青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

廣木隆一『火花』

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文句なしに2016年のベストに数えるべき作品だろう。この国のテレビドラマに“火花以降”という新たな基準が設けられた、と断言したい。廣木隆一(『ヴァイブレ―タ―』『やわらかい生活』)を総監督として、白石和彌(『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』)や沖田修一(『南国料理人』『横道世之介』)など映画界の気鋭が集結。彼らがNetflixの豊潤な制作資金を元に作り上げたのは、ド派手なアクションに彩られたエンターテイメントでも、豪華絢爛な俳優陣による演技合戦でもない。中央線ラプソディ、とでも呼びたくなるような実に貧乏くさい小さな小さな物語だ。白石和彌が監督を務めた3話などは、終電を逃すまで飲み荒らした主人公2人が吉祥寺から上石神井までの夜をのそのそと歩く、それだけの回。それらにこれほどの大きな資本と才能が注ぎこまれている。これは革命なのか。ここからこの国のテレビドラマは何かが変わっていく、そう信じたい。3話のみならず、このドラマでは、青春とは”夜を歩く”ことである、と言わんばかりに、ひたすらに若者たちが歩き、そして、走る。その様子をクレーン撮影も厭わず、雄弁にカメラに収める。夜に揺らめく街灯、雨で濡れた地面に映る光。そういった映像感度の充実がどれほど物語に奉仕することか。ぜひ目撃して頂きたい。



全10話530分をかけて、お笑い芸人の10年間をオフビートでじっくりと追っていく、という売り文句に敬遠してしまう人がいる事も想像に難くないので、もっとキャッチーなレジュメを用意したい。今作は松本大洋が繰り返し描いてきた”才能”を巡る”救済”の物語だ。徳永が憧れ続ける師匠・神谷というバディのパワーバランスが徐々に逆転していく構造は、『鉄コン筋クリート』や『ピンポン』でのそれらのトレースのようである。

ピンポン(1) (ビッグコミックス)

ピンポン(1) (ビッグコミックス)

そう、今作の後半はひどく物悲しい。7話以降は、常に”泣き出す直前”といったようなフィーリングで胸を掻き毟り、それらはラスト2話で一気に爆発する。涙腺崩壊必至。それもこれも、こんなにもフィクションのキャラクターに愛着を抱くのはいつ以来だ、という程に徳永と神谷の2人が大好きになってしまうからに他なるまい。林遣都*1波岡一喜という役者の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。あまりに徳永として、神谷として、そこに”在る”のだ。役者としてこんなに尊いことはないだろう。であるから、彼らが観る風景も、抱く感表も、全てがリアリティをもって響いてくる。門脇麦好井まさお(井下好井)、村田秀亮(とろサーモン)、染谷将太菜葉菜、髙橋メアリージュン、徳永えりetc・・・といった脇を固めるメンバーもいちいち素晴らしい実存感を携えており、実に愛おしい。とりわけ、主人公の相方である山下役の好井まさおの好演には、初演技という事も含め誰もが驚きを隠せないだろう。
火花

火花

さて、このドラマを前にして、『火花』という小説を全く読めていなかった、と正直に告白したい気持ちに駆られている。又吉直樹(ピース)は、あのか細い声からは想像もつかないほどの大きな”アイラブユー”をこの作品で叫んでいるのだ。売れない芸人が志半ばでその道を外れていく様を描いた青春残酷物語ではあるが、その視線はとても優しい。芸人を辞める決意をした徳永に師匠である神谷がこう語りかける。

この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある、だから面白いねん。でもな、徳永、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。一回でも舞台に立った奴は、絶対に必要やってん。これからのすべての漫才に、俺達は関わってんねん。だから、何をやってても芸人に引退はないねん。

ここにあるのは圧倒的な”生”の肯定である。芸人や表現者のみならず、この世界で息を吐き続ける全ての私達の”これまで”と”これから”を肯定してくれるような、あまりにも優しい視点だ。ドラマではそれに補助線を引くように、徳永の住むアパートに、お役御免となった古い家電をかき集め、修理するロクさんというオリジナルキャラクターがメタファーとして存在する。



前述の台詞が繰り出される居酒屋のシーンで物語を閉じてしまっても何ら問題はないわけだが、そうはならないのが今作だ。

美しい世界をいかに台なしにするかが肝心なんや
そうすれば、おのずと現実を超越した圧倒的に美しい世界があらわれる

という劇中での神谷の台詞を呼び水にするように、失踪していた神谷が突如Fカップの巨乳を携えて現れるという、全てを台無しにするようなバカバカしいエピローグが添えられている。しかし、それがことさら今作を美しく孤高のものとしている事は誰も否定できまい。なんて偉大なる蛇足。旅館の内風呂で豊満な胸を揺らす神谷と、それに付き合い裸になる徳永。カメラは部屋を飛び出し上空にじんわりと上昇する、2人の狂騒は熱海の夜景の1つとなる。貴方が展望台から覗く美しい無数の光の1つは、おっさんのFカップが作り出しているかもしれない。そんな想像だにしない無数の夜で、この世界は作られているのだ。その途方もない尊さを、このドラマは教えてくれる。

*1:そこはかとなく満島ひかりに似ている。大橋裕之先生にも似ている

クリント・イーストウッド『ハドソン川の奇跡』

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上空850メートルで鳥の群れとの衝突という不慮の事故により、エンジンが停止してしまったUSエアウェイズ 1549便。積み重ねた経験に裏打ちされた類まれなる判断力と機体操縦力で、1人の死亡者も出さずに機体をハドソン川に不時着させてみせた機長は一躍、時の英雄として祭り上げられる。しかし、安全委員会の執拗な事故調査により、機長は自分の下さい判断の”正しさ”が揺らぎ出す。ニューヨーク市街の高層ビルに飛行機が突っ込む。機長のうなされる悪夢が、何の前触れもなく劇中で何度もインサートされる。当然、想起されるのはあの9.11同時多発テロの記憶だろう。つまり、トム・ハンクスが演じているのはアメリカそのものだ。ニューヨークの街を救ったヒーローとしてのアメリカの良心であるし、あの「9.11のテロ」を引き起こしてしまったアメリカでもある。とても混乱している。凍てつくような(しかし、美しい)ニューヨークの街をトム・ハンクスがランニングしてみせるショットが印象的で、その姿に同じくトムがアメリカの歴史を背負って演じてみせたロバート・ゼメキスの『フォレスト・ガンプ』(1994)が重なる。
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上映時間はまさかの96分。驚異的だ。無駄がない、というわけではない。何やら重大そうな機長の家庭の問題は妻との電話であっさりと処理され、重厚なドラマが潜んでいそうな過去の回想はサクっと二度だけ振り返り終了。その選択と切り捨ての潔さでもって、余談とでも言っていい、多用な人物の枝葉を拾ってみせる。副機長が50ドルで購入したスニッカーズ、ニュース番組のメイク担当の母親の挿話、宿泊するホテルの従業員マネージャーとのクリーニングのやりとり、心優しき航空管制官の涙、など鮮烈な印象を残すエピソード達。こういった市民の息づかいでもって、イーストウッドは、USエアウェイズ1549便不時着水事故「搭乗者155名」というその記号性にひたすら抗ってみせる。155名とはずいぶん小振りの飛行機だったんだな、と思うかもしれない。いやいや、その日の飛行機には本当にたくさんの人が乗っていた。娘と孫の為にスノードームを購入した脚の悪い女性がいて、シアトル旅行でのゴルフを楽しみにしている父と息子がいて、隣に座った赤ん坊をあやす心優しいビジネスマンがいて・・・クレジットを眺めてみると、彼らにはルシール・パルマー、ロブ・コロジェイ、バリー・レオナルド・・・といったようにはっきりとした固有性があてがわれている。あの聡明で勇敢なベテラン客室乗務員らも、シーラ・デイル、ドナ・デント、ドリーン・ウェルシュと、スチュワーデスA、B、Cというような扱いは決してされていない。これはイーストウッド流の『君の名は。』(2016)*1なのだ。今作のタイトル(原題)が『Sully サリー』というトム・ハンクス演じる機長の愛称である事が何よりの証左だろう。その態度は「9.11犠牲者」という匿名性に埋もれた様々な名前と顔へのレクイエムのようでもある。

*1:あまちゃん』である、でも『いつか恋を思い出してきっと泣いてしまうである』である、でもいい。驚異的なのはたった96分でスマートにやってのけてしまうイーストウッドの映画力

最近のこと(2016/10/01~)

10月に突入。夏は完全に終わったが、上着とネクタイを着用して通勤するにはまだ暑い。でも、クールビズはきっかりと9月で終了。ネクタイピンが見つからなくて困っている。いや、本当はあんなものなくても困らないのだけども、でもやっぱり一度ネクタイピンのある世界を経てしまうと、あぁこんなにブラブラさせていていいのだろうか、って思っちゃうのだ。



先週のことは書きそびれている内に、ほとんど忘れてしまった。週半ばに『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』を観たのは覚えている。
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あまり評判を聞かないし、確かにとても粗っぽいのだけど、いい映画だったと思う。ジョン・ウィリアムスのスコアも絶好調。劇場の予告編で観た『グッドモーニングショー』で中井貴一時任三郎という『ふぞろいの林檎たち』の2/3が共演していて最高なのだけど、監督・脚本が君塚良一のクレジットでしょんぼり。と言っても本広克行君塚良一の仕事の違いをほとんど把握していないのですが。中井貴一時任三郎というキャスティングで最後にもう一度、山田太一ドラマが観たい。ご存命の内になんとか!そして、坂元裕二に足りない最後のピースは中井貴一ではないでしょうか。宇多田ヒカルのアルバムはアマゾンで買った。

Fantôme

Fantôme

混んでいるタワレコにはもううんざりなのだ。「ともだち」と「忘却」が好きだ。Francis and the Lightsのアルバムもフリーで聞けるし、Frank OceanもNonameもゲントウキもまだまだずっと聞いているので、その質量に混乱している。



週末には渋谷で演劇を1本観た。ロロの三浦直之が脚本・演出を担当した『光の光の光の愛の光の』だ。
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いやー泣いちゃいましたね。ロロ『LOVE』の再々演にあたるわけですが、もう本当に好きな戯曲なので、久しぶりに観る事ができて感激。フレッシュな役者さん達も悪くはなかったのですが、それでもやはりロロメンバーの尊さを痛感する。森本華と島田桃子のダンスあっての「Mr. Moonlight」や「君に胸キュン」だからなぁ。ラストシーンのコージのあのモノローグはどうしたって板橋駿谷の声で聞きたい。自転車という役だけは望月綾乃が再び演じてくれていたのがうれしかった。ロロにおける望月さんの”片想い”はコアだ。



週末のことはさすがに覚えている。土曜日、あまり天気がよくないので、洗濯機を回して、そのままコインランドリーへ。乾燥機のフワフワな仕上がりに病みつきになりつつある。特に靴下。自分が干すと、柔軟剤入れてもゴワゴワなんですが、干し方が悪いのでしょうか。部屋とトイレの掃除を終え、コインランドリーから洗濯物を引き上げると、もう昼過ぎで、お腹はペコペコに。ときに”ペコペコ”が空っぽを表現する擬音である事、冷静に考えるととても不思議だ。気になったので調べてみると、韓国語の”ペコッパヨ(腹が減った)”が由来という説があるらしい。ペコッパヨって超かわいいな。あーペコッパヨ、ペコッパヨ。中華にするか、カレーにするか、はたまたパスタか、と色々悩んだ挙句、宅配ピザを頼むことにした。ちなみに私はピザ―ラ派。鉄板注文はハーフ&ハーフでもち明太とモントレー(カレー味)です。いや、わかりますよ?チョイスださいくね、と思ったのでしょう。でもですね、こういったデリバリーのピザで、マルゲリータのようないわゆる”ピッツア”みたいなものチョイスするのは違う気がするのだ。そんなものはナポリで修業した職人が働くような石窯のあるお店で食べるべき。宅配ピザというのはそういった店の出すピッツアとは別ジャンルの食べ物と考えるべきだ。ラーメン二郎はラーメンではなく二郎というジャンルだ、みたいな言説と一緒。そう考えた際に、ピザ―ラでの先程のジャンキーなチョイスはまじで間違いないです。どう転んでも美味い。カレーと餅とピザて。イタリア人もビックリするんじゃないかな。ちなみに私は学生時代、ピザハットバイトしていた事があります。まれに悪戯注文とかあるんです。トッピング全部盛りのパンパンに膨らんだピザを注文しといて、指定された場所行っても誰も出てこない、みたいな。そういう時は仕方ないので店に持ち帰って、もったいないからみんなで食べるんですけども、全トッピングのピザは驚くなかれ”しゅうまい“の味がしました。ナポリの道は崎陽軒に続いていたのです。そう考えると、生きていくのも悪くないな、って思いませんか。この日はひたすらNetflixでアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』を観ていました。10年くらい前の作品ですけど、鮮度落ちてない。「エンドレスエイト」の3ターン目くらいまで観続けてしまった。勢いで映画『涼宮ハルヒの消失』(2010)

涼宮ハルヒの消失 通常版 [DVD]

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も観たんですけど、この作品もまた何度観ても素晴らしい。もっともっと評価されてしかるべき。Netflixには『氷菓』も配信されていて、もううれしい悲鳴です。



日曜日。天気予報を覆し、よく晴れていたのでベッドのシーツや枕カバーなど大物達をここぞとばかりに洗濯。そして、この日トイレが詰まった。昨日、掃除をした際に使用したウエットペーパーがどうやら流せるタイプではなかったようで、それらが詰まってしまったようだ。人生初のトイレ詰まりである。ネットで調べてお湯を注いでみたり対策を練るも、どうにも流れていかないので、スッポンを買いにショッピングモールへ。使い方を学ぶ所から始めて、スッポン、スッポンと懸命に音をたて、無事詰まりを解消しました。尊厳を保つ為に、BGMには華原朋美のベスト盤を流した。


お昼過ぎ、豊島園にある「八」というお店でインドカレーとかき氷を食べた。カレー、かき氷ともに絶品である。
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インドカレーは本格的。マトンが苦手な人はキーマは避けたほうがいいのだけども、これがまた旨い。かき氷にはチャイミルクという珍しいメニューがある。隣のピザ屋も美味しいし、豊島園は本当になかなかイカした場所なのだ。イーストウッドの映画でも観ようかと思ったが、時間が合わなかったので、桜台に移動して「久松の湯」へ。上質なサウナと水風呂を有する言わずとしれた名銭湯。しかし、デザイナーズ銭湯というトピックのせいか、どうにも混み過ぎていて、落ち着けない。あんなに混んでいる銭湯というのも早々お目にかかれまい。客の多さに比例するようにその質もかなり低い。タオルを湯船につけるなんて序の口、混んでるのに筋トレするやつ、湯船で漫画読んでるやつ、果てにはゲーム機を持ち込んで湯に浸かっているやつまでいた。あまりにひどすぎる。全身に美しい入墨を纏ったゴリッゴリのヤクザのグループもいたが、彼らのほうがよっぽどマナーがいい。「明日からシンガポールだ」と言っていたので、ワールドワイドなエリートヤクザなんだろな。久松の湯にポケモンGOのジムがあって、そこにカビゴンを配置したら、4日間も帰ってこなかった!都内ではなかなかないので、うれしいこと。スーパーで買い物をして、帰宅。


キングオブコント2016』放送日である。例年であれば、寿司をとって盛り上がっているところですが、今年はやめ。去年の審査の感じならかまいたちかジャンポケが優勝かな、と思っていたのですが、ライスがかっさらった。その3組では1番好きだったから文句ないのだけども、そうかライスか。乃木坂の3人が出演する『おしゃれイズム』を観た。西野七瀬無双で、完全に心臓を射抜かれた。かわいすぎませんか。しかも、VTRで本棚が公開されたんですが、それがまた凄かった。高野文子『黄色い本』、冬野さほ『ツインクル』、panpanya『蟹に誘われて』、田島列島子供はわかってあげない』、ロビン西『マインドゲーム』だとか萩尾望都増田こうすけにシソンヌのライブDVDまで!なーちゃんっていうとジョジョ銀牙のイメージしかなかったのものだから余計にやられた。佐藤二郎のTwitter本が1冊だけ異彩を放っているあたりもわけわからなくて完璧だ。ブログによれば、最近は舞城王太郎を読んだらしい。それはやっぱジョジョのノベライズのやつかな。『好き好き大好き超愛してる』だったらいいのにな。しかし、女の子の本棚だけでこんなに動揺してしまうとはつくづく自分はサブカルなんだなと思い知らされましたね。川島小鳥が撮った写真集も素晴らしかったので、マストチェックですよ。
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そういえば、この日はめでたく復活した『IZU YOUNG FES』の開催日!だったのですが、次の日を想うと、ちょっと厳しいので今年は泣く泣く断念した。せめてもとTシャツを購入した。売り上げは運営資金に充てられるらしい。チャンピオン製の厚手のボックスシルエットで、かわいい。ヤングの物販はいつもクールだ。



月曜日。うんざりするほど調子が悪い。帰宅して、冷凍のうどんを食べながら『乃木坂工事中』と『欅って書けない?』を観て、お風呂に長く浸かって、すぐに寝た。火曜日。よく眠ったので、昨日と反して絶好調。家の近くに突如ベロリンガが2体出現して、まじかとなった。
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『火花』の視聴を続ける。5、6話は監督が沖田修一!お馴染の面子が画面の端々に現れる。いや、しかし面白いな、このドラマ。小説を読んでも特に何とも思わなった徳永、神谷、真樹といったキャラクターの事が大好きになってしまった。スパークスの漫才がどんどんおもしろくなっていくのも凄い。シアターDに∞ホールにバティオスにetc・・・お笑いライブファンは絶対観て。中盤くらいからずっと泣き出す直前みたいなフィーリングで、もう早く最後まで観たい。



水曜日。仕事後にいつもの近所のサウナ。サクっと4セットでととのい果てる。やっぱり休憩できる椅子が大事だ。ペコッパヨだったので、牡蠣フライ定食を食べた。そのままシネコンイーストウッドの『ハドソン川の奇跡』を観る。文句がつけようのない素晴らしさ。深く感動した。ここにきてトム・ハンクスがずっとよい。木曜日。中野笑劇場でお笑いライブ『ベストエンタ』を観る。『キングオブコント』で盛り下がっていてお笑い熱が一気に加熱するような素晴らしいライブでした。ランジャタイ、ヤーレンズ、Aマッソ、モグライダージグザグジギー、虹の黄昏、錦鯉、だーりんず、すっきりソング、マッハスピード剛速球、サンシャイン池崎etc・・・とここが現在のお笑いの中心だ!と叫び出したい気持ちでした。なんだ、お笑いはやっぱりこんなに自由なんじゃないか、と。だーりんずとかさ、生で観るとやっぱり抜群に巧くて面白い。あの大会じゃ決して伝わらない良さがあるなぁ。つーか、この日やった落語家のコントを決勝でやればよかったのにな。モグライダー芝さんの仕切りはいつ観ても最高。早くテレビは芝さんを見つけてくれ。もう出演者ほぼ全組面白かったんですが、あまりに閉じたネタをやっている三福エンターテイメントだけは真顔になってしまった。ザンゼンジを解散してあんなことやっているのか。Aマッソとランジャタイで腹筋が崩壊した。「行きつけの喫茶店のハムサンドが絶品なのだが、挟まったハムの枚数は、マスターの支持する政党の議席数なんだけども・・・」という導入の漫才、最高に決まっていて、本当に最高でした。Aマッソの漫才が今1番好きだ。ランジャタイの漫才は本当にどこでも観たことない表現だ。現在という時間軸と”思い出”がダンスする、異様にフィジカルの強いネタ。賞レースでは決して観られない表現の強度があります。なっちゃんなっちゃんなんだからね!



気が付いたらプロ野球もレギュラーシーズンが終了。スワローズは5位。昨年の1位から5位!いやはや、結局小川に裏切られ続けるシーズンだった。今年は投手乱獲ドラフトだ。本当にどうにかしないと暗黒時代が来てしまう。せっかく山田や川端がいるのに洒落にならない。山田はプロ野球史上初の2年連続トリプルスリー。いまいち盛り上がってないんですが、とてつもないことなんですよね。ハマの番長のラスト登板は泣けた。お疲れ様でした!そして、廣岡のプロ初打席ホームラン。これが希望ってやつ。

キングオブコント2016

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キングオブコント2016』観ました。決勝進出10組を決定するまでの審査と、決勝の舞台となるスタジオ審査(と客席)の間にあまりに大きな捻じれが発生していて、昨年同様どうにもモヤモヤしてしまったのが正直なところ。そこに隔たりのなかった2014年までの『キングオブコント』が奇跡のようなものであったのだ、と今はただなつかしく想います。あのコント内の出来事にいちいち悲鳴を上げる決勝の観覧客ってあれ本当に募集で来た人なんですかね。今まで無菌培養室で育てられていて、あの日初めて部屋の外に出されて、コントというもの初体験した人達じゃないんですよね。まぁでも『じわじわチャップリン』(テレビ東京)のお客さんも悲鳴上げてるしなぁ。今どきの女の子は悲鳴上げてなんぼなのかもしれませんね。まぁそれは置いておいて、少なくともやめて欲しいのは「(客席に)ウケてたからねぇ」「ウケてなかったねぇ」みたいな審査員のコメントだ。コント界の権威の方々があんな事言ったら、それが審査の点数に反映していようがなかろうが、芸人達はあの客層に向けたコントしか作れなくなってしまいそうじゃないですか。ダーリンズの童貞コントみたいなの、来年からなくなっちゃったら嫌だな。


「何で点数低いんだ!!」みたいな憤りは昨年で枯れたので、もうないです。でも、しずるのネタは素晴らしかったですよね。池田はいつだって最高なんだ。ラブレターズのバカネタは楽しかった。塚本も一緒になって踊る所が好き。後、野球が好き過ぎでかわいい(牽制死なんてルール誰もが知っているわけじゃない)。ジグザグジギーはこの間の単独でもっといいコントあった気がする(「プロポーズ」とか)。もっともっと面白いコンビなんだよなぁ。そして、やっぱり私はかもめんたるのコントが好きだ。例えば1本目で言うと、”念”を送れるようになった理由みたいなものにコントの時間を一切省かない所が好き。理由から解放される事で、ネタ内における「念が送られてきた」というおかしな状況が振動していく。理由や説明に時間を省かず、ひたすら設定の細部を豊かにする事で勝負していて、そのセンスがとにかくたまりませんでした。時間差で動くとか、「糸の切れた凧」とか。狭い車内でひたすら冗談を言って若者を追い込むドライバーという2本目でも、「なんでこんなことやってるんですか?」という槇尾の問いに、岩崎は「なんでだろうね。わけもないのにやってしまうことを人は性癖と呼ぶよ」と返すわけで、やはりこのおかしな状況に対する理由の不透明さが、コント内で巻き起こる現象、ひいては「冗談ドンブリ」をたまらなく魅力的なものにしていると思うのだ。ホラー映画において、幽霊というのは、現れる理由が明らかにならない方が怖い、というのと同じ構造だ。


しかし、残念なことに、その「理由が明らかにされない(=ドラマが展開していかない)」というのが、かもめんたるのコントの点数が伸びなかった理由のようにも思える。”茄子持ち上げる時だけ左効き”の理由が明かされない(だがひたすらにそのおかしさが振動し続けた)、ななまがりのコントも「もうひとまがり(もうひと展開)欲しかった」と低評価であった。しずるのコントはドラマ仕立てであったが、点は伸びず。誰もいないとわかっている廃ビルで拳銃をぶっ放つ刑事2人、というその理由のないアクションがバカバカしく躍動していたのだが。あのコントが、審査員に「ショート映画のよう」とコメントされたのが印象的だった。“お笑い”ではない、という事か。


かまいたちの1本目なども、かもめんたるやななまがりと同様に、不条理の理由が説明されないコントなのだが、状況の説明やフリとボケが丁寧に行われていたのが、得点の伸びた要因か。”お笑い”というのは誰が観てもわかりやすいものでなくてはならない、というのが昨年からの『キングオブコント』である。昨年同様に高評価を得たジャングルポケットもとてもわかりやすいコントを披露してくれるトリオだ。トイレの個室に3人の男がひしめき合う、というはちゃめちゃな状況に対して、終盤で「サプライズだった」という理由が示される。丁寧で実にわかりやすい。納得できてしまう。しかし、そうしてしまう事で、あそこで巻き起こっていた不可思議な現象の全てに説明がついてしまい、途端に全てが色褪せてしまうようにも感じた。何がおもしろいか、ってほんと難しい話ですね。でも、番組の序盤に放送していた過去の面白ネタアーカイブは本当に全部おもしろかったです。ライスのお二人、おめでとうございます!

三浦直之『光の光の光の愛の光の』

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2016年、新海誠による純愛ラブストーリー映画『君の名は。』が大ヒット!その一方で、批評家には「童貞の見た夢だ」なんて揶揄されております。ならば、こっちは本当の童貞*1だ!という事で、ロロ三浦直之の愛が愛を叫ぶ代表作『LOVE』がこの度、キティエンターテイメントプロデュースによって3度目の再演であります。これはめでたい。私にとって『LOVE02』(2012)は本当に大切な作品で、僕の心の柔らかい場所を今でもまだ締めつけているどころか、この青春ゾンビというブログを書いていくにあたっての指針のようなものになっています。いや、もっと言えば、誰かのことを強く想ったりした時などはおのずと『LOVE02』のことを思い返すようになっているほどに、切っても切り離せない作品。


舞台上の誰もが誰か「好き好き大好き超愛してる」と闇雲に叫び倒す今作のチャイルディッシュな質感は、なるほど一見”童貞の見た夢”のような趣ではあるのだが、その実、「愛に賞味期限はあるのか?」という考察を鋭く行っている作品でもある。その為に、まず三浦は”愛”にまつわるあらゆる比喩を舞台上に可視化していく。想いが溢れれば身体中は光り出し、宙を舞ってしまう。”好き”という気持ちは銃弾となり誰かを撃ち抜き、紙飛行機として遠い場所に届く。そんなありふれた比喩表現を、演劇の力で”本当のこと”にしていく。“本当のこと”だから、比喩だろうが何だろうが、全て命懸け。舞台上の人物は”愛”を巡り、文字通り死んだり蘇ったりする。でも、そもそも人を愛するってことは命懸けであるべきでしょう?


愛の喜びが”光”として可視化される一方で、愛することに伴う苦しみもまた”呪い”という形で具現化されてしまう。”呪い”は「残り5ターン」という張り紙でもって、ハルオという男の(愛の)死を宣告する。これは、愛の熱は経年と共に醒め、消えていってしまう、という宣告である。ハルオはそんな”呪い”に対抗する為、かつての恋人である”自転車”‘(ややこしいが役名だ)と修行に励む。元カノにだけは何故だか”呪い”は有効ではないようなのだ。200年という歳月を生きている”鉄”という男がいる。彼は、”八月”という女の子に恋に落ちている。そしてかつては彼女の母にも、祖母にも、恋に落ちてきた。その恋の力で200年という途方もない時間を生きてしまっている。彼は言う。

”好き”という気持ちは消えなくて、1秒1秒生まれ続けていくだけなのだ

かつて君のおばぁちゃんに向けられた”好き”も、君のお母さんに向けられた”好き”もずーっと消えずに僕の中に残り続けていて、それらがパンパンに膨らんで、今現在、大好きな君に向けられているんだよ、と。という事は、だ。この世界に無駄な恋なんて1つもない事になる。叶わなかった恋にすら意味はある。一度でも誰かに向けて生まれた気持ちは消えないし、古びないし、何度だって転生して、また別の誰かに辿り着く。エンディングにおけるあの胸掻き毟られる美しい光のシークエンスが、”自転車を漕ぐ”という運動によってな実現されたことを思い出したい。言うまでもなく、この自転車とは「自転車(望月綾乃)=”過去”」である。彼女が「なみだ なみだ なみだ なみだ」と流したその涙の水滴、その形はどこか電球に似ていて、報われなかった彼女の気持ちもまたいつか光へと変わっていく、ということを提示している。


さて、まとめよう。『光の光の光の愛の光の』という作品は、「愛に賞味期限はあるのか?」という命題に対して、涙を浮かべながら、「No!」と応えてみせたわけだ。たとえ2人の恋が終わったとしても、この世界に出現した”好き”という気持ちは消えずに今も光り続ける。貴方の”かつて”は必ずや”これから”に繋がっていくのだ。そんな三浦直之の筆致は、今までこの世に存在した全てのラブストリーへの肯定と感謝のようである。


ここからは余談。脚本にほぼ変更はなく、演出も三浦直之が手掛けているので、それなりの再現性は確保されていたわけですが、それでもあまりに私が『LOVE02』という作品を愛していたのがまずかった。その残像が脳内にクッキリと残っていて(なんたって京都公演まで観に行ったんだ)、どうしても比較をせざるえず、違和感はぬぐいきれなかった。ポップカルチャーが乱雑にパッチワークされた情報過多なあの独特の三浦節を体現するのは本当に難しい。若手役者陣のフレッシュさは認めつつも、「ロロの公演と遜色なかった」なんて感想はもう絶対リップサービスだ。それができるのが大人といやつなのかもしれないのだけど。”鉄”がおじいさんの扮装をしているのはどうしても解せなかったなー。亀島一徳が若者の姿でピョンピョンと飛び跳ねながら演じるあの200歳の鉄こそが、演劇の自由さであり、この作品のチャーミングさを担保していたと思うのだけど。いや、もちろん今作が初見の方には何ら関係ない話なのだけども、でも、『LOVE』という作品の魅力はまだまだこんなものじゃない!!と、余計なお世話とは承知で伝えたい。だってもう本当にこの作品が好きなのだから。なので、まずは「再演希望!!」という主張を口が酸っぱくなるで訴えなくてはなるまい。



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*1:執筆当時。今現在がそうかは定かではない