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坂元裕二×満島ひかり×松たか子×高橋一生×松田龍平『カルテット』制作発表!!

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あぁ、こんなに素晴らしいことってあるだろうか!この度、情報が解禁されました2017年1月からのTBS火10ドラマ『カルテット』の話です。脚本は我らが坂元裕二!もう、わたくしめなどは”坂元裕二”という4つの漢字の連なりを目にするだけで、心がウキウキしてしまうのであります。『最高の離婚』(2013)、『問題のあるレストラン』(2015)、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)と、1月期のドラマが続いておりましたので、あるだろうとは思い、覚悟はしていたのですが、今回発表された4人の俳優陣の相乗で、結果腰を抜かすほどに驚いた。松たか子満島ひかり高橋一生松田龍平である。ちょっと幸福の許容のキャパオーバーだ。坂元脚本でドラマを繰り広げるこの4人をちょっと想像しただけでも、涙腺が緩んでしまうではありませんか。夢のようというか、まさに”最高の4人”なのです。そんなこんなを色々考えている内に、あぁ、こんなに素晴らしいことってあるだろうか!と、冒頭の感嘆に舞い戻る。



まず、何はなくとも満島ひかりである。坂元裕二と強い絆で結ばれた女優。
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もう坂元裕二にとって、メンターとかミューズとかそういう存在(つまりは筆をとり続ける理由)なんじゃないかしら、と勝手に想像しております。彼女自身も坂元に対して「一生一緒にやっていけたらと思います」「精神的な唯一無二の仲間」と、非常に強い言葉を残している。こうなったら、観る側の我々も「一生ついていくぞ」という覚悟で、上の世代のドラマフリーク達が山田太一と結んだ幸福な関係のようなものを、坂元裕二×満島ひかりと作っていけたら、と考えたりするわけです。『おやじの背中』「ウェディング・マッチ」(2014)、ショートラジオドラマ(2015)、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)と、途切れることなく交感は続いておりましたが、本格タッグを組むのは『Woman』(2013)以来。黒柳徹子の半生を演じた『トットてれび』(2016)を経て、
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更に一皮むけた感のある満島ひかりを坂元がどう描くのか、関心は尽きません。余談ですが、『カルテット』の主人公の名前が巻真紀(まき・まき)と聞き、

名字の満島は、先祖は奄美大島に多い「満(みつ)」という一文字の名字を名乗っていたが、「みつ」という名の女性が一族にいた時期に「みつ・みつ」と姓名が同じになってしまうのを避けるために「満島」と改姓したという

というWikipedeにも記載されている、『徹子の部屋』で披露したエピソードトークを想い返した。



そして、主演に松たか子。意外な事に坂元ドラマへの出演は初とのこと。しかし、坂元裕二×松たか子と言えば、デビュー曲「明日、春が来たら」があります。

そして名前呼び続けて はしゃぎあったあの日
I LOVE YOU あれは多分 永遠の前の日
明日、春が来たら 君に逢いに行こう


松たか子「明日、春が来たら」

なんたるエヴァーグリーンさ。歌唱、楽曲、アレンジ、その全てがマスターピースだ。坂元裕二はその他にも「空の鏡」「WIND SONG」「雨の色」「Hello Goodbye」「東京バード「Girl friend~Angels of our time」「ゆびさき」「a bird」etc・・・など松たか子の初期ディスコグラフィーを彩る多くの楽曲の作詞を手掛けている。

空の鏡

空の鏡

ちなみに、坂元裕二出世作と言えば『東京ラブストーリー』(1991)。主題歌である小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」のあの有名なイントロ「トゥクトゥン」を考案・演奏しているのは、松たか子の夫である佐橋佳幸なのである。余談ですね。松たか子満島ひかりも初共演とのこと。しかし、松たか子の舞台デビュー作である蜷川幸雄ハムレット』(1995)のオフィーリア役は、奇しくもその20年後に満島ひかりによって演じられている(演出は同じく蜷川幸雄)!この結びつき。



松田龍平の起用もこの上ない喜びである。『あまちゃん』(2013)、『ぼくのおじさん』(2016)など、役柄を広げ、俳優として脂が乗り切っている。その独特な発話は、台詞に表層以上の奥行きを与える。初参加となる坂元作品との相性は抜群なのでは。満島ひかりとの共演は『北のカナリアたち』(2012)、『トットてれび』(2016)で少なからず観る事ができる。下世話な話になるが、大ヒットした主演映画『舟を編む』(2013)の監督は満島ひかりの元夫である。また、松田龍平とセットで思い起こされるのが瑛太。『それでも、生きてゆく』(2011)という傑作をして、満島ひかり坂元裕二と共に”精神的な仲間”と評する存在。瑛太松田龍平は共演が多いだけでなく、『アヒルと鴨のコインロッカー』(2007)や『まほろ駅前多田便利軒』(2011)など、表裏一体の役柄を演じる事が多い。新たな精神的な仲間の誕生の予感に満ちているではありませんか。



そして、高橋一生!主演格の4人にとうとう登り詰めたわけであります。朗読劇『不帰の初恋、海老名SA 』(2012)、『カラシニコフ不倫海峡』(2014)の主演に起用するなど、坂元裕二からの信頼に篤い役者であり、『Woman』(2013)、『モザイクジャパン』(2014)、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)など、坂元のドラマ作品においても重要な役所を常に任されている。『民王』(2015)での好演で茶の間への浸透も果たし、今その勢いは星野源と肩を並べるほど。とにもかくにも抜群に巧いカメレオン俳優、次はどんな顔を見せてくれるのでしょう。ちなみに、満島ひかりとの関係で言いますと、HNK連続テレビ小説『おひさま』(2011)が注目。育子(満島ひかり)の悲恋の相手を演じています。今作は他にも、高良健吾永山絢斗安藤サクラ田中圭黒柳徹子etc・・・と坂元・満島ファンにたまらないピースに満ちた朝ドラなのです。



次にスタッフに注目してみよう。TBSというのが何よりの驚きである。フィルモグラフィーを眺めてみても、当該きってのフジテレビっ子である坂元裕二。TBSでの仕事は『猟奇的な彼女』(2008)と『おやじの背中』の「ウェディング・マッチ」(2014)のみ。その『猟奇的な彼女』でチーフ演出を務めていた土井裕泰が『カルテット』でも総合指揮を執る模様。土井裕泰と言えば、『重版出来!』『逃げるは恥だが役に立つ』といった2016年の話題作の印象が強いわけですが、『魔女の条件』(1999)、『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』(2001)、『マンハッタンラブストーリー』(2003)といった2000年周辺の傑作群も忘れがたい。個人的にはTBSドラマの印象とイコールで結びつくような作品ばかりだ。ちなみ、土井裕泰は映画の分野でも何本か監督を務めており、その内の1本は、黒沢清が「本当に素晴らしい。間違いなく(2015年の)ベストワンでしょう」と賞賛した『映画ビリギャル』である。ビリギャルの素晴らしさは理解できていないのですが、フジテレビの並木道子にひけをとらない演出力を期待したい。


プロデューサーを務める佐野亜裕美は『ウロボロス』(2015)、『おかしの家』(2015)などで注目を集める新鋭。

素晴らしい4人の俳優陣と、坂元裕二さんとお仕事をするのを夢見てから今日まで、4年かかりました。最初は、まさか実現すると思っていませんでした。この"まさか"が、どんな化学反応を生むのか。これからどんな"まさか"が待ち受けているのか。私自身、誰よりも楽しみにしています。

という言葉にもあるように、何よりも脚本家・坂元裕二に恋をしている感じがいい。この方と満島ひかりが揃っているのであれば、坂元裕二はその作家性を損なうことなく、自由に羽ばたけるのではと期待してしまいます。



HPに記載されている概要を読んでみると、何やらラブサスペンスらしい。

ある日、4人は"偶然"出会った。
女ふたり、男ふたり、全員30代。
4人は、夢が叶わなかった人たちである。
人生のピークに辿り着くことなく、
ゆるやかな下り坂の前で立ち止まっている者たちでもある。

彼らはカルテットを組み、
軽井沢でひと冬の共同生活を送ることになった。
しかし、その"偶然"には、
大きな秘密が隠されていた――。

冬の軽井沢、男女4人の共同生活、弦楽四重奏etc・・・抜群に面白そうではないか!4人の演技合戦がもう四重奏だろう。嘘と本音が交錯し、徹底的にすれ違いながらも、でもそこには圧倒的な音楽が流れている。そんなイメージが湧く。

台本を読み、人間というのはかくも滑稽で、かくも愛しいんだなというのを非常に感じました。画面を通して、「人間ってとても愛すべき存在なんだ」とみなさんに思っていただけるとうれしいです。

という高橋一生の言葉も、この作品への期待を底上げする。坂元裕二は、とかく生き辛いこの世の中で孤独にすれ違う人々を、そのペンで描写し続ける。しかし、そんな中でも人々はテーブルを囲み温かいスープを飲み(『問題のあるレストラン』、恋の喜びは厳しい人生の痛みを忘れさせる(『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』)。坂元裕二が必至に書き記そうとしているのは、宮崎駿の言葉を借りれば

この世は生きるに値する

という、その一点であるように思う。その壮大で過酷な人間賛歌の新章の予告に、今から胸打ちふるわせる毎日なのでした。



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ジャド・アパトー『LOVE』

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ジャド・アパトー(『40歳の童貞男』『フリークス学園』)が制作総指揮をつとめるNetflixオリジナルドラマ『LOVE』は必見である。インテリ眼鏡の優男ガス(ポール・ラスト)とドラッグ&アルコール中毒かつ恋愛依存症のミッキー(ジリアン・ジェイコブス)というアラサ―2人の恋を描いたラブコメディ。コンビニのコーヒーで出会って、スマートフォンで連絡が途絶え、インスタグラムの投稿をきっかけに再会するという、まさに”現代”の恋愛ドラマである。主演のみならず、企画・脚本にも関わっているというポール・ラストの風貌と物言いが、若きウディ・アレンの再来としか思えないのが何よりの証左なのだけども、「コメディアン出身」「ユダヤ系」「パートナーを自作に出演させる」と多くの類似が見受けられたジャド・アパトーウディ・アレンの2人の作風が、ついに線で繋がったような印象だ。作中では「僕はウディ・アレンじゃないからね」と言った台詞まで飛び出すのが笑える。ウディ・アレンが作り切れなかった『アニー・ホール』や『マンハッタン』の現代アップデート版に、ついぞ我々は遭遇できるのでは、という予感に心躍ります(来年にはシーズン2を予定しているそうな)。ジャド・アパトーリチャード・リンクレイターウェス・アンダーソン、とりあえずこの3人の作品を押さえておけば、現行のアメリカ映画を観ている事になる気がする。


ガスの趣味は映画と音楽。「ピクサーはプレッシャーに潰されてダメになった」と辛辣な批評家でもある。友人を集めては、テーマ曲のない映画にふさわしいテーマ曲を勝手に創作して遊ぶ、というボンクラ感の愛おしさ。
youtu.be
パーティーで女の子そっちのけでWings「JET」をマッカさながらのベースプレイで歌い上げる所なんかも最高である。アバズレだけどもクールな女性ミッキーを超絶キュートに演じ切ったジリアン・ジェイコブスのバランス感覚は絶妙。後半の壊れ方は、胸掻き毟られた。今作をきっかけに映画界でエマ・ストーンと役柄を奪い合うような存在になりそうだ。ファッション・センスもクール。


ときに、海外のラブコメディドラマを観ていると、その成熟にいつも戸惑ってしまう。あけすけに言ってしまえば、”セックス”の取り扱い方だ。今作においても、1回の放送につき複数回のベッドシーンが登場するのだけども、主人公カップルの待望のそれであっても、ロマンティックに彩られることもなく、情熱的に描かれるでもなく、実にサラっとカラッと演出されている。それは恋愛のピークタイムではなく、当たり前のように通過する一点であるからだ。確かに、恋愛における問題なんてものは、その後にこそ山積みのはず。例えば、付き合い出したパートナーが、自身の交遊テリトリーに無理矢理介入してくる時の不協和音とわずらわしさ、といった実に繊細な心の機微が見事にドラマとして機能している。とりわけ感動してしまったのは、ガスのそれは勿論、ミッキーの自慰行為すら、予定のない週末の寂しさ、みたいなものの1つとして何の躊躇いもなく画面に映し出されていた事。これを成熟と呼ばずに何と呼ぼう。


しかし、日本のラブコメ作品はそうはできていない。眼鏡をかけただけでコミュ障の童貞として振舞う男優と、性の匂いを漂白された女優が、つたない恋愛に悪戦苦闘している。セックスがゴ―ルなくせに、そのゴールすらほぼ描写される事はない。そして、我々視聴者もそんな様子にすっかり”萌え“ているわけだから、海外ラブコメとの距離はどこまでも遠くなりにけりである(まぁ、それはそれで1つの文化としてありなのかもしれませんが)。ちなみに、そんな国内ドラマ界状況において、非常に優れたラブコメであった坂元裕二の『最高の離婚』とこの『LOVE』は、”飼い猫の消失”というモチーフでもってシンクロしている。


成熟、と言ってもこの『LOVE』に登場する人物達は一様に未熟だ。ガスにしても、ミッキーにしても、やることなすこと唐突で、ヒステリック。「あーー!!!なんでそんなことを!?」ともどかしくなるほどに、どこまでもややこしく糸を絡ませていく。そんな未熟な人々の物語であるから、今作では”真実の愛”といったような胡散臭いお題目は語られない。画面に刻まれているのは、埋めがたい孤独を抱えた”欠けた”人々が、「少しでもより良い自分でありたい」と懸命にもがく姿だ。それはときにひどく不格好で滑稽であるわけだが、どこまでも普遍的なテーマであり、観る者の胸を強く打つ。下品だし過激かもしれないが、万人にオススメしたい1作である。

こうの史代『長い道』

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この『長い道』という作品は、映画『この世界の片隅に』がヒット上映中のさなか、改めて手にとるべき1冊と言えるだろう。1話3~4ページからなる「ほのぼの夫婦漫画」の体をとりながらも、こうの史代のイマジネーションが自由気ままに炸裂した作品でもある。SFからナンセンスまで、あらゆる不条理が何の前触れもなく日常に侵食する。まず、そのバリエーションと精度に感嘆してしまうわけだが、それらは次の話ではパタリとなかったことになっている。この煙にまかれるような感覚は、作品全体を貫いていて、少しでもセンチメンタルな感動が巻き起ころうなら、必ずやギャグでオチをつけて読者をはぐらかす。これはこうの史代の作劇の一流の”照れ”のようなものだが、今作における主人公”道”のミステリアスさの前においては、そこはかとない不穏さと不安を読者に抱かせる事にも成功している。


夫は妻が何を考えているのかさっぱりわからない。なんたって、赤の他人なのだから。『デート~恋とはどんなものかしら~』や『逃げるは恥だが役に立つ』といった昨今のドラマ作品における”契約結婚”のようなものが、今作の起点である。まず、”夫婦”という型にはまってみて、果てしてそこに”愛”は宿るのだろうか、という試み。前述の作品にしても、契約結婚に踏み切る人々というのは高等遊民、理系女子、プロ独身etc・・・と皆一様にどこか”変わっている”わけだけども、この『長い道』の主人公もまた、夫は女とギャンブル狂いのクズ、妻は世間とズレまくった不思議ちゃん、となかなかに曲者である。そんな2人であるから、居酒屋でたまたま出会った互いの父親が酒の勢いで子ども同士を勝手に結婚させてしまった、という無茶苦茶な物語の導入をなんやかんやで受入れてしまう。当然、2人の暮らしはとてもいびつだ。夫は働かずに他所の女にうつつを抜かしてばかり。金がなくなると(比喩ではなしに)女房を質に入れてでも、食いつなごうとする。妻はそんな夫の悪行を気にとめる様子もなく、親身になって尽くす。しかし、夫に対して盲目的な愛情を抱いているのかというとそうでもなく、「離婚しよう」と持ちかけられれば、「荘介どのがそういうならば」とことさら執着する様子もない。しかし、そんな結婚という"虚構"を戯れる2人でありながらも炊事、洗濯、買い物、バイト、就活、親戚づきあいetc・・・といった当たり前の日常は、共に丁寧にこなしていく。淡々とした日常の中で”個性”は煌めく。あなたの良い所、直したほうがいい所、もしくは”右利き”といった些細な個性、繰り返される日々の営みの中で、それらはどこまでもかわいらくし、愛おしい。だからこそ、私たちは赤の他人とこんなにも簡単に繋がっていってしまう。この愛への楽観主義が、こうの史代の筆致の何よりの魅力だ。


この『長い道』は『この世界の片隅に』の変奏と言えなくもない。すずが幼馴染である水原への想いを秘めながらも、わけもわかぬままに誰ともわからぬ男と結婚したように、道もまた、竹林という過去の恋人への想いと共に夫との暮らしを営む。『この世界の片隅に』において、すずが水原と一夜を共にし、「こうなることをずっと望んでいた」と告白しながらも、その誘いを断り、夫への愛を吐露したように、道もまた、竹林と再会しながらも、その積もり積もった想いを、夫である壮介にスライドさせていく。こうの作品において、かつての”想い”は決して否定されない。それらは輪郭をうっすらと残しながら1本の長い道となり、今この瞬間、目の前の愛する貴方に向けられるのである。


余談。こうの史代による「あとがき」がとても良くて、泣けるのだ。

あと英光、荘介どのの良いところはすべて貴方に似ています。いつか別れる日が来ても、わたしが貴方と生きた証はいつまでもここにあるのだと思います。


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井口奈己『人のセックスを笑うな』

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朝方、空は白む直前、夜通し遊んだ帰り道だろうか、3人の若者を乗せたタウンエースが疾走し、トンネルに差し掛かる。そこで、若者は或る女に遭遇する。女は何故か靴を履いていない。

「幽霊かな?」
「いや、足あったから幽霊じゃないでしょ」

終電を逃し、歩いて帰宅している途中に、靴ずれを起こして途方に暮れている女。若者は親切にも女を車に乗せ、更には別れ際に、その足にビーチサンダルを与える。その後、女は前述の問答通りさならがら"幽霊"のように神出鬼没に現れ、3回もの偶然でもって、若者と再会する。しかし、記憶など持ち合わせていないという態度で、”ビーチサンダルの朝”をなかったかのように(文字通り)煙に巻く女。永作博美のなんて画になる煙草の吹かし。完璧なるファム・ファタール、ユリは魅力的な”赤”をまき散らし、若者を誘惑する。喫煙所にて、「Light My Fire」と言わんばかりにハート型のライターを手渡す。ミルメ(松山ケンイチ)はこれで完全にノックアウトだ。カーディガン*1、アトリエの郵便ポスト、ストーブに置かれた薬缶、2人で膨らませるエアマット・・・めくるめく”赤”の誘惑に彼はただただ魅せられていくばかり。しかし、ユリの夫である猪熊さん(あがた森魚)は彼女に信玄餅や林檎という"赤"を与え、ましてや、林檎を切る際に、傷ついた血(赤)を舐めてあげることができるのだ。ミルメと猪熊さんの、赤を巡る圧倒的な差異。”幽霊”というよりも、単に地に足のついていない女であるユリは、いわば風船である(今作にはいつくの膨らんでは萎んでいく"それ"が登場することか)。ユリは地面に縛りつけてしまっては萎んでしまう。であるから、フワフワと空に放たれ、ミルメの心に”揺れ”だけを残しながら、インドに飛んでいってしまう。


今作の最大の魅力は役者に尽きる。幽霊であり小悪魔であり風船であるユリを、軽やかに、しかし肉感的に演じ切った永作博美。まさに”触ってみたくなってしまう”男の子を体現した松山ケンイチ。服を脱ぐ、というのはかくも魅惑的なアクションなのかと痛感させてくれる。脇を固めた蒼井優忍成修吾も抜群だ。そして、それを見事にコントロールした井口奈己の手腕。脚本の最終稿に目を通してみると驚く。あの永作博美松山ケンイチの蕩けるようなじゃれ合い、もしくは忍成修吾からの暴発的なキスといったシークエンスの数々は、そのほとんどが脚本には描かれていない。執拗な長回し故の産物なのである。日本映画至上ベスト、と呼んでもさしつかえないあの完全に時が止まったようなユリとミルメのキスシーンをはじめ、この作品には、映画が”撮れるはずのない”ものが多く刻みこまれている。そして、ロバが現れるファミレス、オールナイトの名画座、信玄餅の正しい食べ方・・・といったあまりにも豊かな細部の枝葉の数々。ユリちゃんのリトグラフ講座、二人乗り自転車の横移動、堂本のタウンエースのバック走行、えんちゃんのラブホテルのベットでのジャンプ、といったアクションの数々も、この作品を紛れもない宝物にし得ている要素であろう。恋愛映画はこれ1本さえあればことたりる、そんな想いすら抱く傑作だ。


余談だが、劇中でユリに「いいね、そのコート。高校生みたいで」と褒められるミルメの着たおそらくgloverallであろうグレイのダッフルコートが最高にキュート。スタイリングを担当した橋本庸子は、本作の影のMVPであろう。



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*1:John Smedley

鳥山明『COWA!』

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「お~怖っ」(Ⓒガリガリガリクソン)って誰かが言ったら、「誰が”鳥山明先生の次回作にご期待下さい“じゃい」と返さなければいけない、という謎のルールが親しい友人との間にあって、これは勿論、鳥山明の『COWA!』という短編作品に起因しているわけなのですが、ずっと言い続けている内に、「もしかして鳥山明先生の最高傑作って『COWA!』なのでは」という想いに駆られてしまった。居ても立っていられなくなったのだけど、実家に取りに戻るのも面倒だったので、「えーいっ」と本屋に駆け込み、新刊で買い直すことに。何年か前に重版された時についた帯に

すべての作品の中でいちばん大スキなマンガであります

鳥山明本人が記していて、読む前にもう答えは出ていたわけですが、間違いない、これが鳥山明の最高傑作だ!

COWA! (ジャンプ・コミックス)

COWA! (ジャンプ・コミックス)

さてさて、『COWA!』の連載が始まったのは忘れもしない、1997年で、『ドラゴンボール』の連載終了から約2年。当時、小学6年生だった私は、超がつくほどの鳥山明フリークで、ランドセルには教科書の代わりに『ドラゴンボール大全集』
DRAGON BALL大全集―鳥山明ワールド (1)

DRAGON BALL大全集―鳥山明ワールド (1)

を入れて登校する、ってのをギャグではなく真剣にやり続けるような少年だった。授業そっちのけで、ナメック語の解読にいそしんだり(神龍を呼び出す時の呪文”タッカラプトポッポルンガプピリットパロ”は今でも諳んじられる)、ドラゴンボールカルトクイズを作成したり、と忙しい日々を送っていました。ちなみに、お気に入りの問題は「悟空が赤ん坊の時の戦闘力は2で、父親のバ―タックに「ちっ、戦闘力たったの2か…クズが」とか言われてたんだけど、その時、同じく赤ん坊だったブロリーの戦闘力はどれくらいだったと思う?」ってやつなんですけども、ちなみに答えは1万です。まぁ、それくらい熱狂していたので、1997年なんてのは「あー、世の中に鳥山明が足りねーわ」ってな感じだったわけです。そこに来ての鳥山明新連載の報。リアルタイムで鳥山明の新連載開始に立ち会えるというのは(短い人生ながら)初めての事だったので、これはもうおおいに盛り上がった。その新連載が『COWA!』です。当然のように夢中になったんですけど、やっぱり戦闘力もエネルギー波も修行もない本作には、小学生心にはどこか物足りなさも感じてしまっていた。「おでが読みたいのはこういうんじゃねぇんだよ、鳥山」と。


しかし、20年の時を経て読んでみると、どうでしょう。抜群に面白いではありませんか。絵本風のタッチに挑戦したという事で有名な今作ですが、絵本と言うよりも、どことなくアメリカンポップカルチャーの香りがするのが最高。抜群にキュートなタッチと類まれなるキャラクター&エピソードメイクで、物語の輪郭を積み重ね、最終的には横移動のロードムービーへ。そして、上昇と下降の”縦”の構図でクライマック、という完全無欠の短編に仕上がっております。鳥山明がずーっと描き続けている”異種間の交流”が、誰もが誰しも差別せず、阻害されない世界”ユートピア”として帰結するラストには思わずホロリ。無愛想でふとっちょ(元・最強力士)のマコリン、大好きだ。もうほんと全ページ、全コマが愛おしい。まさに今読み直してジャスト!な傑作であります。オススメ。


当時『COWA!』の連載開始を祝って、本屋さんのカウンターでイラストカードが無料で配られていて、クラスメイトの好きだった女の子が「これ、あんたの好きな漫画のやつでしょ?あげる」って言ってくれたんですよ。いや、当然持ってたんだけども、なんだか本当にうれしくて、中学入っても財布に入れていました、という余談が、本当は1番書きたかったことです。みっちゃん、元気かなー。