飯でお好み焼きを食べる真紀。そこには、おでんでご飯を食べた幹生との時間を引きずるような、慈しむような態度が見てとれないか。

彼が教えてくれる映画もね
どれもおもしろくなかった
こんなにおもしろくないもの
「おもしろい」って言うなんて
おもしろい人だなって
よくわからなくて 楽しかったの

趣味趣向から何まで徹底的にすれ違った2人を、やさしく肯定する。*1余談にはなるが、これは「君のオススメに面白いものはひとつもなかった それでもついていきたいと思った」(愛してる.com)と歌った6話ゲスト大森靖子への坂元裕二からのオマージュだろう。*2そして、燃やされる詩集。あのシークエンスは、女は吹っ切れるのが早い、とかいうような決別を描いているのではないだろう。

せっかく名前取り戻したのに
"巻き"戻ってる感がありますもんね

マキさんだと"巻き"戻ってる感ありません?

という家森のしつこい駄洒落に倣うのであれば、真紀は薪(マキ)をくべているのだ。燃え上がるような恋、それに伴う憎しみ、そんな気持ちはいつか燃え尽きて、全ては優しさの中に消えてしまう。しかし、その熱は冷めることなく、真紀を(あなたを)どんな時でも暖めるだろう。これまで坂元裕二が繰り返し描いてきたモチーフの変奏が、あのシーンに息づいている。

*1:全サブカルクソ野郎が泣いた

*2:最高の離婚』のドストエフスキーをめぐる挿話などでもすでに描いてはいる